シルクロード日誌

日本シルクロード文化センターのブログページです。シルクロードに関する情報、コメント、旅日記などを綴ります。
ウイグル人の生活習慣及び風俗・伝統あれこれ ―17

ウイグルの葬式

このモスクは、私が定宿としていたホテルの眼の前。

新疆芸術劇団の近く、新華書店の近くにあるタタールの

モスク。ちょうどここで葬儀があった。

 

 

ウイグル人の葬式には、かつては鳥葬や火葬などがあったが、イスラーム化されてからは土葬となった。

西域南道のどこかの道筋で出会った葬列。どこだか忘れた。

 

家族が病院や仕事場で亡くなったら、まず遺体を自宅へ運ぶ。夜中に亡くなった場合では、翌日の朝まで遺体を見守る。それからモスクに朝の礼拝にきた人たちは、亡くなった人の家へ行く。亡くなった人が女性の場合では、4人の女性がまず沐浴した上で、顔にマスクをかけて遺体を沐浴させる。男性の場合では、4人の男性が遺体を沐浴させる。沐浴された遺体は白い布で覆われ、遺体の顔を家族や親戚に見せる。家庭によっては沐浴された遺体に香水や香りのよい木の葉をかけることがある。

どこかのオアシスでのお墓

同所

これもどこかの街の葬儀の模様

 

 

地方によっては、亡くなった人のために行われるNezir(ナズル)の日にちが違う。人が亡くなった日を含めて3日目、4日目、トルファン地域では5日目、ウルムチでは7日目となっている。それから40日目、1年目、2年目、3年目とNezirを行なうことがある。

これはホータンのお墓。だが、この旗はチベット仏教のタルチョーではないか!

ホータンは新疆では最も早く仏教が興隆した地。仏教も何にも知らないでいるのか、

はたまた・・・・

同所

 

日本にも少なからぬイスラーム教徒がいるが、ある人が、不幸にして日本の地でなくなって、地元自治体の理解不足で火葬許可書を出して焼かれてしまったことがあって、大問題になった。あるいは子どもが日本人の学校に入学して、給食に出された豚肉を食べてしまって、これまた大問題になったこともある。日本にとって、まだまだイスラームは遠い世界のことなのであろうか。

同所の墓穴。だいぶ誤解されている向きもあるが、遺体は、頭をメッカに

向かせるのではない。墓穴に入れてから顔をメッカに向けて寝かせるのである。

 

墓守の女性だが、彼女は数珠を持っていた。

私は、数珠は仏教だけかと思っていた。

 

2017年の昨今、成田空港ではやっとハラームの食事が出るようになったが・・・

| シルクロードの光と影 | 09:21 | comments(0) | - |
ウイグル人の生活習慣及び風俗・伝統あれこれ ―16

カシュガル歌舞劇団訪問

 

割礼の宴の翌日、車から降りると泥だらけの道を歩いて「カシュガル歌舞劇団」を訪問した。入り口で昨日の宴に案内してくれたヌル・メメット君が待っていてくれた。彼は、翌年に日本に留学する予定なので、特に私に対するサービスがいいのである。

彼がヌル・メメット君

もう13年前になる。今年、カシュガルへ行くので再訪したい

 

まもなく試験ということで1階正面の部屋では、既に女性たちが踊りのレッスンの最中。みな真剣な眼差しで楽器の演奏の勉強やレッスンをしている。「カシュガル歌舞劇団」への入団資格は女性が身長170センチ以上。彼女たちのほとんどは、入団後、すでに既婚者であるという。オスマンががっかりしている。男性たちもほかの部屋で練習中だ。昨日の割礼のお祝いで顔を見知った人たちもいる。

 

男優たちの練習風景

 

歌舞劇団でフルートを吹く美しい女性バハティニサさんは、きのうのお祝いの席で、ブルーを基調とした美しい民族衣装をまとって司会をしていた。私がプレゼントするためにポラロイドカメラで写しはじめると「あっ、きのうの日本の方ですね」と思い出してくれた。そして突然、日本の童謡「浜辺の歌」をフルートで演奏してくれたのでビックリ。北京の民族学院に派遣されて勉強したとのことだ。

きのうの宴の華麗な衣装とは違ったが、質素な中にも美しさをひめたバハティニサさん。

ここで突然「浜辺の歌」を演奏してくれた。そして私も歌った。

 

 

「北京民族学院では、みんなから日本人に似ていると言われていました」という。ほんとうに美しい日本女性のような人だった。そして私も彼女のフルートに合わせて「浜辺の歌」を歌った。気持ちよく歌えた。

左がバハティニサさんですが、日本人に似ているでしょう?!

 

カシュガルの音楽学校を卒業して、入団後半年というアルズグリ(希望の花)さんは17歳。ブルーの瞳の美しい少女である。ラワップを弾きながら高く澄んだ声で歌う。歌は高音域の中国式の唄い方だった。最近ではこのような弾き語りが重要視されているという。父親がこの歌舞団の幹部だという彼女だが、親のコネで入団したという感じではなく、小さい頃からの英才教育の華が開いたような見事な演奏と歌だった。 

アルズグリさんという名前も多い。

| シルクロードの光と影 | 09:30 | comments(0) | - |
ウイグル人の生活習慣及び風俗・伝統あれこれ ―15

ウイグル人の祭り


たしか、今日か明日あたりから「ノウルーズ祭り」なのではないだろうか。その辺は詳しくないのだが、ムスリムの友人たちのフエースブックによくノウルーズがあるのでそう思っている。

ウイグルのノウルーズ

※今日の写真は、すべてインターネットから拝借した。

ノールーズを祝う中国のサラール族

 

ノウルーズ祭り

ノウルーズで祝われるハフト・スィーン(Haft Sīn、هفت سین) の品々(テヘラン)

 

 

ノウルーズ祭りはウイグル、カザフ、クルグズ、ウズベク、タタール、タジクなど中央アジアにおけるチュルク系民族に共通の伝統的な祭りの一つである。

トルコ(間違えていたらごめんなさい)

 

 

「ノウルーズ」はペルシア語であるが、ウイグル語では「新しい日、元日」という意味である。現在では旧暦の新年、元旦にあたる。冬が終わって春分の日(3月21日)に行う祭りである。

トルクメニスタンのノウルーズ

 

 

ノウルーズ祭りの日には7つまたは9つの材料(小麦、大麦、米、アワ、肉、ミルク、水などで、肉がなければ羊の頭、足や内臓を)入れるが、地方によって多少の違いがある。トルファンでは7つの穀物−大麦、小麦、米、大豆、アワ、高粱、プンドゥ(リュクズ)などで「ノウルーズ料理」(玉米粥)を作って食べる。

この日は、男も女も皆が綺麗に着飾って景色のいい場所に集まる。そこで、みんなでノウルーズのための催しを行う。農業の収穫がたくさんあるようにと祈って新年を迎える。

カザフスタンのノウルーズ


 ノウルーズ祭りがいつから始まったのかについて、明確な記録はない。しかし、いままで伝えられてきた伝説や神話によると、ウイグル人がイスラーム化する前、原始宗教を起源とする大自然を信仰した時代から祭られてきたと考えられている。

 

 

ノウルーズペルシア語: نوروزnowrūz)は、イラン暦元日。地域によってはナウルーズ、ナイルーズ、ネヴルーズなどとも言う。ペルシア語で、ノウ(nowنو)は「新しい」、ルーズ(rūzروز)は「日」を意味する。太陽春分点を通過する春分の日に当たり、農事暦上重要であることから、イランを中心に、中央アジアからアフリカまでに及ぶ広い地域で祝われる祭日である。国際連合総会は、2010年2月23日にこの日を「ノウルーズ国際デー」として正式に承認した(ウィキペディア)。

 

アゼルバイジャンのノウルーズ

 

クルバン祭り

 

クルバン祭りはイスラームを信仰している人たちの祭りの一つである。「クルバン」というのは「犠牲」という意味である。

 

紀元前12世紀ごろ、預言者イブラーヒムが自分の忠誠心を神に表すために、息子イスマーイールをミナ山で神に捧げようとしたという故事から生まれたものである。今度は『旧約聖書』の世界である。

 

クルバン祭りの日の朝6時ごろ、7歳の男の子までは大きなモスクやお墓へ行って、クルバンナマズ(礼拝)をする。それが終わってから、神に対しての忠誠を示すために、羊(山羊か牛でもよい)を一頭屠殺する。肉を先ず貧しい人たちに少しずつ分け与える。農村では、まずモスクに礼拝しにきた一群の人びとに食べさせ、残った分を家族で食べる。クルバン祭りのために屠殺した動物の肉を、3日間で食べてもらうのがイスラーム式のやり方である。

 

ローザ祭り

 

ローザ祭りは、「ラマダン祭り」ともいう。イスラーム教の人たちは毎年1ヶ月断食をして心身を清める。30日間断食をして、3日間休むのが断食明けの「ローザ祭り」である。断食はイスラーム教の5行(信仰告白、礼拝、断食、喜捨、巡礼)の一つであり、イスラーム暦の9月に行われる。断食の間、イスラーム教の人が経営しているレストランや食堂はほとんど閉められる。


現在では、ウイグル人の中では断食するものが少なくなってきて、レストランや食堂の経営者は閉店しないのが現状である。

| シルクロードの光と影 | 06:34 | comments(0) | - |
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