シルクロード日誌

日本シルクロード文化センターのブログページです。シルクロードに関する情報、コメント、旅日記などを綴ります。
第107回 シルクロード講座

日本シルクロード文化センター会員の皆様
シルクロード講座等行事にの
参加されたみなさま

 

第106回講座は、台風19号のため中止いたしました。

この台風により多くの地方で被害にあわれ、狛江市でも床上浸水が92棟、床下浸水152棟という被害が出ました。被害にあわれた方がたに心よりお見舞い申し上げます。

みなさんのところではいかがでしたでしょうか?

そんな中ですが、11月9日のシルクロード講座のお知らせです。お誘い合わせてお越し下さい。

 

第107回シルクロード講座 11月9日(土)13:00 〜 16:00

「シルクロードとグレート・ゲーム」 講師:山内和也(帝京大学文化財研究所教授)

 

 「グレート・ゲーム」は、19世紀から20世紀にかけ、コーカサスからチベットにおよぶ中央ユーラシアの広大な地域を舞台に展開されたイギリス帝国(大英帝国)とロシア帝国の勢力圏拡大競争です。この時期、世界の一体化が進行するなか、帝国主義政策の空白の地域となっていた中央アジアにおいて、英露両国によって外交諜報活動が活発に行われました。それは、同時に中央アジア、そしてシルクロードの探検の時代でもありました。講演では、グレート・ゲームとシルクロードの探検に焦点をあててお話しします。また、現在、発掘を行っているアク・ベシム遺跡そして、現在まで続くシルクロードをめぐる競争について紹介します。

<講師プロフィール>
 帝京大学文化財研究所教授、専門はイラン、中央アジアの考古学、文化史。

現在、キルギス共和国のアク・ベシム(スイヤブ)遺跡で発掘を行う。

また、アフガニスタンのバーミヤーン、インドのアジャンター、タジキスタン、エジプト、ヨルダン、アルメニアなど、西アジアやコーカサス、中央アジアで広く文化遺産保護の活動を行う。

 

後半は質問・交流タイムです。
参加費:1,000

場所:みんなの広場
        狛江市東和泉2-20-12-103
       
小田急線和泉多摩川駅徒歩5分

<問合せ・申込み>
  Tel & Fax: 03-3480-4478(野口)
        080-5483-6740
    E-mail : silkroad-j@ef.lomo.jp
 ホームページ http://silkroad-j.lomo.jp/

| シルクロード講座のお知らせ | 10:52 | comments(0) | - |
八千草薫さんと私とのつきあい

わたしが最も好きな女優は吉永小百合であり、八千草薫さんでした。

八千草薫さんと「さん」付けするには、十分な理由があるのです。

その理由のひとつは、私より高齢であるということ、日本の映画や芝居という文化分野で多大な貢献をしてきたことがあり、最大の原因は「美しい」ということです。

 

と、ここまでは誰でもが言えることなのですが、あまりみなさんの知らないことをおはなしします。

私の現役最後の仕事は「日本勤労者山岳連盟」(略称・労山)の専従事務局長だったのですが、八千草さんの亡き夫・谷口千吉監督は、その労山創立の呼びかけ人だったということです。無類の山好きで、彼女と結婚してからも自然の中に分け入り、妻の力量にあった山登りをしていました。

 

もう30年近くになるでしょうか、わが団体の機関誌に谷口千吉さんの思い出を書いていただこうということになり、八千草さんに書いていただきました。それ以来、わたしの“恋の炎”は消えることなく燃え続けているのです。彼女の経営する拙宅近くの成城の小料理屋へ行ったこともあります。もちろん、彼女はいなかったのですが、素敵な雰囲気のお店でした。

 

そのすぐ近くに石原裕次郎の豪華な家があります。いまは奥さんが一人で住んでいて、成城で買い物をすると目立つので狛江まで来て買い物をするとワイフから聞いたことがあります。

                                       

むかし、TBSテレビで多摩川の狛江市内の決壊の被害を扱った「岸辺のアルバム」というテレビドラマがありました。わたしは毎日が多忙で一度も見ることがなかったのですが、当時は大評判だったようでした。八千草さんは、その多摩川の自然の中に分け入って歩いていたということも最近知りました。

 

友人に私の住まいを聞かれて「狛江」というと、よく「あ〜、あの岸辺のアルバムの狛江ですね」と言われました。そのほかには「バカラとばくで捕まった市長のいた狛江ですね」ともいわれるし、「共産党員市長のいる狛江市ですね」とも言われますが、わたしは「超高級住宅街の成城学園の高台からガクンと落ちた先の狛江」だとも言います。

 

共産党員の矢野市長(だった)とは古くからの友人でしたので、夜になって「夫婦で飲もうよ」となって、楽しく話すうちに気が付いたら朝だったということもありました。

バカラとばくの市長だった人物は高橋三雄氏でした。そしてその当時、私は山登りの会「狛江山遊会」の会長でした。あるとき駅近くから自転車で帰宅するとき、無灯火でした。それまで20〜30年も無灯火で乗っていました(よくないことだと、今では反省しています)。その時、警官が私を止めて「罰金だ」とかなんとか言い出しました。わたしはジョークのつもりで「おれは狛江山遊会の会長だぞ!」というと、その若い警官は私を石井三雄氏の後援会長かと勘違いしたようです。「失礼しました」で終わりでした。でも私は「でも交通違反だろう?」といっても、「どうぞお帰り下さい」というばかりでした。権力者に媚びるということは、こういうことだなと痛感しました。

 

その多摩川水害の被害者たちが国を相手に裁判を起こし、その多摩川水害訴訟団として事務局長に吉沢四郎の名前で活躍したのが、ペンネーム土井大助さんだったのです。

2014年に死去する前の土井さんとは主には居酒屋の付き合いでしたが(でも拙著の推薦の言葉なども寄せてくださっていました)、前年に亡くなった奥方の死を毎度毎度、嘆き悲しんでいました。そのとき私は、このような夫でいたいなと思ったものでした。

 

でもその前に、1960年代後半の中国の文化大革命の際、私は北京で日本人紅衛兵たちによる暴力や脅迫などによって生か死か、という状況の時、土井さんは同じ中国の大連にいたことを後で知りました。

 

八千草さんの自宅は、その成城でしたし、小料理屋さんもその近くでした。その関係で岸辺のアルバムのロケの前後には、狛江の多摩川土手をよく歩いていたそうです。そのように自然が好きだったそうです。

緒方貞子さんも亡くなって、そして私の親しい先輩や友人たちも亡くなって、「その人の生涯はどのような人生だったのだろうか」と思いこむことが多くなってきました。「自分の人生はどうだったのだろうか」という思いとともに、「この先何年あるかわからない自分は、いかに生きるべきか」ということを、ことのほか痛切に考えるようになりました。

 

きょうは、思いが余ってか話があちこちに飛びましたが、八千草薫さんと私とのお付き合いはそれだけのことでしたが、哀しく、寂しい想いがするばかりです。

それに輪をかけて悲しかったことは、沖縄・首里城の焼失です。

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金婚記念のチベット・アムド旅行

ロンウ―寺

前回の本欄の内容で訂正です。

ドライバー君のお宅でごちそうになった夜のことです。あとからドルチェから聞いて知ったのですが、ノコちゃんから指示された金額のお礼を支払おうとしたら、断固拒否されたとのことです。「お客さんをお招きしてお金など受け取るわけにいかない」ということでした。もう一つあとから聞いたのですが、私たち夫婦のお礼の気持ちもうちの奥さんがお渡ししたとのことです。さすがです。

でも丁重に断られても、なんとかして手輪渡すのがガイドの仕事なのに、彼女はそのまま「はいそうですか」とひっこめてしまったのですね。しようがない人ですね。

 

翌日はいよいよ西寧の街に向かいます。

最初はロンウ―寺(隆務寺)です。

このお寺もラプラン寺と同様、限りなく広いお寺です。今回は説明を省きます。といっても今回は何人もの方がたを引率しての旅ではないからと安心してあまりメモを取らなかったのです。

ここがロンウ―寺の正門です

 

「五体投地」

このお寺の特徴のひとつは数多くの「五体投地」の場所があるということです。

入り口の近くのお堂には、主婦や子どもあるいはおなかの大きい女性や老人の男女ありとあらゆる年代の方がたが、回っています。正確に言うと五体投地ではなく、お堂をグルグルまわることだけです。

その代わり、入り口から出て道路を挟んだ広場は広々とした五体投地の場所です。まずは写真をご覧ください。

 

入り口から入ったところで子どもを遊ばせながら手仕事をしているお母さんが居ました。それよりそばにいた2〜3歳の男の子がなんともかわいくて彼の写真ばかり撮っていました。

彼はこのあと、私を履き出そうとしていました。ニコニコとして

 

道路の向こうの五体投地の広場に出て、遠くの高台などを見ていると突然の爆発音。爆発か!と驚いてみていると、なんと爆竹を大量に爆発させているのです。白、黄色、赤、紫といろいろの色がついています。

色とりどりの色で華やかです。でもご近所はうるさいでしょうね。

 

 

振り返ってお寺を見てみると、お寺の後方にはところどころ小さな建物があります。五体投地を休憩している人に聞いてみると、あれはお寺の現役を退職した人たちの家だそうです。日本で言えば、年金生活をしていて、養護老人ホームに入るまでもないような人の家です。

どこのお寺でも「養老院」と書いた施設があります。結婚をしないで仏教の道を歩んできた人ですから、それくらいのことはしないといけないですね。

後ろの山のどこかに「鳥葬」をおこなう場所がありました

 

 

五体投地をしたことはありませんが、私にとってはダイエットができていいなと思います。全体重をかけて腕で体重を支えて、次は反対側の筋肉を使って立ち上がる。

しかし、そんなことを言って失礼です。それぞれの人が、様ざまな悩みやダライ・ラマと心の中で対話できるという喜びなどを感じながら歩き、礼をささげているのでしょう。わたしもついに彼らと一緒になって5〜6回、歩きめぐりました。

これはお寺の中の礼拝堂です

お寺の外の五体投地をする場所です

 

お母さんに連れられてきた子どもたちも、ときには一緒に五体投地をしています。わけの分からないままに五体投地をする子どもや、多少は理解できて礼をささげる子もいるでしょう。なんともゆったりした風景です。

 

 

しかし、チベット人が焼身自殺するのは、チベット自治区ではなく、この青海省だといいます。ラサの街で6人縦隊の隊伍を組んで行進する武警があちこちにいます。最後尾の一人は必ず消火器を持っています。すべてあれは見せかけのパフォーマンスだということがよく分かりますね。それを考えた軍の幹部はそういうことが分からないのですね。

なかなかおしゃれなシティガールです。最近は、ちょっと着替えれば西寧や上海を歩けるような服装の女性が多いです

| コメント | 09:15 | comments(0) | - |
金婚記念のチベット・アムド旅行

再び、アムドのドライブがスタートしました。きょうは旅の5日目です。ラプラン寺のあとは、同仁へ向かいます。漢語で「トンレン」で宿泊です。

ラプラン寺の駐車場近くでお茶を飲みました

どこを走ってもこのような」大草原があります

 

ところがかなりの距離を走ってから着いたのが、ドライバー君の家です。ここでチベットの民家の夕食をごちそうになるということです。

それは知らなかった。ドルチェはもちろん知っていたのでしょうが、まだ彼女は「自分がガイドである」という覚悟ができていないようです。

これがドライバー君の家の部屋の一つです

ドライバー君です

日本では仏間かリビングというところにチベット仏教の何かがあります。

いまは、ダライ・ラマの写真は禁止されているのでありません。

 

彼女は2つのスマホを操りながら仕事上の操作をするとともに、明らかに個人的なお友達との会話などです。それとドライバー君と世間話をして、私たちのことも忘れないで時々話をしてくれます。天衣無縫です。東京にいる女子大生ですね、まるで。東京の若い女性とただ一つ違うところがあります。それは私たちを蘭州の空港で迎えてくれた時から1週間後にさよならをする日まで、ずっと同じ服装だったたということだけです。

 

山道を乗り越え、あぜ道かと思えるような細い道を走って、彼の実家に着きました。後で詳しく知ったのですが、彼の両親(お父さんは70歳)と近くに住んでいる娘さん(35歳くらい)がもてなしてくれました。彼の妻と子供はどうやら実家に行っているようです。ここでは、外国人アレルギーがあって、ものすごく恥ずかしがりの女性がかなりいます。おそらくその類で逃げ出したのでしょう。

お母さんと2人のお子さんのいる娘さん

 

お父さんは、私の友人にも同じようなタイプの人がいるような方でした。足が悪くて立って私たちを迎えられないことを何度も詫びていました。お母さんは「典型的なチベット人の女性」という人です。「典型的なチベット人の女性ってどんな人?」と聞きたいでしょうが、それが書けないから、このように書いているのです!

 

 

出てきました。最初はトゥクパです。

お断りしておきますが、私は乳製品が全くダメなのです。ですからチベットやモンゴルの遊牧民の乳製品はほとんど食べられないのです。口に入れると一発直行でアウトです。ですから食べ物の名前も間違えると思います。覚悟してください。

上のチベット風のマントウと真ん中の小皿に入っている「サモサ」が」おいしかったです

 

でも、これだとせっかく心を込めて作ってくださったお母さんや妹さんに申し訳ないです。いま、ここでこのブログを書いていて思い出したのですが、ガイドからお礼は支払ったのでしょうが、私たち夫婦からのお礼の気持ちを持ってこなかったのです。そういう習慣がないからですが、今、思い出しました。1日1杯のワンカップのお酒は(1日一つ)持ってきていますが、多くのチベット人のお年寄りは宗教上の点でお酒を飲む人が少ないのです。

 

ドルチェが手の指でこねているのがトゥクパでしょう。あとたくさんのものが出されました。わたしはナンのようなパン類のものと乳製品の入っていないものを少量、口にしただけです。というとあとは生野菜や何かくらいです。

これがトゥクパですね

 

おおいにごちそうになってお宅を辞しました。同仁のホテルに戻って、改めて軽く麺類を食べ、ワンカップを飲んで寝ました。

ドルチェが撮影してくれました

 

| チベット関連 | 17:10 | comments(0) | - |
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