シルクロード日誌

日本シルクロード文化センターのブログページです。シルクロードに関する情報、コメント、旅日記などを綴ります。
第90回 シルクロード講座の報告  (報告者 大塚純子) 

2月のシルクロード講座は1週間前に開きましたが、日本シルクロード文化センター役員の大塚純子さんにレポートを書いていただきました。写真は一部を除いて末尾にまとめて掲載します―野口

  

 

 開催日時:2018年2月10日(土) 13:00〜16:00

 会場: 「みんなのひろば」  狛江市和泉2-20-12-103

 

 テーマ:「カザフ牧畜民が生み出す美しき装飾世界―手芸技法の紹介を中心に」

 講 師:廣田千恵子さん(カザフ装飾文化研究者)

(講師プロフィール):モンゴル国バヤン・ウルギー県に2年滞在しカザフ人とともに生活しながら彼らの文化を学ぶ。帰国後は全国各地でカザフ刺繍ワークショップを開催。また、留学中からWEBサイト「カザフ情報局KECTE」を通じて情報発信をおこなっている。現在は千葉大学大学院後期博士課程在籍中。

 

 モンゴル国内のカザフ人の人口は約10万人、モンゴル国の総人口のうち約4%を占め、そのうちの約9万人はモンゴル国の最西北のバヤン・ウルギー県に居住している。

モンゴル内のバヤン・ウルギー県の地図

 

 ロシアの南下政策が始まるにつれてカザフの一部の牧畜民たちは南へ北へと移動しこの地に落ちついた人々は、そのあとにモンゴル・ロシア・カザフスタンの国境が定まったためカザフに帰れなくなりモンゴル国民となった。モンゴル国内の少数民族と位置づけられ、カザフ人は少数民族中、人口第1位でその89%を占めている。

 

 バヤン・ウルギー県では全人口(約11万人)の4割が牧畜を専業としている。この地のカザフ人の文化とは遊牧、イヌワシを用いた狩猟、ドンブラなどの民族楽器・音楽、天幕型家屋の内側を飾る室内装飾の製作その技法、文様です。

 今回の講座は、このうちの天幕型家屋(キーズ・ウイ=フエルトの家の意)の伝統的室内装飾の作成技法とその文様、材料等の紹介です。

 

  • カザフの天幕型家屋(ユルタ)とモンゴルの天幕型家屋(ゲル)は少し違う

・カザフのユルタは屋根が高くモンゴルのゲルよりも大きい。

・モンゴルのゲルは真ん中に屋根を支える支柱があり屋根をしっかりささえている。カザフのユルタは屋根が2段になっていて高く、屋根は支柱で支えるのではなく全体のつり合いを取ってかぶせるので支柱がない分やや柔い。

カザフのユルタ

 モンゴルのゲル 

  • カザフの天幕内の装飾とモンゴルの天幕内の装飾は違う。

 ・カザフでは室内を装飾布で飾る伝統がある。色彩鮮やかで技法に富み、砂防や害虫の侵入を防いだり、風を通したり塞いだり室内の温度調節をする簾に似た機能を持つ装飾布もある。バヤン県は冬は―30℃〜―40℃の半乾燥地帯で防寒対策は欠かせない土地柄である。

・ユルタの造りはゲルより頑丈な造りではないので、重量のある装飾布を多く架けるには注意が必要である。

*この地のカザフ人は、夏は高い山に移動して天幕型住居に住み、冬は山を下りて定住用の固定木造住宅(スタック・ウイ)に住む。固定住宅の中は冬に使うストーブで空気が汚れ装飾も汚れるので室内装飾は少ないという。^

・モンゴル人は常に移動に適した天幕式ゲルに住む。モンゴル人のゲルの中は装飾が少ない。装飾は家具そのものに彫刻・彩色をほどこし簡素である。

移動の際には解体、運搬、建造がしやすいことを旨としている。

 

3.カザフの装飾作成技術一覧(カザフ語表記)

  • 彫る(Oio)オヨ     木材を彫刻する。フェルトを切り取る。
  • 縫う(Tiry)ティゴ     刺す。縫う。*針を突き立てるイメージで布にさす。

            壁掛け布を作成する技法で、道具は針・かぎ針

            フエルトに刺す場合は()サロ

  • 巻く(Opay)オラオ   巻く。包む。くるむ。*芦の茎に糸や裂いた布等を

            巻き付け、これを簾のように編んでいく技法。

            砂防壁を作成する技法

  • 織る(Tepy)テロ    織る。拾い集める。*一か所に集めるイメージ

            手織紐を作成する技法

  • 織る・編む(Toky)トコ 織る。編む。*物を構築するイメージ

 

4.文様を作り出す技術

 )イΑ憤貳姪にティゴ)*縫い方によってさらに名称が分かれる。

             ・刺し縫いする

             ・縫い合わせる

             ・押し縫う

             ・仮縫いする

           *道具=針(イネー)、大針(テペン)あるいはかぎ針(ビズ)

           *素材、フェルト、布、皮

∋表する(刺繍=ケステ)

・かぎ針刺繍、手刺繍、大針刺繍、(縫い目によって)○○刺繍

 大きな布のまま製作できる。壁掛け布、マット、ベッドカバー、マットレス等

 の装飾によく使われる。技法は難解ではなく反復練習すればだれにでもできる。 

  ・刺し子≠刺繍とは別の分類。 布が丈夫になる。

・左右対称の整頓された模様を表現するための技法 

・ケステ=〇表 一覧表は)イΔ汎韻

 ・織は芦を刈り取って乾燥させ、茎の一本一本に糸や細く切った布、紐を巻き付け

  これを何本も並べて簾を作るように織紐で括っていく技法で、芦の間隔を変えて用途に合わせ、砂防壁に仕立てたり、風を通す暖簾に仕立てたり、虫を防ぐ簾にもなる。

 ・機織り機は無く、簡単に木の枝を何本か固定し、間に縦糸を通し、これに横糸を

  くぐらせていけば布が織れる。

  縦糸の本数を多くすれば布幅は大きくなるが、文様の都合で一般的、伝統的に

  縦糸の本数は決まっているようだ。

  草原でも、道端でも、家の中でも簡単にこの仕組みで布を織ることができるので、

  場所や時間を選ばずに作業ができる。熟練すれば高度な文様の布もできる。

 

5.文様 

文様は動物の角、耳などがモチーフになっており、左右対称の図形が繰り返される。

 布全面を刺繍で埋め尽くすのが特徴。微細に正確に埋め尽くす。

 かぎ針網や刺繍では繰り返し文様の他に、自由な絵柄、色使いが出来る。

 しかし、これも基本的にはびっしり布地を埋め尽くすのが伝統である。

 

6.装飾品は商品化されていない。

 カザフ人の装飾布は生活の必要から生まれ、技術が高く昇華したものであって

 手空きの時間にコツコツと造りだされた。したがって売るほどに造るものではなく

 市場にはほとんど出回らない。

 したがって手に入れるのは難しい。

 大作は絢爛豪華で目を奪われるが、技法は難解とまではいえず、素材、糸、布地も手近に入るもので作られ特別高価なものでもない。化学繊維も使用するし、時代につれて登場する新しい素材も取り込んでいる。今までもこれからも大量清算は可能ではない。

 

 この宝物はこれからどう発展していくのだろうか。

モンゴル西北部地方の美しい景色にあこがれている身としては、遠くない将来にこの地を旅し、カザフ人のユルタに立ち寄って装飾品の数々を見せて頂きたいと思う。

                                

| シルクロード講座の報告 | 06:51 | comments(0) | - |
40年ぶりのキューバに行ってきました ―革命戦争の記念の地トリニダー−

 

 ハバナに着いてからずっと荒れ模様だった天候が、この日になってやっと太陽を見せてくれた。小雨、曇り空はもう飽き飽きしていた。これでなくてはキューバじゃない。早速半ズボンになって歩いた。

 

 トリニダーもやはり世界文化遺産の街。1988年に登録された。このキューバ南部の植民都市トリニダーは早くからスペインによって開発されていった。勘違いしてはいけない。それは先住民のためにではなく、自分たちが暮らしやすく住みやすくなるように、そして支配・搾取・略奪しやすいためにというためだ。したがって、ここは奴隷と砂糖貿易の中心地として栄えた。

街にはいまでも馬車が闊歩している

路地裏のスーパー

売り子の女性たち。撮影の許可を求めると気軽に応えてくれた。

路地裏を走り回っていた少女たち

 

 大航海時代にヨーロッパに広がった紅茶やコーヒーに砂糖を入れることがはやり、砂糖の生産は労働力となる奴隷貿易とともに、一大産業になっていったのである。

 

 郊外のロス・インへニオス渓谷はサトウキビ畑が広がる地で、今も奴隷たちが働いていた砂糖工場の跡がある。

広いサトウキビ畑が残っている

 

 19世紀に奴隷制度が廃止され砂糖相場は暴落、続く戦乱で町は衰退したが、街並みは植民地時代の雰囲気をそのまま残している。農園主ニコラス・ブルネット・ムニョスの壮麗な屋敷を再活用したロマンティコ博物館やイスナガ夫人の邸宅を利用した歴史博物館には当時の家具調度品や生活用品が展示され、農園主たちのぜいたくな暮らしぶりがうかがえる。

ここから下3葉は、いずれも農園主、いや奴隷主だったものの邸宅跡

 

 一方で、ロス・インへニオス渓谷には、砂糖王イスナガが建てた高さ45メートルの「奴隷監視塔」が残り、当時の奴隷たちのつらい労働状況を今に伝えている。ラム酒にハチミツ、ライム、水を混ぜたカクテル「カンチャンチャラ」はこの街の名物である。

「奴隷監視塔」。うちのカミさんは、高いところが好きだから登って行った。

| 旅日記 | 04:07 | comments(0) | - |
40年ぶりのキューバに行ってきました ―世界遺産 シエンフエーゴスへ−

 親しい友人から「キューバ日記を楽しみにしている」との手紙が来た。“これは力を入れて書かねば”と思うが、本当はほかに課題山積。A4で7ページの他人の講演をまとめなければならない。

 「現代シルクロード研究会」のテーマ「東トルキスタン共和国の成立と崩壊」のレジュメとP.P.も準備しなければならない。その1週間後には、5月に行くイランの歴史と世界遺産の紹介原稿を書かなければならない。いやいや・・・

 

 キューバの旅のこの日は、4時間、240kmのバスの旅になった。車好きの私はほとんどが自分の運転が多いのだが、客としてバスに乗るときは風景を眺めるのが忙しくてほとんど寝ることはない。うちのかみさんは95%は寝ている。そのくせ声をかけると“ちゃんと起きてるわよ!”と毒づく。

 そうそう、言いたかったことは、私も初めての体験だが、今回に限ってはバスが走り始めると寝た。実によく寝た。時差の関係で眠くなるのだろう。カミさんいわく「老齢化現象よ」!

バスの窓から

 

 そしてこの街は2005年に世界文化遺産に登録された。その理由はこの街の造りが“フランス風”だからという。もともとヨーロッパから始まった「世界遺産登録」は、まず、“ヨーロッパありき”からスタートした。

 

 そういえば、「ギネス」もそうだし、あれこれ何もかもヨーロッパ発信である。わたしはこれを「ヨーロッパ中心志向」といっている。そうそうきのう小平が銀を取った「オリンピック」もそうだった。

 

 わたしはこのことを否定的にだけ言っているのではない。人類の先進的な文明を登録しているのだからこれを否定はしない。でも世界遺産登録が最も多い国はイタリアだが、どういうことか第2位は中国になっている。

 だが我が国の自治体がそろって「我が県も世界遺産登録を!」と競っていい始めると、もうこれは世界基準ではなくなる。単なる“客寄せ”になってしまう。

これはオペラ劇場

 

 悪口雑言はこれくらいにしてシエンフエーゴスをご紹介しよう。 この街は1819年に貿易都市として建設された古都である。フランスからの移民が多く、だからフランス風の建物が多いからだろう。1957年のキューバ革命で革命軍によって解放された。

 

 この街の中心となる場所は「ホセ・マルティ広場」。

 広場の周囲には、いわゆるフランス風の建物が並んでいる。

 あまり人影も多くない広場には、あちこちに「サンバ野郎」たちが歌っている。どういうことか女性は少ない。そして必ず小さなDVDを売っている。これは日本ではうまくいけばPCで聞くことができる。うまくいかなければ?「聞けない」。曲は例外なく「グアンタナメラ」。

この建物も世界遺産かと思いましたが、学校でした。

教育重視の国策が良く理解できたのです。

キューバでは全国どこでもこの色の制服です。

それにしても、子供はどこでも元気です。

「写真撮っていい?」と聞くと、平気でポーズをとってくれました。

この子は”女の子”から内面は”女性”へと脱皮しつつある年齢なのでしょう。

我が孫娘も近いうちにそうなるのでしょうか?

海の近くでは豚の丸焼きです。

カリブ海です

 面倒だからウィキペディアをコピーしてしまおう。

グァンタナメラ Guantanamera

「グァンタナモの娘」を意味する世界的に有名なキューバ音楽

『グァンタナメラ Guantanamera』は、世界的に有名なキューバ音楽。1929年初演。

タイトルの「Guantanamera」は、「グァンタナモの娘」を意味する。「グアンタナモ Guantánamo」はキューバ南東部の都市。米軍基地がおかれている。写真はグアンタナモの街並み。

 

アレホ・カルペンティエルの著書『キューバの音楽』によると、「グァンタナメラ」のルーツは作者不詳の8音節4行詩の農民歌謡(民謡)で、ホセイート・フェルナンデスの歌声により1920年代に広まったとされている。

ホセイート・フェルナンデス(Joseíto Fernández/1908-1979)またはホセ・フェルナンデス・ディアス(José Fernández Diaz)は、20世紀のキューバ音楽を代表するシンガーソングライター。

ホセ・マルティの詩集が歌詞に

歌詞については、キューバの文学者・革命家ホセ・マルティ(José Julián Martí Pérez/1853-1895)の詩集「Versos sencillos 簡潔な詩(素朴な詩)」に基づくヴァージョンが世界的に有名。

このホセ・マルティ詩集を1950年代に歌詞として転用したのは、キューバの音楽グループ「オリヘネス」のメンバー、フリアン・オルボン(Julián Orbón/1925-1991)。

アメリカのフォーク歌手ピート・シーガーのレパートリーに

 

エッセンシャル・ピート・シーガー

オルボンの弟子エクトル・アングロは、1960年代のアメリカ留学中、アメリカのフォーク歌手ピート・シーガー(Pete Seeger)と知り合いになった。

ピート・シーガーはアングロを通じ、「ホセ・マルティ詩集」版の歌詞で歌う『グァンタナメラ』をレパートリーに加えた。

このピート・シーガーによる歌唱により、「ホセ・マルティ」版の『グァンタナメラ』は世界的に知られることとなった。

| 旅日記 | 05:54 | comments(0) | - |
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