シルクロード日誌

日本シルクロード文化センターのブログページです。シルクロードに関する情報、コメント、旅日記などを綴ります。
ア フ リ カ 南 部 の 旅 

間違い湾

テーブルマウンテンの山の上から見るとコバルトブルーに輝いた美しい海が見えます。この湾の名前が別名「間違い湾」。

なぜかというと、インド洋からヨーロッパへと戻ってきた貿易船などが、喜望峰を回って右に旋回すると大西洋に入ってヨーロッパに帰ります。そこで多くの船がこの湾を見て右に曲がって入って行くと「湾」ですから突き当たりになります。それで間違いに気が付くということから、間違い湾という名前がついたということです。

喜望峰(アフリカ大陸最南端)で記念撮影

この像はバスコ・ダ・ガマかな?

モダンジャズの源流を探す

夕食はウオーターフロントで。ここは文字通り港のすぐ近くにあるのですが、規模の大きなスーパーや様々な催事場があります。同行の皆さんはお土産の買い物です。

私は1人離れて入り口近くにあった舞台へ戻ってジャズライブの見学。

今回の旅ではとても望みはかなわないだろうなと思っていたことが、モダンジャズの源流・アフリカの音楽を聴く、あるいは収集することでした。

 

聴いた結果は、豈はからんや、少々というかだいぶ期待外れでした。やはりアメリカやヨーロッパの最近のギターがメインの「ジャズもどき」のコピーでした。こういうものはあまり聴きたくないのですが、ないよりマシ、集合時間まで聴いていました。

客席には家族連れや様ざまなグループが聴いています。聴衆はみなコーラを飲み、何か食べ物を買ってきて楽しんでいます。それ等の光景を見るだけでもよかったと思いました。感心したことは客席間の程よい間合いに大きなビニールの袋を置いてごみ袋にしていたことでした。アフリカというと、ニューヨークのハーレムのように、ごみの溢れた街かどというイメージがあったのですが、それは昔のこと。かなり清潔好きだということが分かりました。私の間違えていた先入観だったのですね。

 

 

酒嫌い

この日の夕食では、大ジョッキを呑もうとしたのですが、うちの奥さんと添乗員ちゃんに止められました。止められると意地になる私ですから注文したのですが、一口飲んでやめました。うまくないのです。それとやはり身体や脳への影響を考えたことました。帰りの長い時間の機内でもアルコールは飲みませんでした。私って自制心があるんですね。

 

サザンクロス=南十字星を見る

そして、夕食後は再び真っ暗になったテーブルマウンテンの入り口辺りまで行ってケープタウンの夜景観賞です。それともう一つ注文がついて「サザンクロス=南十字星」を見ることでした。夜空は星を見るには絶好の真っ暗な空です。

港町の夜景です

一行のメンバーです

この日は朝からすでに日本人の初老の男性の現地ガイドがついていました。言語明朗、滑舌最高の彼の説明は良く聞き分けられるのです。しかし、耳障りだった言葉は、やたらと「この街かどは昔の上流階級が住んでいた地域、こちらは貧しい人たちの住んでいた町」といいます。アパルトヘイト時代感覚が残っているのでしょうか。

みなさん、一生懸命にサザンクロスを探していましたが、彼に「南十字星は皆さ見ている方角の正反対のうしろですよ」と言われて大笑い。かすかに見えました。

私は沖縄と緯度がほとんど同じのネパールのヒマラヤの山の中で、夜中にトイレに起きた時に見たことがあります。星がこわいくらいに大きく見えた時でした。

 

帰路は当然、往路と同じコースで帰ります。ただし、ケープタウン空港からヨハネスブルグ空港では座席に座ったまま。そしてシンガポール国際空港での長い乗りつぎの時間のあと羽田へ。合計15000辧2箸任呂垢靴鮹輅犬靴

カンパーイ!!

 

そして・・・

今回の訪問を機に、アフリカの歴史研究を決意しました。

アフリカでのアクシデントの医療検査はもちろんしました。結果はいずれもなにもなかったのです。

しかし、3月6日の朝からおなかが痛かったのですが、夕刻になっても痛いので、ワイフの車で走って5分の大学病院へ行きました。すると胆嚢炎でそのまま入院となってしまいました。

すると入院中に、ほかの病気も見つかってしまいました。大腸ポリープです。

2週間くらいの入院治療ののちの退院。そののち、2〜3か月のうちのその2つの手術の予定が立ってしまいました。

嘆いていても事態は好転しません。ちゃんと病気を治してから、再び元気になって頑張るしかありません。私・野口はこれくらいのことではへこたれません。

このい睇賊,離戰奪匹能颪い討い泙后  

 

3月9日 野口

| コメント | 20:35 | comments(0) | - |
ア フ リ カ 南 部 の 旅 

ケープタウンへ

旅の4日目は、アフリカ南部の空を移動するだけの1日でした。

ジンバブエの国のビクトリア・フォールズ空港で出国手続きを終えてから、2時間弱でヨハネスブルグへ。これで南アフリカ共和国へ再入国。さらに2時間後に飛行機を乗り継いで、今度は国内便でケープタウン空港へ。2時間少々。

バスの座席から写したので失敗作の写真なのですが、このような光景の道路がずっと続いています。

ヴィクトリア・フォールズ空港の入り口には、このようなメンバーがいて日銭を稼いでいます

 

朝食は広大なホテルの中庭を2人で小一時間のウォーキングのあと。

疲労で倒れこんでから「体と心の指導者」=野口祥子先生の私への指導はかなり厳しくなってきました。「あなたは旅に出ると必ず風邪をひくなど体の調子が悪くなる。日本へ帰ってからは、パソコンに向かっている時間の半分以上を割いて、身体を強くすることを仕事だと思いなさい」とのご託宣。「うん」と答えるしかありません。

飛行機狂いの私には、見たこともないような飛行機やペイントが珍しいのですが、往々にして邪魔が入ります

 

テーブルマウンテン

翌日、アフリカの旅の5日目はケープタウンのテーブルマウンテンです。

私はこの日に「テーブルマウンテン」の観光があることを知りませんでした。あまり物事に感動しない私ですが、テーブルマウンテンのようなところはどこにでもあるし、なんでみんな珍しがって行くんだろうと思っていました。

ケーブルの乗車賃は片道だと1150円だとネットで調べると書いてありました。しかし、頂上に登って景色を見てみると、このテーブルマウンテンとそこから見える光景は圧倒的でした。

ケーブルで山登り

テーブルマウンテンの頂上からみたケーブル湾と街

 

おなかの具合が悪くなっていたのでトイレを探しました。そこには一つだけ障害作用の男女兼用のトイレがありました。やっと入れたのですが鍵がありません。「困ったな〜」と思ったのですが、こう思いました。”誰かがドアを開けたって、どうせ知らない人ばかり。見られたって構やしない”と。

同行のみなさんがたですが、後ろの建物がトイレのあるところです

少しは証拠写真を撮らないと・・・

 

テーブルマウンテンの頂上を極めると、晴れ渡った空と青く光った「ケーブル湾」がまぶしく見えます。

湾の手前には「ライオンズヘッド」があります。山の上にライオンの頭に見える岩山があるからです。

 

 

ケーブルの中からみていると、頂上めざして登山をしている人がいます。かなりの急斜面ですが、歩いて登れないわけでもないようです。ネットで見るとちょっとした岩場のクライミングもあるようですが、大したことはないでしょう。でも体力の落ちている今の私にはとてもそんなことは考えられません。

 

 

ワイナリーでの試飲

南アフリカの国はワインのおいしいことで有名な国らしいですが、5杯の試飲で結構いい気持ちになりました。わたしは日本酒や焼酎が好きなので、あまりワインを飲みたいとは思いません。

ガイドの説明がなかなか上手なので聞き惚れていました。

かなり広いブドウ畑です

ウチの奥さん散歩です

土かの国の親は子供たちをこのように「放置」しています。

喜望峰の悲劇!

アフリカ大陸の最南端で記念写真。うちの奥さん珍しく「笑顔」

 

そのあとはケープ半島を半周して「ボルダーズビーチ」という最南端の喜望峰です。

ここでそれぞれ記念写真を撮るのですが、撮り終わった私は突然、右眼の焦点がグルグルまわっていることに気が付きました。ただ右眼だけ。今まで経験したことのない目のまわり方をしたのです。初日に倒れ込んだことは体力が弱っていたことが原因でしたが、これは脳内に異常が起きた証拠だろうと思うと恐ろしくなりました。日本へ変えたらすぐに精密検査を受けなければと切実に思いました。

 

検査の結論を言いますと、帰国翌日が2か月に1回、近くの慈恵医大での定期診療の日(実際は痛風の薬をもらう日)だったので、そこで相談をして、「脳波」と「URI」の検査をし、日に結果が出ました。「異常なし」ということで「無罪放免」となりました。

| コメント | 10:03 | comments(0) | - |
3月の「シルクロード講座」は中止とします

緊急連絡です。

 

毎月第二土曜日に開いている「シルクロード講座」の3月開催は中止とします。

昨今、猛威を振るっている新型コロナに関して、当初、10数人の集まりだから問題はないだろうと思っておりましたが、

今回はその後の事情を鑑みると同時に、本日、講師の清水先生ご自身に伺ったところ、「体調がすぐれず、4月には手術も控えているので、できれば中止していただきたい」という申し出がありました。

 

そこで、急遽、代表・事務局長・副代表間で相談をして3月の講座は中止と決めました。

清水先生には昨年10月の台風19号で中止したことがありましたが、「軒丸瓦の文様から見た文化伝播の一様相」という、普段接することの少ないテーマで関心が高かったのですが、大変残念です。

 

皆様には以上の状況をご賢察されて、ご理解いただけるようお願いいたします。

 

3月2日

 日本シルクロード文化センター代表・野口 信彦

             事務局長・周東三和子

              副代表 一同          

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| コメント | 09:44 | comments(0) | - |
森安通信2月9日号

※日本シルクロード文化センターの創立10周年記念で記念講演をいただいた大阪大学名誉教授の森安先生の「森安通信」が来ました。せっかくですので皆さんにご紹介します。

 

森安通信 読者各位

 

 2020年1月10日(金)にNHK BS1で放映された天安門事件を30年後の今になって検証した番組は,本当に見応えがありました。この頃は国内では何かと批判のあるNHKですが,この番組は世界中に散らばっている当時の関係者にインタビューし,これまでまったく知られていなかった資料も掘り出しています。学生の民主化運動に理解を示していた趙紫陽総書記が,最高権力者の小平とその下に就く李鵬によって失脚させられた経緯や,それまで人民には決して銃を向けなかった人民解放軍が,初めて人民に発砲し,戦車で学生たちをひき殺していった様子もうかがえ,穏やかな口調ながら権力者というものの恐ろしさを,浮かび上がらせてくれました。きっと再放送があるでしょうから,その時は是非御覧下さい。

 

 次いで1月13日に放映されたNHKスペシャル「アイアンロード〜知られざる古代文明の興亡」の方は,シルクロードの「草原の道」の重要性を再認識しながら,その厳しい自然環境と景観を知ってもらうにはとてもいい番組でした。もちろんその重要性を際立たせるために鉄に注目したわけで,鉄の専門家として世界で活躍している愛媛大学の村上恭通教授と笹田朋孝准教授,そして長年トルコに定着してヒッタイトやそれ以前の鉄を発掘した大村幸弘・中近東文化センター研究員の活動の一端が紹介されたのも有意義でした。ただ,些か残念だったのは,恐らく番組ディレクターの独断か勉強不足により,シルクロード以外にアイアンロードなるものが新発見されたかのような誤解を視聴者に与えたことです。画面に映し出された地図上のシルクロードは,最初に西欧の研究者が「シルクロード」と言い出したときの古い概念である「沙漠オアシスの道」だけを指していました。確かにスウェーデンのヘディン,イギリスのスタイン,ドイツのルコック,フランスのペリオ,日本の大谷探検隊などが遺跡や古代文書を掘り出したのはこの地帯だったのですが,主に戦後になって日本の東洋史学がおおいに発展した結果,北方の「草原の道」と南方の「海の道」も合わせてシルクロードと呼ぶようになったのです。ですから1980年からNHKが放映して大評判を取った特別番組「シルクロード」でも,「沙漠オアシスの道」だけでなく「草原の道」も含めて取材しています。

 

 今回の放送ではナビゲーターの江口洋介さんに「アイアンロードはシルクロードの北側」にあると説明させていましたが,そうではなく「アイアンロードはシルクロードの草原の道に相当する」と言えばよかったのです。シルクロード(絹の道)という実際の道があるわけではなく,あくまで概念上の交通網ですから,着目するものによっていくらでも言い換えることが可能であり,実際にこれまでも「銀の道」「玉の道」「ガラスの道」「琥珀の道」「毛皮の道」,あるいは文化面では「仏教の道」,海の場合なら「香料の道」などという使われ方をしてきました。私の定義するシルクロードは,「近代以前においてユーラシアの東西南北を結んだ高級商品流通と文化交流の幹線道路網」であり,同じことをやや抽象的に言えば,「前近代のユーラシア世界史という有機体を物心両面で支えた大動脈の雅称」です。それゆえ,鉄が貴重品であった時代において,「アイアンロード(鉄の道)」と言っても何ら差し支えありません。ただ注意したいのは,「鉄の道」とか「仏教の道」とかいう場合は一回性の伝播経路であるのに対して,「絹の道」とか「銀の道」「玉の道」「ガラスの道」「香料の道」などという場合は,そうした奢侈品が何万回,何十万回と繰り返し運ばれたことを意味します。

 

 シルクロードはネットワークですから,草原の道も一本だけではありません。1月1月25〜26日(日)に石和温泉にある帝京大学・文化財研究所で開催されたシルクロード学研究会は,草原の道の枢要な部分を占める現キルギスのチュー河流域に点在する遺跡,特にアクベシム遺跡(スイアブ=砕葉)に関わる考古学的報告が中心で,とても充実した内容でした。スイアブはソグド人によって作られた都市で,唐代には安西都護府の支配下に入った時期があり,その後はトルコ系のトゥルギシュ(突騎施)やカルルク(葛邏禄)が支配し,さらにカラハン朝・カラキタイ・モンゴル帝国へと続いていきます。当研究会では吉田豊・京大教授の「シルクロードを東へ向かったキリスト教」,高橋英海・東大教授の「中央アジアのキリスト教:シリア語研究の観点から」,そして私の「トルコ民族とキリスト教」という文献学的な発表もありました。私の発表では,昨年末に出版されたばかりの T. Moriyasu, Corpus of the Old Uighur Letters from the Eastern Silk Road. (Berliner Turfantexte 46, Turnhout: Brepols, 2019) に含まれるキリスト教徒の手紙も引用しました。この拙著は私のライフワークの一つである「古ウイグル手紙文書集成」の英語版ですが,40年以上かかりました。もうとても日本語版を出す気にはなれませんので,学問的に興味をもたれた方はこれを見ていただきますよう,よろしく御願い致します。

 

 2月24日(祝日)には池袋の古代オリエント博物館で「西アジア考古学 トップランナーズセミナー」が開催されます。学習指導要領の改訂により高校の歴史教育がまもなく「歴史総合」という近現代史中心となりますが,それに連動して古代史への関心が薄らぐ懸念があります。それへの対策として古代オリエント博物館でもあれこれ啓蒙活動をされている一環であり,当日の参加者には『高校世界史 試験を楽しむキーワード100』という小冊子が全員に配られるそうです。また現在,東京駒込の(公財)東洋文庫では「大清帝国展」が開かれています。5月中旬までです。以上二つのイベントの案内チラシをここに貼り付けます。

 

         不具    2020年2月9日      森安孝夫

 

| コメント | 15:56 | comments(0) | - |
希望のある年にするか、それとも・・・・

新年のご挨拶を申します。今年もよろしくお願いいたします。

 

今年2020年は、言うまでもなく東京オリンピック・パラリンピックの年です。

スポーツの分野で活動している私は、かなり緊張した一年になります。

シルクロードの分野では、今月11日には「日本シルクロード文化センター」の年1回の総会があり、午後には再三お伝えしている、「シルクロード講座」の渡辺一枝講演会があります。

 

2つの分野での活動を支えてくれる正月は家族のきずなが高まることにもなります。

もう恒例となりましたが、正月2日は、昨年1月5日に再婚した長男夫婦と長女夫婦が孫と婿殿の母親ともども来宅します。長男の嫁さんとしては今年が初めての来宅です。息子と同い年の彼女はかなりの美人です。

プロカメラマンでドローンの会社経営の息子とお嫁さん

 

長男の妻はやはり再婚で、大学生のイケメンの息子が2人います。

彼女はフエルト作家というのか、羊毛でスイーツやあれこれをつくって教えています。『福田りおの羊毛フエルトテクニック』などという本も出しています。

かなりのお弟子さんもいるようで、都内各地で教えるとともに香港・上海・パリやドイツなどでも毎年、講習会や発表会か何かを主催あるいは主宰しているようです。

私はその方面はまったく関心がないのですが、それらしきことをフエースブックに載せるので、知っています。

 

娘夫婦もこの日は一日我が家で過ごします。どういうことか婿殿の母親もいつも一緒です。以前は婿殿の弟まで来ていました。「独り住まいだからおせち料理をつくる手間を省く」ために息子夫婦と一緒に来るそうです。そんなことを平気で言う明るいお母さんです。わがワイフと同じ年ですが、勤めていた学校の卒業生だったとのこと。

花粉症の時に着けるゴーグルで遊ぶむすめと婿殿

 

孫にお年玉をプレゼントすると、今年は私たちの目の前で金額を確かめることはしませんでした。初めて成績表を見せてもらいましたが、左側に〇が並んでいました。

おばあちゃんのお面をつけて遊ぶ孫娘

私の左手側が婿殿の母親。

 

ところで、今年のシルクロードはどうなるのだろう。

すでにウイグルの地は“阿鼻叫喚”の地となっており、中央アジアの状況は変化がなく、中東方面は米軍のイラン司令官爆殺事件で戦争のきな臭いにおいがますます強くなってきています。

 

そして地球人類の誰もが逃れることのできない気候変動の危機が日一日と迫りつつあります。

このことについては「分かっているけどどうやったらいいかわからない」という人がほとんどです。

それには私たち一人一人の身の回りから気候変動の危機を頭に入れて取り組むしかありません。しかし、それ以上に重要なことは、毎日、莫大な量の“気候変動の種”をまき散らす企業に規制を加えることのできる政府の役割と仕事があるということです。

 

環境相がCOP25の会議に出席して、ろくなことも言えないで帰ってくるような政府では、何も期待できません。おまけに2回も「化石賞」を授与されるなど、日本政府の恥を世界に振りまいてきたような「仕事」も果たしてきました。それどころか結婚前の不倫の恋やあれやこれやのスキャンダルを週刊誌に暴露されて仕事もできないことになるでしょう。

 

昨年は私の多くの友人たちが亡くなりました。とても悲しいことですが、しかたのないところもあります。

とてもおめでとうを言える状況ではありません。

 

しかし、愚痴ばかり言っていても仕方がありません。

そのような状況からも何か明るい僥倖を見つけて前に進んでいくしかありません。

模索の中から未来を探し出すしかありません。

そんなところから、今年もよろしくお願いします、と言います。

| コメント | 03:32 | comments(0) | - |
CALENDAR
S M T W T F S
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 
<< July 2020 >>
LINKS
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
RECENT COMMENT
モバイル
qrcode
PROFILE