シルクロード日誌

日本シルクロード文化センターのブログページです。シルクロードに関する情報、コメント、旅日記などを綴ります。
奇跡の西寧行き

 帰りの北京から成田までも含めてすべてのチケットがダメになって、15万円も出して買い直しかと思ったのですが、それもクリアーできました。

 機内の朝食は、ふだんであれば、まずくて(習慣に合ってないという言い方が適切なのでしょうが・・・)食べられないのですが、味もそっけもないおかゆやインスタントのまずいコーヒーでさえ、なんともおいしく、いとおしく感じられたものです。

夕食も食べないで空港内を駆けずり回っていたので、おなかもすいていたのですが・・・結局、その日の夕食を食べられたのはその店最後のハンバーグ一つを半分に割って2人で食べました。

 

 そうそう、「空港内においしいラーメン屋がある」とT女史が言っていたので、そこへ行ったのですが、あったのはマックでした。彼女は「10年前の話ですが・・・」と!

 

 午前11時西寧空港着。7人乗りの狭い車はチベット青年のイケメン(29歳、子持ち。初めて参加のH田女史の弁)君の運転で西寧市の清真寺(イスラム寺院)へ。

 

 H田さんは、上海から飛行機に乗るときにも、私たちが乗っていなくて、空港でも私たちの荷物も出てこなくて心配だったといいます。それはそうでしょう。機内乗務員に何度も私たちの名前を言って確認したとのことです。「行く先を間違えて乗ってしまったのかしら」という不安だったと。

 西寧についてからは、スケジュールを追いかけるたびになりました。

 はじめは、“仏教寺院だけでなくイスラム教のモスクも・・・”とこちらで注文したところでした。

 

 下記は旅立ちの前に、のこちゃんから寄せられた清真寺の紹介文です。

 

清真寺(イスラム教のモスク)

青海省東関清真大寺

 

東関清真大寺は西寧市の代表的な建物で、西寧市東関大街路南の片側にあります。清真寺の面積は1.194万平方mであり、正殿の本体の面積は1102平方mです。そして南楼と北楼の面積は各363平方mです。 東関清真大寺は歴史の中で何度も破壊されてしいましたが、その都度修復が行われました。現存する建物は1913年に再建されたもので、1946年の改築によって拡張されました。そして1979年(文革で徹底的に破壊されたあとですね)にまた再建され、中国西北地方で一番大きいモスクの一つになりました。

礼拝に来た双生児の青年。なかなかイケメンのようでした

右から2人目の女性は「スカートが短い」と注意されて、

何かを腰に巻き付けて入っていきました。漢人です。

 

東関清真大寺の建物は非常に雄大です。清真寺は東向きであり、中国の古典建物と民族様式を融合させ、かなり特徴がある建物です。正殿の内は広く、天井も高いのでとても明るいです。同時に3000人余りのムスリムが集まって礼拝を行うことができます。正殿は建物全体が至るところで古風と素朴な雰囲気を感じます。上品さと厳粛さを兼ねた東関清真大寺は、イスラム教の特徴がたくさんあります。青海省の重要な文化財として保護することが認定されました。

東関清真大寺は明の時代の洪武年間(1380年頃)に建てられました。青海省内において最大規模のモスクです。歴史も悠久であり、中国西北地区の西安市にある有名な化覚寺と蘭州の橋門寺と新疆のカール清真寺と合わせて、西北四大モスクと言われています。現在、東関清真大寺境内には1914
年5月に建てられた「再建西寧大寺碑」と、1948年8月に立てられた「再建西寧東関大寺碑記」の2つの石碑があります。この石碑によって東関清真大寺が、すでに600年余りの歴史があることが証明できます。東関清真大寺は塔、壁、殿を融合させたイスラム風建物であり、真ん中にある正殿は1102平方mを占めています。建築全体は様式が奇抜で構造が明確です。礼拝日と三大宗教の祝日であれば、15万人ものムスリムがここに集まり、盛大な礼拝をします。東関清真大寺はイスラム教を研究できる学校として国内外に名を知られています

 (囲みの文章は当局かモスク自身が作成したもののようです)。

モスク内の民俗展示館にあった「年2回のお祭りには15万人が礼拝に来る」

という写真を写しました。

 

 もう少ししつこく、「東関」についてご紹介しましょう。

 

 清の時代の1862年に中国の陝西省辺りから起こった回族の反乱が鎮圧されたのち、当時はまだソ連領だった中央アジア各地に逃げ込んだ人々の子孫を主体とする民族です。ウズベキスタンやキルギス、カザフスタン辺りでは「ドンガン」と呼ばれています。

 また、この反乱の鎮圧では、回族や少数民族が清の軍隊によって百万人以上も殺害されました。漢民族は少数民族を徹底的に憎み、蔑んで殺しつくします。ある集落では住民が絶滅する、あるいはいまだに人口が極端に少ない地方があるといわれています。

これはウズベキスタン内の「東関(ドンガン)」の女性の写真です。

ネットから拝借しました。

 

| シルクロード | 09:28 | comments(0) | - |
魔窟・上海浦東国際空港顛末記

8月1日。朝8時に家を出る予定でしたが、前日、通常と違う飲み方をしたので、午前2時半には目覚めてしまいました。時間通りに近くの86歳になるK老爺を同乗させて成田へ向かう。予定通りに空港へ着いて船橋のS氏と3人で上海へ。上海では関空からの女性2人と合流する予定でした。

 

でも会えません。手分けして探しましたが、いつまでも待っていられないので西寧行きのゲートへ向かいました。すると、やはり同じように私たちを探していたお2人と会えました。

 ここまではよかったのです。T女史と互いの捜索話をしていたのですが、時間が迫っていたので、少し不安になってゲートへ行くと「もう締め切りました」とのこと。午後7時半フライトの10分前でした。バスで乗機まで行く時間を計算していなかったのです。愕然としました。なんと交渉しようにも乗機まで行く術はありません。乗り遅れたのです!

 

 西寧行きのゲートを背にして、一番うしろの席に座って猛烈に話し込んでいたのです。

 そこへ初対面のビジネスクラスに乗るH田さんが「私の名前を呼ばれたから先に乗ります」と言って搭乗していきました。あとから彼女に聞くと「Noguchiという名前も呼んでいたわよ」とのこと。そうであれば言ってくれればよかったのに〜〜〜〜と思いましたが仕方がありません。

 

ここはまず西寧にいるノコちゃんと連絡を取ることが一番!あちこち駆けずり回りました。中国東方航空のカウンターで事情を話しました。このようなときには、脳細胞の言語脳が出て飛び出てくるのでしょうか。どこかにしまい忘れていた中国語でだいぶ話せるのです。サービスカウンターと訳せるところでのカウンターで電話を借りることができました。何を聞いてもつっけんどんな数年前より多少は接客態度がよくなっています。

のこちゃんと電話がつながりました。電話の向こうで、私の話に絶句する彼女の姿が目に浮かぶようでした。

 

K老も含めて4人がうちそろってあちこちのカウンターを歩きまわります。私もそうでしたが86歳の身にとってはかなりハードなウォーキングだったろうと思います。申し訳なかったです。

問題は「今夜の便に乗れるかどうか」でしたが、結論は今夜の便はもうない、ということでした。次の問題は、泊まるホテルも探さなければならないし、新しくチケットを買うと14万円もするといわれたこと。頭がパニックになりそうです。

 

しかし、文章にするにはあまりにも煩雑な手続きでしたので、詳しいことは割愛します。結論として、ここ浦東国際空港から国内空港の虹橋空港へ移動して、明日朝7時10分の西寧行きに乗らなければならなくなったということです。ただ、わたしたちのスーツケースは手回しのいいことにちゃんとおろしてくれていました。その引き取りにもあちこちのカウンターを歩き回ったのです。

 

結局、タクシーで小一時間の虹橋空港まで移動して、空港内にあるホテルを取りました。T倉女子と船橋のS氏の尽力です。日本円で1万円以上もするホテルでしたが、べッドに入ったのが夜中の1時半過ぎ、3時半には起きて空港へ行って西寧行きのチケットを確保しなければなりません。カップルの泊まるような豪華な円形ベッドだったのですが、着替えもしないで汗がびっしょりついていた格好で寝て、そのまま起きて前夜予約してあったタクシーで空港まで出かけたのです。

 

今度は、西寧行きの飛行機のチケットが手に入るかどうかでした。ここでも、あちこち回ったのですが、4つ目くらいのカウンターで「あそこへ行けばチケットがあるから・・・」と言われました。

「あった!」何気なくチケットを手渡されました。こんなにチケットをうれしく思ったことはありません。14万円は取られなくて済みました。西寧までは成田から上海までの距離より長い距離なのですが、こんなうれしいフライトも初めてでした。

上海・虹橋空港を西寧に向けて飛び立とうとしている東方航空機

やっと西寧に向けて飛び立ちました

 

西寧まで飛ぶことができたのは、徹夜で東方航空と折衝してくれたのこちゃんのおかげでした。感謝してもしきれません。出口で思い切り手を振って私たちを待ちわびていたのこちゃんの姿が神々しくさえ見えました。

彼女は以前、和光大学に夫と共に留学。赤ちょうちんや蕎麦屋さんでアルバイトをしていたので、日本語は下手な学生よりよほど上手です。私がチベットやアムド地方(青海省のこと)へ行くときは必ず彼女にガイドをお願いしています。

 

空港内での必死の交渉だったので、これらの姿を撮影した写真はありません。

あまりにもきれいな標準語を話していた私の孫娘と同い年の8歳の女の子とママさんが「一緒に写真を撮っていただけませんか」というので、ついでに私のカメラも差し出して、彼女のパパに映してもらった1枚があるだけで

す。外国人だという遠慮など歯牙にもかけず、私の中国語のおかしいところをズバズバ衝いてくる話し方も孫と一緒でした。

 

下の写真は、孫と同い年の可愛い娘さんと。虹橋橋空港内で

| シルクロード | 07:06 | comments(0) | - |
アムド、内モンゴルから帰ってきました。

8月1日 出発、11日 帰国しました。

 

往路、上海浦東空港では西寧行きの飛行機に乗り遅れ、夜中の1時まで空港内を駆けずり回り、睡眠1時間半で今度は虹橋空港から朝7時10分の飛行機にやっと乗れました。

良いトレーニングになりました。みんなは「魔窟上海空港」と名付けていました。

 

行く先は青海チベットと寧夏回族自治区のカラホト(黒水城)。

青海省のチベット農民の家での食事、気温12度から20度の涼しさと大雨の村のお祭りで西北民族大学の学生たちとの遭遇、甘粛省では蘭州で遊び、甘粛省博物館でシルクロード関連の展示をたっぷり鑑賞し、夜行寝台で銀川へ行き、2500kmのドライブでカラホトを往復しました。

 

一行は86歳の超高齢者もおり、気を遣う旅になりましたが、収穫の多い旅でした。

近いうちに旅日記を連載する予定ですが、帰国後の日程が立て込んでおり、いつになるかわかりません。

 

帰国してスーツケースから洗濯物やらあれこれを出す段になって、キーがなくなっていることに気が付きました。

翌日夕刻、ワイフの友人の大工さん宅までスーツケースを運んでカギを壊したら、キーは中にあったということで、ワイフの嘲笑と恨み節の連続でした(彼女のスーツケースを借りていったからです)。

そのほかにも、カメラの電源とバッテリーも忘れ、ビーチサンダルも忘れ、散々でした。

でも、旅には忘れ物はつきもの。あまり気にしないことにしています。

 

8月14日

 

写真はエチナのカラホト(黒水城)。

かなり商業化されており、監視カメラが縦横にあり、

スピーカーからは男のだみ声の怒鳴り声が響きっぱなしでした。

ここも商業主義に蝕まれたかと暗澹とした気持ちになりました。

シルクロードはどこへ行ったのだろうか・・・

| シルクロード | 09:16 | comments(0) | - |
これから青海チベットと寧夏回族自治区の西夏王陵、黒水城へ行ってきます

いま8月1日の午前3時過ぎです。

これから青海チベットと寧夏回族自治区の銀川や西夏王陵、黒水城を訪ねる旅に出ます。

 

いま、新疆ウイグル自治区方面へは観光でさえも行かれません。

一般の観光であれば、いくつかの旅行会社がツアーを実施していますから問題はないのですが・・・・

わたしの場合は、あまりにも深く新疆に入りすぎてきましたので、あちこちに友人がたくさんいます。

 

その方たちに迷惑(現状では「被害」)がかかるからです。

ですから”苦肉の策”といっては青海の友人のガイドさんに失礼でしょうが、そちら方面しか行かれません。

 

コースは、まず青海(ここは清王朝まではチベット地域のアムド地方と言っていました)の大自然を満喫することです。

チベット仏教の寺院やイスラム(清真寺)のモスクなどを訪ねます。

 

そこから今度は、長躯、銀川まで足を延ばして、西夏王陵とカラホト(黒水城)をめざします。

かつて行った際の、あの体の震えるようなカラホトの感動を皆さんに体感していただこうという思いからです。

 

しかし、私の経験ではそのような場所を再訪すると、多くの場合、派手な色の土産物の店ができ、食堂などで賑わっています。

そういうことがないことを願いながら、しばしの休息を楽しもうと思っています。

 

あ〜あ!シルクロードははるか彼方へ行ってしまったのか〜〜〜という思いはもうしたくありません。

| シルクロード | 03:37 | comments(0) | - |
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