シルクロード日誌

日本シルクロード文化センターのブログページです。シルクロードに関する情報、コメント、旅日記などを綴ります。
2019年 モンゴル大草原の旅

 

7月24日 

“長〜い長〜い、私の準備の1年が終わった”これが、モンゴルへの旅がスタートした私の実感である。

1年がかりのツアー準備期間があった。

まじめな話、私は非常に几帳面な性格なのだが、気になったことは最後まで処理しないと気が済まない、いや、気になって寝られないのだ。どんな細かいことでも気になって眠れない性格である。ときには、ベッドの上であることを思い出して“明日の朝には必ずやる”と思っても忘れてしまうことが、ママある

総勢18人のツアーは初めて。しかし、何人かを除いてはほとんどの人は知っている方がたである。そして、成田で集合した18人の面々はウランバートルへ向かった。

 

初日 25日 久しぶりのウランバートルの街

 

東京はこの日7月24日に梅雨明けしたようだが、モンゴルへの空は、まだ梅雨空

ウランバートルの「チンギス・ハーン空港」へ

10年前と比べて空港の施設は格段と良くなっている

 

 

 ウランバートルの街は、かなり近代化が進んだといわれているが、私にとっては10年前の街とあまり変わらない。

 ガイドは20歳と5歳の男の子2人の47歳のママさん、ムンフデウル(女性)(MUNKHDUL)。ウランバートルで日本語を学んだ。

 

 彼女はさっそく、みんなをバスまで案内し、スーツケースを運んだり

小さな体でコマねずみのようにはたらく。

ホテルへ向かう途中、渋滞が原因なんだろう。隣の乗用車と先頭争い。大きなバスのくせに幅寄せをし、頭から入り込むなどしている。少し接触されてしまった。大きな声で言い争っていたが、小さなことで他車と小競り合いをするなどとんでもない。

 

日本の道路に慣れていて、歩行者優先、他車優先を貫いている私にとっては、これは全く理不尽で危険な運転である。

18人の外国人観光客を乗せて走るのに、他車と争い、前へ行くことに血道を上げるなどとは、とんでもないことである。

ガイドには「こんな危ない運転をするドライバーはクビだ!」という。翌朝、ホテルに来た女性のバヤル社長にも同じことを言ったが、ここはドライバーが「自車持ち込み」で運転するもの。繁忙期の今となっては、おいそれと代わりのバスなどない。それを知っていて話すのだから代わりのバスが決まるわけはない。バヤルもはじめから“そんなことできるわけがない”という顔をしている。

親友のI氏が体調が急変したと奥さんのI子さんからの知らせ。

たまたま同行の士のⅯ氏が整体の先生なので急遽、見てもらう。下記はⅯさんから帰国後の手記である。

 

夫はウランバートル到着直後に突然の体の異変に見舞われ、妻は成田到着後に荷物紛失という災難に…。

 ☆野口注=妻I子さんは、帰国の成田で自分の荷物を他の乗客に間違えて持って行かれてしまったので、私も含めて最後まで担当職員と行方を探していたのです。結局間違えた乗客からの連絡で翌日には解決したのだが・・・

Iさんの体調異変も短い時間のエピソードに見えると思いますが、おそらく通常なら確実に救急車もので、しかも救急車で病院に運ばれてもたぶん簡単には解決できなかったはずの症状で、病院ではまず各種の検査に時間がかかり、その原因を突き止めることさえ難しいので1日や2日の入院は不可避だったと思います。

そうなれば、その後の全行程に置き去りになる可能性もあっただろうと思っています。

ああいう場合の整体の威力は実際、驚くべきものがあると私自身は今も思いますし、あの場に居合わせてよかったと思います(これを私が言うのも変ですが、野口さんには今後のために一応お話しする次第です)。 

実は、あの翌日の朝、ゲルから食事に出かけようとした瞬間に、同宿のKさんが突然、脚の強いヒキツレを起こして苦しみましたが、これも瞬時に解決して、何事もなかったかのように2人で食事に出かけました。 

そんなことが重なったせいもあったのか、私自身も4日目か5日目の深夜、真っ暗なゲルの中でいきなり床に転倒し、側頭部と肩をかなり強く打ったのですが、旅の日程や緊張のなかで十分手当てできずにいたため、帰国翌日から痛みだし、38度の熱まで出るに至りましたが、今はうまく経過しつつあります。

ちなみに、整体では打撲の影響を非常に強く警戒し、後々の内臓の異変の元にもなると考えています。

 

 

この日はホテル泊。

私も体調が悪いのでバスにも入らずに、着てきた衣服のままベッドに倒れこむ。

| モンゴル関連 | 04:00 | comments(0) | - |
きょうからモンゴルへ行ってきます。帰国したら報告を書きます。

8月2日に帰ってきます。

 

モンゴルでのんびりしてきます。

総勢18人にもなってしまいました。

 

7月24日  野口

| モンゴル関連 | 06:05 | comments(0) | - |
第104回シルクロード講座 7月13日(土) 「遊牧国家とは何か?――匈奴を例として――」 講師:林俊彦(創価大学名誉教授・東洋文庫研究員)

第104回シルクロード講座 7月13日(土)

「遊牧国家とは何か?――匈奴を例として――」

講師:林俊彦(創価大学名誉教授・東洋文庫研究員)

 

今回の講座は、5月に林先生をお迎えしてのシルクロード講座が大好評だったため、その場で7月の講座をお願いして即諾していただいたものです。

 

今回のテーマは表題の匈奴を例として学びました。

この日の講座の特徴は、従来語り継がれてきた「匈奴」の国家としての成り立ちを司馬遷の『史記』の「史記匈奴列伝」などをパワーポイントで映しながらの講義でした。

さらに『漢書』も『史記』を受け継いで書かれていったということにも触れていました。

 

忘れたとはいえ、多少、中国を学んだ身としてもかなり難解な漢文の史記でしたので、なじみのない方にとってはかなり大変だったろうと思います。しかし、これがシルクロードを考古学の視点から学ぶということの難しさだといえます。

 

匈奴の存在が知られたころ、その周囲には東胡と月氏という強大な遊牧勢力がいました。その左右に位置していた2つの遊牧勢力を巧みな作戦と戦術で打撃を与え、やがて当時の漢に対抗するまでになり、やがてこれを凌駕するまでに至った歴史を史記にもとづいて進めました。

左端が講師の林先生。腕組みをしている背中の黒シャツの男性は、仕事の残業続きで、やっとシルクロード講座に出席できた31歳の青年会員

 

 

この日は11日後に迫ったモンゴルへの旅の参加者のうち、初めて講座に参加して「シルクロードなるものに触れるのは初めて」という方がいました。また、練馬区から参加した入会したいという方、あるいは講座に参加してもおしゃべりや居眠りに忙しい方などもいましたが、改めて聞く講座の話に聞き入っていた人がほとんどでした。

会場は補助の椅子を出すほどの大盛況でした。

 

この日の受講者は今年2番目に多い22名でした。

左が練馬区から参加された入会者。真ん中がモンゴルツアーに参加する「シルクロード初見参」の女性。

 

 

次回は(8月は暑いのでお休みです)9月14日です。

ウイグル人のアフメットさんや彼の奥さんあるいは友人たちが、いま行われている新疆での強制収容のことなどについてお話しします。

関心の高いテーマですので従来の会場では入りきれない可能性がありますので、9月に限っては狛江駅前の泉龍寺境内にある「仏教文庫」で開催します。多くの皆さんのご参加をお待ちしています。

| シルクロード講座の報告 | 11:36 | comments(0) | - |
ウイグル人の血の叫びを聞きました

前回のブログから、言葉にできないほどの多忙な毎日が続いて続編を書けないままで過ぎてきました。

きょう12日は午後3時すぎからの行動にして、やっと多少の時間を確保しました。

 

このブログの,任盻颪い織ぅ螢魯爐気鵑箸呂修慮紂▲瓠璽襯▲疋譽垢鳩搬單渡辰糧峭罎鮓魎垢靴届辰傾腓辰討い泙垢、彼の名前は正しくは「アフメット」さんだということが分かりました。

 

彼については、9月14日の土曜日に「シルクロード講座」でじっくりお話ししていただくことになりました。ご期待ください。そして会場も変更して多少広い会場になりましたのでどうぞお越しください。狛江駅前の「仏教文庫」です。

 

証言の続きです。

 

ムハラムさん ☆ウイグル人の名前は日本人にとっては、まったく聞き取りにくく覚えにくい言葉なので間違っているかもしれませんが・・・

 

彼のお父さんは「イマーム」。イスラム教徒の指導者という意味になります。

17年3月24日、突然、拘束されました。

「騒乱蒸発罪」(?)という罪で6年の懲役刑を科されたということです。

しかも、彼の家には2つの「監視カメラ」が設置されて、その費用も彼らの家族が支払うそうです。

 

まだあります。その家には漢人の女性(おそらく安全局の者)が監視のために住み着いたということです。無論、宿泊代や何もかも無料で、です。

 

そういえば以前聞いた話ですが、あるとき、ある男性が、何かの罪で突然拘束されて、間もなく遺体となって帰ってきたという話がありました。しかも当局は、殺された男性を銃殺した「弾丸代」と遺体を収めた「棺の代金」を請求してきたと言います。

 

イスマイルさんの証言

ある友人の子どものことです。

子供が生まれれば、当然、親や親族が名前をつけます。しかも、宗教上、つけてはいけない名前もあるということです。それが当局によって、つけてはいけない名前を付けられたといいます。

 

しかも小学校では、ウイグル語は禁止。漢語以外は話しても書いてもいけない。しかも1年生から寄宿舎生活です。

彼は言います。「ウイグル人は今、何を考え、言い、何を考えて生きて行けばいいのか分からない状況」と訴えています。

 

日本に帰化したウイグル人の訴え

文革の際、祖父はかなり広い土地があったので逮捕されて強制労働。10年死去。

父は17年にパスポート没収。日本に留学していたわたしに会いに来ることができなかった。

 

姉のハサンは、初めに生んだ子と3年以上離れていないと次の子を産んではいけないと、当局から命令されたといいます。

兄は、17年3月に夫婦で拘束。兄は懲役2年。

姉夫婦の逮捕理由は「まわりのウイグル人の信用があついから」。

「今はウイグルの全域のモスクが破壊された模様」といい、モスクが収容所になったとも言います。

 

17年までは簡単にパスポートを入手することができたが、18年4月に一気にウイグル人全員のパスポートを没収された。そして、外国で何をしたのか、どこへ行ったのか、何をしたのか、中東に行った人は「テロを教わったのではないか」

などと詰問され、それで数十万人が一斉につかまったといいます。

 

事実、私の友人の妹が、トルコへのパックツアーに行って、ウルムチの空港へ返ってきた時に、ツアーに参加した全員が拘束され、収容所に入れられていました。カナダにいる姉からの悲痛なメールで分かりました。

 

あとは9月の「シルクロード講座」でお聞きください。

| ウイグル情報 | 12:04 | comments(0) | - |
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