シルクロード日誌

日本シルクロード文化センターのブログページです。シルクロードに関する情報、コメント、旅日記などを綴ります。
森安通信 読者各位               190315

 

今日は少し長文ですが、森安通信をコピーしてお送りします。

なお、必要でない個所については割愛させていただきました。

森安先生、怒らないでください。

赤字の部分は私が色をつけました。

 

 以下は学問的な話です。21世紀になって私は「日本におけるシルクロード上のソグド人研究の回顧と近年の動向(増補版)」(森安孝夫編『ソグドからウイグルへ ──シルクロード東部の民族と文化の交流──』汲古書院, 2011, pp. 3–46)という学界動向を発表し,その中で「日本の学界にとってショッキングな出来事は,2002年にドラヴェシエールÉtienne De la Vaissière『ソグド商人史』Histoire des marchands sogdiensがパリで出版され,しかもその執筆者がフランスの若手研究者だったことである.本来なら,このような単行本はソグド研究の長い伝統と分厚い蓄積がある日本で真っ先に出版されてしかるべきであるのに,完全に先を越されてしまった」と書きました。その本が,ついに日本語で読めるようになりました:

 

影山悦子(訳)『ソグド商人の歴史』岩波書店,2019年2月。

吉田豊教授の神戸市外大時代の教え子である影山さんの御苦労には心より感謝します。ただし価格が18,500円と高額で,内容もプロ向けですので,大学の図書館や歴史研究室では是非とも備えていただきたいものですが,高校教員にはお薦めできません。

 

 今年2月17日に,奈良の大和文華館で開催された遼代の墳墓出土品と平安文化をつなぐようなシンポジウムがあり,これまで飛鳥・奈良時代に中国から渡来してきた緯錦(よこにしき)の技術が,日本国内で独自に進化して倭錦と呼ばれるものになったと考えられてきたが(これもいわゆる国風文化),実は新発見の10〜11世紀の遼代墳墓から出土した染織品の中に同じ技術のものが多数存在することが判明したそうです。

 

一方,アメリカでは藤原氏の建立した宇治平等院の建築や壁画が,チベット仏教(敦煌仏教)や遼仏教の強い影響を受けているという博士論文が出されているそうです。

そうなると,従来は無視されがちであった遼帝国(契丹)と平安日本とを結ぶルートのあった事が予想されます。その場合,当然ながら,対馬・壱岐が浮かび上がってきます。近年は遼・高麗・日本を結ぶ仏教文化の交流が注目されていますが,上川通夫・愛知県立大教授によれば,「遼・宋・高麗の混成商人団」が媒介した可能性もあるそうです。誰でも知っている13世紀モンゴル時代の「元寇」に比べ,1019年の「刀伊(とい)の入寇」という事件の背景は分かりにくいのですが,「遼・宋・高麗の混成商人団」を裏返して考えてみれば,何かが見えてくるのかも知れません。

 

 最後に,前回の森安通信(2019年2月3日配信分)で紹介した帝京大学主催のシンポジウム「シルクロードを掘る──いま蘇る,いにしえの道」に残念ながら参加されなかった方には朗報となるお知らせをします。

妹尾達彦・中央大学教授が主宰される公開シンポジウム「ユーラシア考古学を楽しむ」の案内が届いたのですが,その趣旨は,「近年におけるユーラシア大陸の考古学の進展には,目を見張るものがあります。遺跡の発掘が続き,新たな事実が次々と明らかになってきています。本シンポジウムの目的は,ユーラシア大陸の各地域で発掘にあたってきた各分野を牽引する研究者に集っていただき,ユーラシア考古学の現在に迫ること」だそうです。

 

日時:3月30日(土) 12:30〜18:30

会場:中央大学多摩キャンパス 2号館 4階 人文科学研究所会議室 1

 〒192-0393 東京都八王子市東中野742-1 多摩モノレール「中央大学・明星大学駅」下車徒歩5分

参加費無料

 

プログラム

 12:30-12:40  妹尾達彦(中央大学人文研研究員) 「趣旨説明」

 12:40-13:40  林 俊雄(創価大学教授)「ユーラシア考古学を楽しむ」

 13:40-14:40  山内和也(帝京大学教授) 「スイヤブと砕葉鎮城」

 14:50-15:50  岩本篤志(立正大学准教授)「バクトリア北部の仏教遺跡と玄奘 −立正大学の発掘調査から−」

 15:50-16:50  清水信行(青山学院大学名誉教授) 

         「沿海州渤海古城 クラスキノ城跡の調査成果と課題」

 

 [討論]

 17:00-17:20  松村公仁(アナトリア考古学研究所研究員) 「アナトリア考古学から」

 17:20-17:40  佐川英治(東京大学教授) 「東洋史学から」

 17:40-18:00  小林謙一(中央大学教授) 「日本考古学から」

 18:00-18:30  総合討論

 

 私はこれに参加することを決め,終了後の懇親会にも出ますので,もし会場でお会いできれば幸いです。遠慮なくお声をかけて下さい。

                 不具    2019年3月15日      森安孝夫

 

3月30日には私も参加する予定です。

会場でどなたかとお会いできれば幸いです。(野口)

| シルクロード | 09:50 | comments(0) | - |
3月10日、11日というこの頃

 

74年前、1945年の3月10日は、米軍のB29の無差別爆撃により、深川を中心とした東京東部の下町一帯が焦土と化し、10万人以上の方がたが亡くなった日です。

 

 

生まれて2年が過ぎていた私は、母親と2つ年上の兄、それに数人の家の子郎党(古い言い方ですが、まったくこの通りでした)とともに東北へ疎開していたので生きながらえました。

父親と15歳になっていた姉は深川に残っていましたが九死に一生を得ました。それからの私と家族の20年近くの生活は貧困のどん底の生活でした。

 

8年前の2011年3月11日は、東日本大震災の地震と津波によって行方不明を含む2万人以上の方がたが亡くなりました。今でも多くの方がたが、家に帰れないでいます。

 

福島第一原発は大きく破壊され、今も放射能を完全にはコントロールできておらず、自宅に帰れなかったり、帰っても元の生活には戻れない方がたもいます。

 

私と妻とその友人は、この年の4月、被災地を訪れるとともに、秋田県の渤海国使節の迎賓館の遺跡を訪ねる旅をしました。

ある程度道端に寄せたがれきの道を黙々と歩く老夫婦がいました。話しかけましたが、ただ、首を振るだけでひと言も答えませんでした。

この写真は私のPCの画面の背景写真に据えています。

震災直後の11年3月頃に発行された週刊朝日の震災特集号にあった写真です。

両親を津波で奪われ、がれきの前で涙を流しながらトランペットを吹く

女子高生ということでした。

 

 

この3月10日前後と言う時期は、世界の各地でいろいろなことが起こっています。

 

今日の朝日を見ていて、ハッと思いおこしました。

そうです。3月10日はチベット動乱と言われる日です。

でも、私はこの「動乱」という言葉は好きではありません。これは「チベット人による民族蜂起の記念日」なのです。

 

中国=正確に言うならば、清、明、元などの王朝は「チベットを支配していた」と歴史を偽っています。これは支配ではなく単なる「駐藏大臣がラサにいた」ということを「支配していた」といっているだけでした。要するに大使を配置していたというだけのことです

 

チベットには正規の政府があり、軍隊があり、切手もあったのです。

1949年10月1日に毛沢東の中国共産党が全中国の権力を握ってすぐの1951年、中国人民解放軍と言う侵略軍がラサに進駐しました。

この時は、平地から3500m、5000Mの高地への進軍で数千人が高山病で死んだということです。

 

その後、チベット各地で侵略者への反乱が続きました。

その頂点に立った反乱が1959年3月10日の蜂起でした。

この日、駐留軍の司令官たちがダライラマを観劇に招待していました。このことを知った僧侶や市民たちは「これはダライラマ猊下が中国軍にどこかへ連れていかれる策謀だ」と思い、決起したのです。

 

ダライラマの冬宮であるノルブリンカ宮殿前は、国民党との戦争で勝利し、鍛え抜かれ、最新式の武器を持った軍がありました。

撃たれて死んだ僧侶や市民たちが5000人ほどいたといいます。市民たちの武器は一発ずつ弾を込める旧式銃だけでした。

2007年のノルブリンカ宮殿。

2007年の旅の友の一行。関西方面の弁護士さんたちと。

これはノルブリンカ宮殿の中にあったダライラマの寝室

同じくダライラマの椅子

ステレオなどがあるダライラマの居室

 

ダライラマはこの時に亡命行をはじめて、最終的にインドのダラムサラへの亡命を果たしたのです。

この十数年は国境を越えて亡命しようとするチベット人にたいして、軍の優秀な狙撃兵が狙い撃ちするのでほとんどの亡命者が殺害されるので激減しているといいます。

 

私が最初にチベットへ行ったのは23年前の1996年のカイラスへの旅でした。

その後、2007年に行った時にはガイドがこう言いました。

「ポタラ宮には五千人の僧侶がいましたが、今ではチベット人僧侶は12人だけです。そのほかの僧侶はみんな僧侶の姿をした若い中国人の兵士たちです。ポタラ宮内部の金の仏像などはすべて奪い取られました。いまあるものはすべて金メッキなどの偽物です」と。

2007年当時のポタラ宮。部屋数は5000くらいあるといわれているが、

誰も正確な数は知らない

 

わたしたちは3・11が来ると震災を思い出すのでなく、いつも東北を思って復興の努力をすることが必要でしょう。それは特別に行政とその長に責務があるはずです。政府と安倍首相のことです。

 

チベットに関しても、今この瞬間でも多くのチベット人が抑圧され、殺されていること、隣のウイグルの地でも百万を超えるウイグル人が強制収容所で塗炭の苦しみを味わっていることに思いを馳せることが大切なのではないでしょうか。

そして日本においても、あの戦争の惨禍を二度と再び味うことがないようにすること、そして2千万人をも殺害したアジア各国への侵略戦争に二度と手を出さないことが大切だと言えます。

この遊牧民の女性が綱を持っている犬は、オオカミとも戦うといわれるチベット犬。

今では上海や北京の金持ちがみんな買って連れて行ってしまったといいます。

 

下の写真は人々の幸せと輪廻転生を祈ってはためくタルチョ

| 東日本大震災関連 | 11:26 | comments(0) | - |
シルクロードの断捨離をしました

 

 一連のシルクロード講演会が一段落しました。

 

部屋の中は見るも無残、目も当てられない惨状です。

私の机の上は、もう表現できないほどです。

おとといの夜、ワイフから「講演が一段落したら、私が手伝うからあなたの部屋の整理をしよう」と提案されました。

今はやりの「断捨離」です。

 

いつもベッドに入ると部屋の反対側にある本棚を見て、「あそこの本をあっちに移して・・・」などと妄想を飛ばします。妄想というのは、そのようなことは自分では絶対にできないと確信しているからです。

 

きのうの5日、朝食後、ワイフが雑巾をもって私の部屋に入ってきました。

「あれをこちらに移して・・・」と言いながら、オタオタしている私をしり目にさっさと片づけはじめます。「山の神」ではなく「部屋の神!」です。

 

朝9時からはじめて、夜の7時でやっとメドがつきました。

ほとんどすべての書類関係を移動しました。

古新聞を入れるビニールの袋が4つになりました。

部屋の中をシルクロード関連の書籍とA×4の紙が飛び交いました。

 

ここで考えました。“こんなに紙に書いたものが多いということは、自分はまだコンピューターではなく、紙でものを考えて、紙で処理しているのだな”と自己分析ができてきました。

ですからきょうも紙の処分をすすめていますが、そうかといってパソコンで何もかも操作できるほどの技量は持ち合わせていません。

スマホでも使えるのは電話の受け答え、メールとフエースブックを見る、返事は書かない、ネットでニュースを見る程度です。

多くの時間は自宅にいるのですからスマホを手放そうかなとも思いますが、電話は手放せないので、困ったことです。

 

でもまぁ〜、部屋の中と机のまわりが整理されたのですから、これからは「大航海時代」と「一帯一路」の研究に進もうかなという思いもあります。

そうそう、整理をしていたら探していた台湾のある重要なテーマを書いた資料が出てきました。

高度計やらなにやら機能がたくさんついている時計を一昨年に買ったのですが、それも同様にトリセツがなくなっていたのですが、それも出てきました。

渤海関係の資料もあれもこれも出てきました。

これからが楽しみです。

| コメント | 09:39 | comments(0) | - |
シルクロードは毒にも薬にもなります

 きのう4日、日比谷公園の交差点の角の「マリンビル」で、ある旅行会社のシルクロード講演会でお話ししました。長年、シルクロードのパッケ―ジツアーを続けてきたという会社でした。

 

氷雨と言えるような寒さの中、日比谷の駅から傘もささずに歩いて行ける場所でした。

 

 

 会社から提示されたテーマは、“シルクロードのロマンをたっぷりお話ししてください”ということでした。天下のアマノジャクとしては、そういう話は得意ではないので準備に悪戦苦闘しました。それで、会社に「お誘いのチラシをくれ」といって取り寄せたものが、「中国・中央アジアをゆく 西域シルクロード講座とツアー発表会」。

社員の方に写真をお願いしたのですが、同じところから2〜3枚、

写しただけでした。なんとも〜〜・・・

 

 顧客へのイメージの売り込みがポイントとなる旅行会社ですから、“シルクロードのロマンをたっぷり”という要求はわかります。ほとんど出来上がっていたパワーポイントを半分以上作り直しました。そして画面には出さずに言葉で表現しようと思いました。

雨のため高齢者の出席者が少なく30人ほどの参加でした。そのうち女性は3分の2ほど。参加された皆さんにシルクロードへ行ったことのある人をきいたらお2人ほどでした。

 

 結局、ご紹介したものは、西安から蘭州をスタートして、敦煌までの河西回廊、青海省、そしてハミから西域北道・西域南道、そこからさらに進んで中央アジア五か国というように広がっていきました。

 これはとても1時間では終わらないと思っていましたが、結局、お話しの最中に、何度か担当者の了解を得ながら1時間半にもなってしまいました。

 

 シルクロードの風情あるシーンをたっぷりお見せしながら、説明はやはり、「シルクロードは変わってしまった」

「ガイドはウイグル人から漢人に代わってしまって中華本位の説明になってしまっている」

「ウイグル人の友人が一人もいなくなってしまった」

「一帯一路政策がアジアと世界に大打撃を与えている」

「トルファン近辺には核実験による放射能患者が多数いる」

 という話ばかりになってしまいました。

 

 出席された方がたは面白そうに聞いていました。終わってから帰るときにその方がたの前を通るとき、「面白かったですよ」「シルクロードの実態を知ることができてよかったです」「またお話を伺いたいです」などの声を次つぎとかけられました。

 この言葉があれば、悔いはありません。

 

 次は、パワーポイントでご消化した写真です。

麦積山石窟

モンゴルの覇者であったウイグルがキルギスに破られてタリム盆地に落ち延びたほかに

河西回廊にも少数が落ち延びました。その末裔が「裕固族」です。

嘉峪関からさらに奥深く分け入ったところにある馬蹄寺石窟

 

 

| シルクロードの光と影 | 06:07 | comments(0) | - |
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