シルクロード日誌

日本シルクロード文化センターのブログページです。シルクロードに関する情報、コメント、旅日記などを綴ります。
現代シルクロード研究会 テーマ「東トルキスタン共和国政府の成立と崩壊」

  いよいよ今週の土曜日、現代シルクロード研究会の日です。

「地獄の様相」を呈している新疆の現状だけでなく、その歴史変遷を主にお話しします。

王珂執筆の内容も重要ですが、現時点における実際の姿も反映したいと思います。

ふるってご参加ください。

来日してウイグルの悲惨な現状を講演したラビア・カーディルさん(左の座っている女性)

 

 ウイグル人をはじめとした新疆のトルコ系民族は、長い間、この地を“祖国”とし、その独立を願ってきた。その独立運動の思想的政治的な源泉が“東トルキスタン共和国政府の成立と崩壊”であった。  

今回は王珂(おうか)の不朽の名著をもとにして、現代的な課題を加えて解明していきたい。

日 時 2018年3月24日(土)午後1時〜4時まで。

会 場 狛江市泉龍寺・仏教文庫会議室  電話 03−3480−3251

201-0013 狛江市元和泉1−6−1  講師・野口 信彦
            小田急線狛江駅下車徒歩3分程度です。

受講費 500円(資料代)
狛江駅北口を背中にして左側を直進。突き当りが泉龍寺。

境内の右手奥にある建物が「泉龍寺仏教文庫」です。

| 現代シルクロード研究会 | 03:11 | comments(0) | - |
森安通信

きのう、大阪大学名誉教授の森安孝夫先生からの「森安通信」が届きました。

大変重要な内容だと思いましたので、このブログに転載させていただきます。

野口信彦

 

 

森安通信 読者各位

 

 3月1日の読売新聞に,中国の内蒙古自治区で発掘された遼帝国第6代皇帝・聖宗の王妃(993年没)墓より出土した複数のガラス器の成分が,ウズベキスタンで出土した9〜10世紀の中央アジア産のガラスに近いことが判明したという記事が出ました。ガラスの専門家である中井 泉・東京理科大教授による広範な成分分析の比較検討を踏まえてのことです。

 

一連の調査研究を指揮された牟田口章人・帝塚山大学教授によれば、「中央アジアのガラス器が草原の道を経て東に運ばれた」証拠になるということです。その記事の電子ファイルをこの通信メールに添付します。私もコメントを求められたので回答したのですが,その主旨は,

(1)10世紀のサーマーン朝〜カラハン朝支配下の西トルキスタンで生産されたガラス器が遼(契丹)帝国に達するには,当然ながら中間の東トルキスタンを支配していた西ウイグル王国を経由するはず,

(2)西ウイグルから遼に到達するには,モンゴル高原の草原地帯を通過するゴビ(砂漠)北方ルートと,甘粛省北部にある河西回廊のオアシスの道から北中国を経由するゴビ南方ルートがあるが,当時の南方ルート地帯の複雑な政治情勢に鑑みれば,はるかに障害の少ない北方草原ルートが利用された可能性が大きい,というものでした。

実際,私のライフワークである『古ウイグル手紙文書集成』に含まれる手紙には,商業目的で契丹へ行く者や「契丹へ(国家の)使者として行く者」が登場します。それらの手紙の文面からは,河西回廊の敦煌にあった王国や北中国の五代王朝などを経由するような雰囲気は全く読み取れず,やはりダイレクトに契丹へ向かったと思われるのです。とすればそれは現在のモンゴル国を経由する草原ルートしかありません。

 

 ところで昨日は,帝塚山大学東生駒キャンパスで宇野鷲弑擬によるソグドのカフィル・カラ遺跡の発掘報告会(副題:ゾロアスター教板絵の発見とシルクロード交流の十字路)に参加してきました。この浮彫板絵は,昨年11月3日の新聞各紙で報道されたもので,カフィル・カラ遺跡は8世紀初頭のサマルカンド王の離宮が焼失した跡ですが,板絵本体は6世紀くらいにまで遡るもののようです。その板絵には箜篌(くご=ハープ)や琵琶や笛やタンバリンのような楽器がくっきりと浮き彫りされており,その形状が正倉院所蔵品との比較で注目されました。その報告会も十分に有意義だったのですが,私にとって驚愕だったのは,牟田口教授からUSBメモリに入れていただいた大量の情報の方でした。

 それを帰宅後に見たところ,3月1日の読売新聞に掲載された記事は,実は2月25日に奈良県の橿原考古学研究所で開催された「金の冠 銀のブーツ 遼代王妃墓の謎を探る」と題する学術成果報告会の内容の一部をごく簡単にまとめたものだったことが判明しました。その報告会は一般公開で誰でも参加できたそうですが,どうやらPRは主に奈良県内に限定されたらしく,私は全く知りませんでした。

2012年に大阪と東京で開催された「契丹」展にも,遼朝の王族・貴族の墓から出土した豪華な金銀器とか,贅沢な細工を施した巨大な木棺など中国の国宝級文物が展示されていて目を見張ったものですが,遼代考古学はその後もどんどん発展しているようです。

先のガラス器を出土した聖宗の王妃墓の発掘が,2015〜2016年に実施された内蒙古自治区の多倫県小王力溝にある遼代の遺跡発掘の一環だっただけでなく,これまでにいくつもの遼代墓から出土した染織品の比較研究によって,新たな知見が得られつつあるようです。染織品には金糸銀糸を織り込んだり刺繡したもの,「遼式緯錦(よこにしき)」の技法を用いたものが含まれ,最終的に金襴が誕生する謎に迫れるかもしれません。また染織に関する平安時代の日本と遼国との深い関連性も指摘されていますから,いずれ仏教文化における両国の結びつきも見直されることになるでしょう。

 

 ところで前回の通信で短く言及した大阪市中之島の東洋陶磁美術館で3月25日までやっている「唐代胡人俑」展ですが,その展示物は甘粛省の慶城県で発掘された穆泰墓から出土したものです。東洋陶磁美術館の展示でも,またカタログでも一言もソグド人という言葉が出てきていないのは,恐らく元の中文報告の執筆者に加え,日本語版カタログ編者の小林仁氏にもこの「胡人」は鮮卑人であるという思い込みが強く,ソグド人ではないかと疑ってみる余裕がなかったからでしょう。

しかしながら吉田豊・京大教授と私の見方は,やはり墓主の穆泰は間違いなくソグド人であろうというものです。いわゆるソグド姓には穆氏も含まれます。我々にはもはやこれについて一文をものするつもりはありませんので,どなたか若い方がそういう視点で墓の出土品全体を見直しながら,墓誌本文の情報並びに関連史料を精査してくだされば,北朝〜唐代に東方に進出したソグド人について,また1つおもしろい論文が書けるのではないかと期待します。

             不具    2018年3月18日   森安孝夫

| ソグド | 08:53 | comments(0) | - |
イランの歴史をお話ししました

 遅くなりましたが、先週土曜日の10日、「第91回シルクロード講座」でイランの歴史をお話ししました。

 10日の講座をなぜ、今日まで書かなかったのかというと、撮影したCANONの写真をパソコンに取り込むものが一つも見当たらなかったのです。毎日毎日、家の中を探したのですが、いまだに見つかりません。すぐに見つかるだろうと思っていたのですが、皆目見当たりません。当日の写真はないのですが、イランそのものの写真はありますので、それでいきましょう。

 

 4年前の2014年に2回目のイラン旅行に行ったわけですが、イランを考えれば考えるほど、実に長い歴史があるところだと思います。ブログとしては、だいぶ長くなりますが、本文と写真の次に、イランのおおよその歴史をメモしておきます(当日の写真より、そちらのほうが大切なのですがね)。

 

 そして、イランには世界遺産に登録されたものがたくさんあります。その一覧もあるのですが、一覧ばかりでは怒られますので割愛します。

 

 講座の当日は、事務局長をはじめ、常連の皆さんの何人もが欠席でした。前月よりも少ない人数だったのですが、お話しする側としては、聴講する方が10000人でも1人でも同じことなのです。同じ市内に住む男性の方が見えました。神奈川県に住む女性の方も見えました。初めての方がたです。

 

 パサルガダエにあるキュロス王の墓

 歴史遺産のお勉強に来た高校生。鼻のあたまの白いものは、「鼻が高くなる薬」だそうだ

イスファハーン 

こちらは中学生のようです

絢爛豪華なイスファハーンのモスク内部

ここでは女子大生が「写生」。私たちのメールアドレスを聞いてきた。

戒律と規制のおかげで、外国人と知り合いたのだそうだ。

 

 アケメネス朝

 紀元前546年〜紀元前333年、アケメネス朝は、キュロス2世によりメディア王国、リディア王国、新バビロニア王国を滅ぼし、新バビロニア王国によって移住させられたユダヤ人を解放し、“バビロンの捕囚”を終焉(しゅうえん)させた。そしてキュロス2世の息子カンピュセ2世により、エジプトを併合して古代オリエント世界を統一した。そのダレイオス1世はペルシア戦争を起こしたが敗北し、ダレイオス3世のとき、マケドニアのアレクサンドロス大王により征服され滅亡した。

 

  このころ日本は、縄文時代であり、アケメネス朝がアレクサンドロスに敗れて滅亡したのが紀元前333年であった。日本は縄文時代がそろそろ終わりをつげ、弥生時代に入ろうとする頃だった。


アルサケス朝
 紀元前248年、アルサケス朝成立。アルサケス朝は、アルシャク朝パルティアとも呼び、古代中国との交易があった関係で「安息国」とも呼ばれていた。セレウコス朝シリアから独立し、アルサケスにより建国された。ローマ帝国との抗争で、ローマ将軍のクラッススを戦死させた。
サーサーン朝
 西暦226年、サーサーン朝ペルシアが成立。サーサーン朝はアケメネス朝の正統な後継者を称し、アルサケス朝と戦い勝利し、アケメネス朝ペルシアの称号を引き継いだ

 ローマ帝国との抗争では、シャープール1世はヴァレリアヌスを捕虜にした。東ローマ帝国との抗争で、ホスロー1世はユスティアヌス1世から賠償金を得た。

 ホスロー1世は突厥(とっけつ)の室点蜜と同盟を結び、サーサーン朝を圧迫していたエフタルを滅ぼした。


 570年、ムハンマド誕生。             日本は古墳時代に入る。
 651年、ヤズデギルド3世の時代、ニハーヴァンドの戦いで、正統カリフ時代のイスラーム帝国に敗北、サーサーン朝が崩壊。再起をめざしたが滅亡。初代イマーム・アリーがカリフになる。
 661年、3世紀ころからゾロアスター教がペルシアの国教になる。サーサーン朝が滅亡したころ、日本は飛鳥時代に入る。
 661年、ウマイヤ朝成立。
 749年、アッバース朝成立。            日本は奈良時代に入る。
 818年、イマーム・レザー没。
 874年、サーマーン朝成立。            日本は平安時代に入る。
1038年、セルジューク朝成立。
1256年、イル・ハーン朝成立。
1370年、チムール朝成立。             日本は鎌倉時代に入る。
1501年、イスマイール、サファヴィー朝成立。
1722年、サファヴィー朝滅亡。           日本は江戸時代に入る。
1736年、アフシャール朝成立。
1750年、ザンド朝成立。
1850年、バーブ教弾圧。              日本は明治時代に入る。
1905年、立憲革命。                日本は大正時代に入る。
1925年、パーレビ朝成立。             日本は昭和時代に入る。
1951年、石油国有化宣言。
1979年、イラン革命。イラン・イスラム共和国成立。
1980年、イラン・イラク戦争。
1989年、ホメイニ師死去。             日本は平成に。

| シルクロード講座の報告 | 02:10 | comments(0) | - |
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