シルクロード日誌

日本シルクロード文化センターのブログページです。シルクロードに関する情報、コメント、旅日記などを綴ります。
ウイグル人学者に無期懲役の判決
きょうの報道によると、ウイグル人学者に無期懲役の判決が下されました。
北京在住のウイグル人で中央民族大学准教授で著名な経済学者イリハム・トフティ氏(45歳)がウルムチの二審判決公判で、21日、無期長期の判決が下されました。
新疆クズルス・キルギス自治州アルトゥシュ市の出身です。


イリハム・トフティ氏資料映像
以下、「資料映像」の断り書きのない写真は筆者撮影

 
イリハム氏は、ウイグル人の民族問題に関してはそれほど急進的な考えの人ではありません。ウイグルの独立を主張したことはありませんでした。しかし、彼の民族問題に関する言論を当局は危険視していたようです。むしろ、急進的な若いウイグル人からは、“なんであんな生ぬるいことを言ってるんだろう”と批判的な言葉を投げかけられるほどでした。
 
2009年のウルムチ騒乱の際には、ウイグル人と漢族との相互理解を進めるためのウェブサイトを立ち上げたようですが、その中で新疆政府への批判を行ったことが国家分裂罪に当たるとみなされたようです。

北新疆の空を飛ぶ鷹

天空の草原・ナラティ

 
「罪状」は、新疆ウイグル自治区の現状などを発信したとあります。その結果が上に書いたような「国家分裂罪」とのこと。
もうすでに中国当局にとって、新疆の現状を正しく知らせるだけでも、国家分裂に相当する罪になるということになります。それならば、理屈から言えば、そのような現状をつくりだしている中国政府当局こそ真犯人になるわけです。政府と党そのものが「無期懲役」です。
 
新疆の現状で、独立を求めることが妥当かどうかは、ウイグル人と漢族の問題ですので、私はここでは立ち入りません。
しかし、少なくとも民族の自決権を求め、真の人権と民主主義を守らせる要求は当然のことです。そのような要求を通すために暴力を使うことには反対です。しかし、そのような要求をするウイグル人にたいする党と政府による軍隊と警察の暴力を使っての暴力こそ、いま批判されるべきですし、世界の世論でやめさせなければなりません。
 
 
下記は、「チベットNOW@ルンタ」の転載です。

ウイグル人の人権擁護を訴え続けているウイグル人知識人イリハム・トフティ中央民族大学准教授は、これまでにも何度も中国当局に拘束されている。今月(1月のこと)15日、彼は再び自宅から当局により連行された。彼の居所や連行理由は一切公表されず、当局は単に「法律に違反した疑いにより拘束した」と発表している。

彼の連行と同時に彼の生徒6人も拘束された。また、彼の家の前には10人以上の監視員が張り込み、妻と2人の息子は「自宅監禁状態」にあると言わる。

これに対し、アメリカ政府は次の日、「イリハム・トフティの拘束は中国政府の政策や行動に対し平和的手段で異議を訴える弁護士、活動家、ジャーナリストたちを逮捕するという一連の憂慮すべきパターンの一部である」として中国政府を非難し、即座に彼を解放することを求めた。さらにEUも同様の非難を17日に発表した。

これに対し中国政府はいつものように、「中国の法律は神聖にして厳正なものであり、我々は法律に従って彼を拘束しただけである。他国が人権を口実に内政干渉することは決して許されない」と応じている。

イリハム・トフティ教授の盟友である作家王力雄が中心となり、妻のツェリン・ウーセル(チベット人)や中国内外の学者、文化人が彼の解放を訴えるための署名活動を開始した。

以下は在大阪の作家、翻訳家であり、王力雄やウーセルの友人でもある劉燕子さんが日本語でこの署名活動に協力を訴えられているものである。是非この署名活動に協力して頂きたいと思う次第である。

 
写真左より王力雄、ツェリン・ウーセル、イリハム・トフティ=資料映像。

諸先生。こんばんは。
産経新聞に拙文が掲載された翌日、15日、中央民族大学のウイグル人准教授、穏健派の知識人、イリハム・トフティ氏が、天安門突入炎上事件はテロと決めつけるべきでないなどと発言し、拘束されました。
産経掲載の拙文は、このサイト


ラサ・ジョカン寺での五体投地

ラサのポタラ宮のまわりをウォーキングするラサ市民


ツエタンの仏塔


同所の仏像

 イリハム氏は1969年生まれで、経済的発展により近代的市民意識が広まり、民主化が実現すればウイグル問題も解決するとの考えで、中国語のサイト「ウ イグル・オンライン」の創設者です。2009年の「ウルムチ事件=7・5流血事件」のとき、彼も拘束されましたが、王力雄氏が中心となりイリハム氏の支援 活動が起こされ、8月に釈放されました。
 そして、昨日、王力雄氏、ツェリン・オーセル女史たちは、彼の釈放をアピールしました。今日までの二日間で、内外から500名以上の署名者となりました。
 アピールの要点は、イリハム氏は2006年に「ウイグル・オンライン」を創設したが、数回も閉鎖されても、それを続けてきました。それは中国語で新彊問 題の真実を知るための重要な窓口です。彼はウイグル人と漢人の間を橋渡しする貴重な存在です。そして、次のことを呼びかけます。
1.当局は説得力のある事実と証拠を示せ。言論を理由に罪を負わせるのは止めよ。そうでないならば、即時釈放せよ。
2.本人と家族の自由、基本的人権を守れ。弁護士の選任や面会を許可せよ。
 2008年のラサ事件、2009年のウルムチ事件から今日までの中国の民族政策の失敗は明らかである。イリハム氏の逮捕は、ますます政策の誤りに拍車をかけるだけである。全ての中国人は、問題の追及や真相の究明の権利がある。また、自分の未来に責任を負うべきである。
 他の国の国民も同様な権利がある。何故なら、ウイグル人の苦しみは人類の苦しみであり、中国の将来の災禍は世界に及ぶ危険性がある。
 賛同の意志を署名で表すことを念願する。

署名のサイト
 
署名を確認できるサイト
 
感謝を込めて。 劉

 
 
| ウイグル情報 | 10:21 | comments(0) | - |
新疆ルクチュンでまた犠牲者が多数出ました。
28日午後11時56分の共同通信の配信です。

新疆ホータンで暴力事件 ウルムチでも発生か

2013.6.28 23:56 アジア・オセアニア

 中国国営新華社通信によると、中国新疆ウイグル自治区南部のホータンで28日、暴力事件が発生した。死傷者数など詳しい状況は不明で、現地当局が調べている。区都ウルムチでも暴力事件が発生したとの情報がある。

 同自治区では26日にトルファン地区のピチャン県ルクチュンで35人が死亡、25人が負傷する衝突事件が起きたばかり。暴力事件が頻発しており、支配層の漢族と、ウイグル族など少数民族との対立が深刻化している可能性がある。

 インターネット上の書き込みによると、ホータンでは刃物を持ったウイグル族100人以上がオートバイで走り回り、歩行者らに切り付けた。ウルムチでは刃物を持った2人組が警察施設の敷地に柵を乗り越えて侵入し、警察側が発砲して1人が死亡、もう1人が負傷したという。(共同)


29日 アメリカ政府系ラジオ、「自由アジア」のニュースを共同通信が午後2時半に配信しました。

ウイグル族2人を射殺か 中国・新疆自治区

2013.6.29 14:30

 米政府系放送局ラジオ自由アジアは29日までに、中国新疆ウイグル自治区ホータン地区で28日、少なくともウイグル族2人が警官に射殺されたもようだと報じた。住民の話として伝えた。 住民によると、モスク(イスラム教礼拝所)での礼拝を終えたウイグル族の若者グループがオートバイで帰宅途中に宗教的なスローガンを叫んだところ、「驚いた警官が発砲し、少なくとも2人が死亡、1人が負傷した」という。

 一方インターネット上には28日、ホータン地区で刃物を持ったウイグル族100人以上がオートバイで走り回り、歩行者らに切り付けたとの情報が書き込まれた。 ウイグル自治区のニュースサイト「天山網」は、ホータン県で28日午後、武装グループによる騒動があり、公安当局がメンバーを拘束したが、住民に死傷者は出なかったと報じた。(共同)


新疆トルファン地区のピシャン県ルクチュンでまた犠牲者が多数出ました。
次のニュースは、29日午前4時頃のものです。

 詳細は分かりません。

いつものように中国政府側の一方的な報道だからです。

また、いつものように一方の側だけからのニュースが流され、もう一方の側の客観的な報道は全くなされません。外国の通信社が多少、その努力をしているにすぎません。

過去の裁判でも、政府が任命する弁護士がつくだけで、裁判記録も「被告」の陳述も全く知らされないままです。

「朝日」新聞を中心としたニュースを送ります。

 

「襲撃」された交番


新疆ウイグル自治区で暴動、27人死亡 新社通信報道

 【北京=林望、上海=金順姫】中国の国営新華社通信(英語版)は26日、新疆ウイグル自治区北東部のルクチュンで同日朝、暴動が起き、警察官や市民ら計27人が死亡し、3人が負傷した、と伝えた。ナイフなどを持つ「暴徒」が地元の警察署や政府庁舎を襲い、複数の警察車両が放火されたという。当局は現場周辺を封鎖し、厳戒態勢を敷いている。

 新華社は死傷者の民族などを伝えていないが、26日は、広東省の玩具工場でウイグル族が漢族に殴り殺された事件から丸4年に当たる。この事件をきっかけに同自治区では2009年7月にウイグル族と漢族が大規模な衝突を起こし、約2千人の死傷者を出した。今回も民族対立を背景とする暴動の可能性もある。

遺体が転がっている悲惨な状況です。




☆―野口―これは6月27日に掲載された朝日新聞の記事です。


 ルクチュンはトルファン地区ピチャン県の一部を構成している、落ち着いたのどかな小都市です。

 新疆においては、09年7月の「ウルムチ大虐殺事件」(私の命名です)以来、特に警備が厳しくなっています。新疆だけではありません。

 昨年訪れたチベットのラサなどでも10名単位の特警が自動小銃に引き金をかけて威圧的な行進を繰り返していました。最後尾には消火器をもった兵士がいます。焼身自殺するチベット僧が後を絶たないからです。

 

 私が先日、北新疆を訪問したあと、ウルムチに帰りついてウイグル人街のバザールの立ち寄った際にも、同じように10人ほどの特警が威圧的に立ち並んでいました。みないずれも180センチ以上もあるかのような大男ばかりです。なかには漢人の女性軍人もいますが、みな体格の良い者ばかりでした。

 通り過ぎるウイグル人たちは、みな、見て見ぬふりをしていますが、心の中では“怒り”に燃えていることでしょう。

 

 続いて下の記事は、28日の朝日新聞朝刊に掲載された記事です。

 (写真は掲載されていません)。

 親しい友人のフエースブックから拝借しました。

 

上記3葉の写真は、いずれも中国のウェブサイトから得た写真です。

ですから、漢人が殺された写真が揃えられています。



新疆ウイグル自治区の暴動、死者35人に 新華社報道

 【ウルムチ=金順姫】中国の国営新華社通信は27日、新疆ウイグル自治区北東部のルクチュンで26日に起きた暴動で、死亡した人の数が35人にのぼったと伝えた。ウイグル族16人、警官2人を含む24人が犠牲になったほか、警官がその場で射殺した「暴徒」の数は11人となった。

 同自治区では2009年7月、ウイグル族と漢族による大規模な衝突が起き、約2千人の死傷者が出ている。新華社は事件の背景に触れていないが、今回も民族対立が背景にある可能性がある。当局は27日、現場に通じる道路に検問を設け、メディアなどが近づけない厳戒態勢を敷いた。

 

☆―野口―報道はいずれも中国の国営通信社・新華社の報道です。いつものことですが、ここにウイグル人の意見は何ら反映されていません。そのご、おそらく開かれたであろう裁判でも、「被告」に陳述など、一切の報道もありません。

10年ほど前にルクチュンの友人宅を訪れた際の写真です。今回は友人の写真は掲載できません。ここはイギリスの探検隊が宿泊した建物の跡のようでした。

以下、同じです。


この事件に関連するウイグル人団体、アメリカなどの報道を読み比べてみました。この国の民主主義はどこへ行ったのでしょうか。先日の報道では、中国政府は、「今後、学校の教科書に民主主義と人権は記述しないように」との通達が出されました。さもありなんです。

ニューヨーク・タイムズ紙は、ここ数年、当局による監視とコントロールが大幅に強化されていることが背景にあると報じている。
 同紙はまた、世界ウイグル会議のスポークスマンが、今回の暴動は、ここ数か月にわたりウイグル人が突然留置されていたことが背景にあると述べていることを取り上げた。

近年ウイグル自治区では取り締まりが続いており、多くのウイグル人の行方がわからなくなっていたようだ。そうした人々の所在について当局に尋ねても、情報提供が拒まれていると、あるウイグル人は同紙に語っている。

上記の建物と同じ場所です。 


 他方、イスラム教徒が多いウイグル人に対し、政府による宗教上の規制が、緊張の原因になっていると海外各紙は指摘している。

あたりは茫漠としたゴビ灘があるだけです。


 フィナンシャル・タイムズ紙は、政府は経済を発展させるため何千人もの治安部隊とソーシャル・ワーカーを送り、強力な監視体制を敷いていると報じている。
 政府による漢族の移住促進の効果もあってか、2008年の統計で新疆の人口に占める割合は約40%となっている。同紙は多勢に無勢になる危機がせまっていると報じている。

 また同紙は、2009年に新疆各地で行ったインタビューとして、地元ウイグル族は漢族に強い憤慨を示しており、中国の一部になることを望んでいないと述べていたことを紹介している

2009年7月3日のウルムチにおける「血の惨劇」の日が近づいています。
政府と軍・警察による弾圧をやめさせなければなりません。
同時に、通行中の漢人にむやみに切りつけるなどの行為もやめなければなりません。
そのようなことは、誰の支持・賛成も得られません。
で、言論で勝負を、といっても、言論の自由も人権もないのですから、ここは国際的な支援しか方法はないようです。
| ウイグル情報 | 04:06 | comments(0) | - |
もうひとつのウイグル族との奇跡のめぐり合い
   きのう昭和女子大学で国際シンポジウムがありました。

 内モンゴル出身のバー・ボルドーさんからの直前の連絡だったのですが、この日、日本シルクロード文化センターの役員会がありましたので、時間の調整に困ったのです。会議と懇親会の会場が我が家なので、私が部屋を掃除したりということです。何とかやりくりしていきました。

 我が家はお客さんが来ると部屋が整理され、きれいになるのです!

 

 シンポジウムは「中国の経済発展と少数民族の文化的変容」がメインテーマでした。

 午前10時の昭和女子大学学長の挨拶から始まって午後8時までの懇親会までの長丁場ですが、私は午後1時から35分間報告する、北京中央民族大学の鐘 進文さんの「ヨグール(裕固)族の命名及び今日の発展における変容」だけを聴講して帰宅するというスケジュールでした。

今年5月1日、甘粛省・嘉峪関で会ったもうひとつのウイグル族=裕固族の女性。

どちらかと言うとモンゴル風の衣服です。

残念ながらきのうの国際シンポジウムの写真はありません。

 

 他のスピーカーのテーマもほとんどが内モンゴルにおけるお話しでした。10人ほどの報告でしたので盛りだくさんでしたが、私はそのような事情で1人だけの聴講でした。

 

 ところが、です。鐘 進文さんの「裕固族命名伝統与今的発展導現象」という中国語(漢字)のレジュメと彼の中国語を必死で聞きながら、昭和女子大のドクターコースで学んでいる女子学生の通訳を聞きました。


 ところが、です。今年4〜5月の河西回廊への旅のメモをひっくり返しながら、5月1日の裕固族と会ったときのメモがありました。

 

 裕固(ヨグール)族とは、844年までモンゴル高原の覇者であった古代ウイグル民族が、キルギス族の襲撃にあって王朝が滅亡した際、その多くがタリム盆地に下りて行きましたが、少数は河西回廊の嘉峪関にも下りて行ったのです。

 その嘉峪関のウイグル族が、現在では「ヨグール(裕固)族」となって存在しているのです。

甘粛省・嘉峪関のまたさらに奥地にある馬蹄寺石窟。

 

 嘉峪関の奥にある「馬蹄寺石窟」の入り口に裕固族の鐘 福江さんと会った時のメモでは、そこで彼は「わたしの親類が北京の大学で先生をしている。ときどき日本へ行くようだから彼と電話で話をすればいい」と言って、今、私の目の前で話をしている鐘 進文さんの名前と彼の電話番号をメモしてくれていたのです。

 馬蹄寺石窟の受付にいた鐘 福江さん。


 静かに話を聞いている会場で、私は思わず「エー!」と大きな声で叫んでしまいました。

 奇跡だと思いました。こんなめぐりあわせがあるとは思ってもいませんでした。

鐘 福江さんと記念撮影。鐘さんの隣りが私たちのガイドのディララちゃん、その右はチベット族の鐘さんの同僚、その右が私です。

 

 鐘 進文さんのお話しが終わってから通訳の学生が外へ出ようとするところを捕まえて、彼を会議室の外に連れ出してもらいました。私には彼と急いで話しをする必要があったのです。


 午後5時からの役員会で来年度の「シルクロード講座」の講師とテーマを報告することです。1年間すべてが決まらなくとも、半分以上は決めておいて報告したかったのです。

 

 鐘 進文さんにお願いをすると「野口先生が招待してくれますか?」というので、「私たちは貧乏団体ですので、そんなお金はありませんよ。その時にあなたが日本へ来れるならば講演をお願いしたいということですよ」と言いました。

 

 まっ、その結果はどうあれ、彼とコンタクトが取れて、今後も交流することと、お互いの著書やレポートを送りあうことで話しが一致しました。

 私にも新しい局面が開けてきました。しばらくは通訳を務めて下さった方を通して彼との交流が続きます。

楽しみです。“もうひとつのウイグル族・裕固族”との交流が・・・・

| ウイグル情報 | 07:00 | comments(0) | - |
アッラーにささげる盛大な祭り コルバン祭り
 コルバン祭り(犠牲祭り)はイスラムの重要な祝日

 

 コルバン祭は、アラビア語で「イードアルアドハー」といいます。

断食明けの祭りと並び、イスラム教の二大祭りのうちの一つで宗教的祝日です。

 言い伝えによれば、大昔、アラビア人の系譜上の祖とされる預言者イブラヒム(アブラハム)が、ある夜夢の中で、 アラーへの忠誠の証(あかし)に息子のイスマイルの命を捧げるよう啓示を受けました。イブラヒムが息子を連れて山へ行き教えを実行しようしたとき、 彼の忠誠心を知ったアッラーは、天使をつかわして一頭の羊を送り、それを息子の代わりに生贄とさせました。そののち、 毎年この日にアラビア人は羊をアラーに捧げるようになったといいます。

 

カシュガルで金持ちからの喜捨の羊の肉ができるのを待っている人びと

 コルバン祭はイスラム太陰暦の1210日を起点として4日間に行われます。 イスラムの人々は太陽暦と太陰暦を併用しており、太陽暦は農業で使われ、一年が365日または366日で、西暦とほぼ同じ。 太陰暦は宗教行事で使われ、一年が354日または355日で、太陽暦と11日の誤差が生じます。 このため、コルバン祭の西暦での日時は毎年一定ではなく季節も変わるのです。私の知り合いは、コルバン祭りは冬の1月にあったと言っていますから。

 

 今年はきのうの1026日から4日間です。

 きのうの朝、私がカナダのトロントにいる友人とテレビ電話で話していても、頻繁(ひんぱん)に、実に頻繁に彼女に電話がかかってきます。パソコンの画面で顔を見ながらですが、彼女は携帯にかかってkる人からの会話から逃れられません。

 とうとう「すみません。コルバン祭りですからトロントのウイグル人の方々やトルファンなどからたくさんの電話が来ますから・・・・」と、婉曲に会話を断られたほどです。

日本シルクロード文化センターで講演中のグリさん。

 

 伝統的なしきたりによって、コルバン祭の前には、人々は家をきれいに掃除し、「生贄(いえにえ)」とする家畜を用意します。金持ちは牛を、そうでない家は羊を。

主婦たちは揚げパンやナン、 お菓子などをたくさん作り、親戚や友人、遠方からの客のためにごちそうを用意し、新しい服も作ります。

 

 コルバン祭当日の朝、人々は沐浴をし、盛装をしてモスクへ礼拝に行く。家に戻ると、まず牛や羊を殺し、肉にしてご飯の準備をし、 貧しい者に喜捨したり客をもてなしたりします。通常、 人々は祭りに家畜を殺し、大きな骨付き肉の塊を鍋で煮ます。それから女性たちは、ごちそうやお茶を用意して客を迎える準備をし、 男性は互いに新年の挨拶を始めます。

夜になると広場に出て食事会です。前列中央の男性はグリさんの弟、その左は末の妹のサランマット夫妻。

 

 私も十数年前、ウルムチの友人の家にステイしていたときに、一緒に挨拶まわりに加わりました。友人の家々を次つぎと訪問するのです。車がなかったのでタクシーを捕まえて次つぎと移動します。一軒の家には10分くらいしかいません。“これじゃ、ゆっくり話もできないじゃないか”と思ったものですが、そうはいきません。

 

民族の絆を深め礼儀を守る

 

 挨拶は、まず最近不幸があった親戚を訪れます。次に夫婦双方の両親に挨拶したのち、近所の人や年長者に新年の挨拶をします。 両親に挨拶するときには夫婦で一緒に行きますが、ほかは別々に行きます。ムスリムの風習では、一般に男女が行動を共にすることはあまりありません。しかし、この考え方も最近の都市部のウイグル人たちの中では代わってきて、夫婦仲良く歩くようになっています。考えてみれば、それが普通ですからね。

 

最後に同輩の友人たちが互いに挨拶し、 仲たがいしていた者同士も祝日の挨拶をして隔たりを取り除くきっかけとします。また、一緒に飲んだり食べたり、楽器を演奏して歌ったりもします。これらはウイグル族の社会関係を強め、礼儀を守るための重要な要素となっているのです。

 

 コルバン祭のときには、都市でも農村でもウイグル人は広場などで盛んにメシュレプ(舞曲)を踊ります。私が特に感激した踊りはカシュガルの「サマー」という勇壮な踊りでした。これは激しく踊るので男の踊りといわれています。日本でもウイグル人たちはカシュガル出身者でなくても踊られています。男たちにとっては、女性の前で格好よく踊れるからでしょうね。

 

 広場の周りには各種の屋台が設けられ、木の机、手押し車、じゅうたんなどの上にさまざまな食べ物が所狭しと並べられます。

 また、カザフ族、キルギス族、タジク族、ウズベク族などの方々は、草原で馬上競技や競馬、相撲などを行って祝日を楽しみます。モンゴル族はチベット仏教なので宗教が違いますから、コルバン祭りはやりません。

 

 一般にウイグル人は客人をとても大切にします。日本人の私から見ても、それは異常と思えるほどです。

客を上座に座らせ、料理を出す前には必ず手洗い用の水を客の席まで持っていきます。客は、 できるだけ食べ物を残さないようにします。食事が終わると年長者の指導の下に、ムスリムの食後の祈りをし、 客は主人側が食器を片付け終わるまで席を離れない、というのが決まりごとになっています。 ウイグル人が伝統や礼儀を大切にしていることは食事の作法にも現れているのです。

| ウイグル情報 | 07:54 | comments(0) | - |
インド96歳、ウイグル132歳、高齢パパ異聞
  先日、下記のような共同通信の面白い記事を見ました。

まっ!とにかくお読みください。

96歳で男児のパパに? インド

2012.10.18 19:31

 インド紙タイムズ・オブ・インディアは18日、首都ニューデリー郊外に住む96歳の男性が第2子となる男児のパパになったと報じた。94歳だった約2年前に第1子の男児が誕生しており、自身の“記録”を塗り替えたという。信ぴょう性は不明。

 男性はラマジット・ラガブさんで、52歳の妻シャクンタラさんが今月5日に男児を出産。約10年前にシャクンタラさんと出会うまで独身だったという。

 元レスリング選手で、農作業が現在の仕事というラガブさんは若いころから酒を飲まず、厳格なベジタリアン(菜食主義者)。牛乳を1日2リットル飲むといい「神のご加護で望み通り子どもが授かった」と話している。

 インドでは2007年に、90歳の男性が21人目となる子どもの父親になった例があるという。(共同)

 

 “それはすごい!”とお思いでしょう。ところが、私が会った高齢パパはそんなものではありません。

 2004年、8年前の出来事でした。

 拙著『シルクロードの光と影』(2007年、めこん刊、2500円)にもご紹介しましたが、改めてご紹介します。

中央が132歳のおじいさん、右が50歳の奥さん。左はこのとき61歳の私です。


 

眼もうつろなときがあります。

132歳のおじいさんと長寿村

 200411月のある日、ホータン市の近郊農村地帯にある132歳のおじいさんのお宅にお邪魔した。年齢はウルムチの新疆テレビ局が調べたそうである。奥さんは50歳。彼女は18歳のときに100歳の彼と再婚した。再婚とはいえ18歳の女性が100歳ものおじいさんと一緒になったのだろうか。金で買われたのか、はたまた、さらわれたのか(これは冗談だが)その時の事情は私には想像もつかない。

 

率直に言って読者の皆さんには「果たして生殖能力があったのかどうか」ということが、もっとも関心のあるところだろうし、わたしも同様である。だが、さすがにそこまで聞くことははばかられた。双方とも2回目の結婚。今は息子と娘が6人いる。2人の間の子どもであることは、どうやら真実のようである。孫も7人いる。夫婦の下の娘は18歳になり、彼女と同じ年になる18歳の先妻との孫もいる。

ときには眼もしっかりしていることもある。

 

ついでながら、日本のTBSテレビが1997年にここへ取材に来て、余計なことにDNA検査をして、本当にこのおじいさんの子どもかどうかを鑑定して、「間違いない」という結論が出たとのことであった。本当に余計なことをしたものだと思うが、内心ホッとしたものでもある。

 

ギネスブックとはかけ離れている世界であるホータンの長寿村のことだが、ウルムチのテレビ局の調査方法はこうであった。

20年前、50年前、80年前、100年前、120年前など、そのころの世の中の出来事や歴史的な事件などを聞いて、お祖父さんの記憶にある内容と歴史上の経過に時系列上の矛盾点がないかどうか、当時の年齢と食い違いがないかという方法で調べたそうである。果たして本当に132歳なのか、わたしには真実を追及する術はないし、ここではそんなことはたいした問題ではないのである。

 

そこらにいる普通のお祖父さんのよう。


 帰国後、ある講演会でこの話をしたあと一杯飲んだ席で言われたことだが、DNA鑑定で合致したといっても、自分の兄弟や親族の血液でも同じ結果が出るのでは?」といわれてアレッと思ったが、わたしにはどうでもいいことである。132歳といわれれば、そう受け止めようと思っている。132歳でいいのだ。

 

彼は言う。

 「健康の秘訣なんか特にないけれど、熱い夏もはだしで歩き、ここの川の水を飲んで、農作業をした。毎日、コーリャンを少しずつ食べて、バラの花びらに蜂蜜を入れて作った“バラのジャム”を食べている。ショルパー(羊のスープ)にナンを入れて食べ、樹齢700年のクルミの木の実を粉末にして、そこに水を入れて、それもナンにひたして食べる。今は元気になった、痛いところもない。

 

 ワシは1972年に100歳で結婚した。妻は18歳の花嫁だった。結婚してから32年たったからワシは132歳だから妻は50歳だ。仕事は羊飼いだったが、酒もタバコも呑んだことはない。

 国の王様(支配者)は6回変わった。今の中国が一番いい。何でもあるし、とにかく昔と違って食べられるからいい。大変だったのは、‘33年からの東干(トンガン=回族のこと)戦争、清王朝と漢族・回族の戦争だった。回族の村がたくさん皆殺しにあった戦争だった。10歳から40歳くらいの男はみな軍隊に連れて行かれた。わたしは山に逃げた。文化大革命のときは、毎日ケンカや争いばかりだった。

 

 今はモスクに行けなくなって3年たつ。耳も悪くなった。1年ほど前から話もできなくなったが、最近は多少よい。今はコーリャンのパンを肉のスープにつけて食べる。くるみもやわらかくしてお茶に入れて食べる」。

 

 でも、そのような清貧な生活状態はこのあたりでは皆同じだと思います。ここまではTBSも取材して報道していました。いつもでも食い下がりました。昼食をご馳走になってからもお話は続きましたが、お別れする前にやっとそれ以上の理由が分かりました。

 

 「わしの長生きの秘訣など、ない!。でも、家族が仲良く、村の連中とも仲良くやってきた。気苦労は何一つなかった。それだけじゃよ」そう言うお話でした。

 分かりました。これで合点が行きました。

 

近代の私たちには多くのプレッシャーがあります。私も自律神経失調症といわれた頃がありました。ご多分にもれず、軽い“うつ”にもなったことがありました。しかし、おじいさんにはストレスがなかったのです。それが長寿に秘訣だと悟ったのです。

 

もう一度、この写真をご覧ください。


子どもたちに託す夢は?

 「商売が好きなので、子どもたちがやってくれれば嬉しい。上の息子は山で羊を飼っている。羊がたくさん増えたら嬉しい」。

 

 こうして132歳のおじいさんとの、夢のようなお話は終わった。

 この長寿村では、ギネスブックなどどこか別の世界の出来事である。

 インドの90歳のパパなど、問題ではありません。

 それにしても100歳からの再婚で、本当に生殖能力があったのかどうか、それを考えると眠れない。でも2006年の今(執筆当時)、あのおじいさんは果たして、存命なのかどうか、それが心配である。

| ウイグル情報 | 06:05 | comments(0) | - |
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