シルクロード日誌

日本シルクロード文化センターのブログページです。シルクロードに関する情報、コメント、旅日記などを綴ります。
河西回廊の旅ー14  麦積山石窟

 麦積山石窟は中国、甘粛省天水県の南東にある麦積山に残る石窟寺院である。

 

 194の石窟や磨崖仏が現存。造営は宋代に及び、各時代の塑像・壁画・磨崖仏など多数を残しているす。

 まるで収穫した麦わらを積んだような外観から、古くから麦積山崖の名で呼ばれ、切り立った断崖には合計209の石窟が穿(うが)たれている。

首が痛くなるほど見上げなければならない。   

 

 5世紀初頭にすでに禅の修行場として有名であり、清時代まで絶えることなく開窟、修理がおこなわれ、塑像が7800体、壁画1000平方メートルが今なお保存されている。
 

 1993年に中国重点文物保存単位に認定され、現在世界遺産申請に向け準備を進めている。

 また周囲は仙人崖、石門、曲渓とともに「麦積山風景名勝区」として国家風景名勝区に指定されている。

仏像の上に、さらに階段があり回廊がある

 

 とにかく、広い。暑いせいもあったが歩くのに体力がいる。またさらに、幾重にも登っていく先に回廊がある。そして、そこかしこの仏像などがある。まぁ〜、写真をご覧ください。

このような回廊が長く続く

この仁王像は圧巻だった

よくもまぁ〜、こんなところに・・・・

 

写真上段の孔は、杭などを差し挟んで板を敷いて回廊にしたもの。

遥か下を観光客が歩いています

 

| 河西回廊 | 08:33 | comments(0) | - |
河西回廊の旅―13  よくもまあ〜 こんなところに 蘭州 炳霊寺石窟

 炳霊とはチベット語で「十万仏」の意味。


 全長2Kmの石窟回廊は、五胡十六国時代の西秦から隋、唐、明、清までの各時代に造営された。

4〜5年前に私が行ったときは、この仏像は修復中だったので、全容が見えなかった。

 


 特に重要なのは、魏(220〜265年)、晋(265〜420年)の時期である。岩壁には190あまりの石窟があり、大小700体近くの仏像が残されている。中でも最も有名な大仏は、171龕の唐代の大仏だといえる。
 最も古い仏は、壁に「西秦建弘元年」(420年)と記されている第169窟である。これは、ジグザグとした梯子を昇り継ぎ、てっぺんにある。


 拝観料がべらぼうに高額で、写真を撮るのも禁止。なんで?と思う。
 撮影ができないので、必死で記憶に留めようとしたが・・・。それが、漢族の市民たちは平気でバチバチと撮影している。

 やはり、来て良かったとつくづく感じた。昔なら庶民が見れない芸術である。

歩いていくと、ずっ〜〜〜と、このような回廊が続いている


 この劉家峡ダムは、1974年に完成した中国最大級の発電所の一つである。
 更に春に黄河の雪解け水をため、夏の渇水期に下流に放流して、灌漑に利用する。このため、このダムの下になった広大な地域の農民は強制的に移住させられたのだろう。

 

海のような劉華峡ダムをモーターボートで1時間以上も突っ走る。

 

 石窟の上部には、素晴らしい壁画も残されており、階段と桟道から観光できるようになっている。
 険しい峡谷の中腹に石窟があり、「偶像禁止」のイスラム教徒による破壊や外国人探検家による持ち出しを逃れたため、貴重な仏像が多く残されている。

 

 「偶像禁止」は仏教国にある私たち日本人やキリスト教国の市民には理解しにくいことだろうが、逆に言えば、イスラム教国の人たちにとっては、なぜ、偶像を掲げるのか理解しにくいことでもあろう。だから、偶像を破壊したことが、即=悪ではない、のである。ここのところの理解がないと、“まるでイスラムは悪の集団”となってしまう。

| 河西回廊 | 10:08 | comments(0) | - |
河西回廊の旅ー12  張掖郊外の裕固族を訪ねて

 ここまでの道のりは遠かった。遊牧騎馬民の歴史を学び、何度も通った新疆ウイグルの地で“もうひとつのウイグル族”がいることを知り、いつかは会いたいと思っていた。

 一昨年の2010年、寧夏回族自治区から内モンゴルをまわり、河西回廊を経過して青海省へ出る旅をしたが、そのときも河西回廊でもうひとつのウイグル人=裕固族に会いたいと願ったが、ずさんな内モンゴルの旅行会社のめちゃくちゃな計画のおかげで通過せざるを得なかった。恋しい人に会いたい気分だった。

 

 そして、彼らは張掖の奥の奥・馬蹄寺石窟にいたのである。

馬蹄寺にいた裕固族の娘さん。やはり服装はモンゴルの影響が強いものであった。

 

 

 入場券売り場に裕固族の女性が民族衣装を着て立っていた。彼女に聞くと、彼ら裕固族の集落は、ここの石窟からさらに100kmほど河西回廊の南側に沿って西へ進んだところにあるという(実際はそんなに遠くはなかった)。おそらく日本人でもこの裕固族に関心を持っている人は少ないと思うし、ここまで来る人はさらに少ないと思う。裕固族の集落に入った人がいるか興味深い。彼女は受付の仕事に忙しいので先を急いだ。

 

 しかし考えてみるに、彼女たち裕固族の仕事がこの様な場所で民族衣装を着て愛想を振りまくだけでいいのかとも思える。仕事が少ないのは確かなので、それだけでも彼らにとってはこの上ない仕事なのだとは思うが。

 

 車が道を何度も迷いながらたどり着いた。先ほど入場料を払ってこの地域に入ったが、馬蹄寺石窟に入るには、またさらに払わなければならない。裕固族の男性はそこの入場料金徴収所にいた。昼間から酒を飲んで赤い顔をしていて、話していると酒臭い。その鐘福江という男性に聞いた。日本の山仲間のTという男とそっくりなので気味が悪いくらいであった。

鐘福江という名前の彼は、馬蹄寺石窟寺院の料金所にいた。

 新疆のウイグル人との交流は、今はあまりないという。しかし、ウルムチまで行って新疆大学で学んでいる学生は毎年いるという。

 

 私が「あなた方の祖先がモンゴル高原でキルギスとの戦争に負けてタリム盆地と河西回廊に下ってきたことは知っていますか?」と聞くと「もちろん知っています」という。新疆のウイグル人はそのことについては、ほとんどの人が明確に言わない。負けたことは言いたくないのだろうが、いつも思う。“歴史の真実に忠実たれ”と。

 

 ポラロイドカメラで彼を写した写真が、次第に鮮明に出てきた効果が出てきたのか、彼の口も滑らかになって来た。「裕固族には東部と西部の2種類がいます。東部の裕固族はモンゴル語に近い言葉を使っています。西部の裕固族は、ゆっくり話すと新疆のウイグル人と話せる程度の言葉を使っています」という。無論、主要言語は漢語であろう。彼は「日本に2年間、少数民族の勉強をしに留学した母の弟を知っています」という。連絡先を教えてもらった。

 

 私が10日ほどまえに出版したばかりの編著書『シルクロード万華鏡―それそれのグレートジャーニー』を示して、「私の仲間がウイグルやチベットあるいはモンゴルについて研究していますよ。みなウイグルやチベットやモンゴル民族は決して他民族によっては滅ぼされないとの考えからですよ」というと、こぶしを高く振りかざして「少数民族は決して滅ぼされません!」と叫ぶように話し出した。

民族の大集合!左から裕固族、ウイグル族、チベット族、ヤマト族

 

 裕固族との出会いは、今回の旅がスタートしてからまだ日数も少ないのに強い印象を受けた出会いになった。しかし出会った時間は、きわめて短時間であった。

馬蹄寺石窟寺院は空高くそびえたっていた

| 河西回廊 | 04:13 | comments(0) | - |
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