シルクロード日誌

日本シルクロード文化センターのブログページです。シルクロードに関する情報、コメント、旅日記などを綴ります。
強制収容所からの生還者の生の声を聞きました

  今回からは、国際アムネスティや水谷尚子さんのリポートによるリポートなどを含めて私の意見を書かせていただきます。

 ホータン郊外の農民「日本は水が多いだろうから、それをこっちに持ってきてくれよ」といわれました

 

 私たちが昨年、久しぶりのシルクロードツアーを企画していたところ、いつも同行してくれるガイドのNさんから国際電話が来ました。「野口さん、ツアーを中止してください」と。「いろいろ難しいことがあるからだろうね。じゃあ、僕が1人で行くというのはどう?」と聞くと「それも無理ですね」という返事でした。彼とはそれが最後の連絡になりました。それほど私や私たちは新疆の情勢が実際上の大問題として存在しているのだということを呑み込めていなかったのです。

 

 その前に新疆へ行ったのはいつのことだろう。もうしばらく行っていません。新疆の情勢が風雲急を告げていることがわかっていたからです。その前から私は、水谷尚子さんのように、いつ北京空港で「入国禁止」に会うかわからないとい危険性もあったので、新疆行きを控えていたからです。

 

 すでに2014年頃からホータンやカシュガルでは、街の中心地にコンクリート製の防護壁がつくられ、完全武装の軍警の兵士が小銃の引き金に指をかけて「警備」をする姿が目に焼き付いていたのを見ていました。そういう兵士を素でのウイグル人が襲うわけがないのにです。目的と狙いは一般のウイグル人に、「テロをするものがこんなにいるんだから、みんなも警戒しろ」ということなのです。

 

私は水谷さんのように世界ウイグル会議の主席を日本縦断講演会に案内するようなことはしていませんでした。具体的な反中国政府や党にたいする活動ではなく、文章で中国批判をしているから大丈夫ではないかと思っていたのですが、もうウイグル人やカザフ人らに対しては、その範囲をとうに超えていることがわかってきました。実際に共産党員でもあった弁護士たちの多くが拘束されていたことを見れば明らかでしょう。

 

 アムネスティ国際ニュース10月16日によると「この1年、中国政府は、新疆ウイグル自治区のウイグル人やカザフ人らに、主にイスラム教徒である民族集団について、大量収容、住民などの立ち入り禁止、強制的な政治教育や文化的同化などを進めてきた。収容されている人たちのほとんどの家族は、本人の消息や安否を知る由もなく、しばしば、事態の悪化を恐れ、口を開くことはない。

 

新疆ウイグル自治区での弾圧が強化されたのは、昨年3月、同自治区で『脱過激化条例』が制定されたことが契機だった。同条例のもとでは、公私の場を問わずイスラムやウイグルの宗教や文化にかかわる行為を、『過激派』だとみなされ得る。そのような行為には、『異常なひげ』の蓄え、全身を覆うヒジャブの着用、定時の祈り、断食や禁酒。宗教や文化にかかわる本や文書の所持などがある。外国、特にイスラム教徒が多い国での就業や留学、あるいは国外の人たちとの通信や接触も、条例違反を疑われる大きな理由となっている」とレポートしています。

 

本気でそのようなことを考えて『脱過激化条例』を制定したのであれば、すべてのウイグル人やムスリムの少数民族がその対象になります。恐ろしいほどのジェノサイド政策です。ポルポトもヒトラーもスターリンも脱帽です。

 

 新疆ウイグル自治区人民政府主席は10月16日、ウイグル人やカザフ人ら100万人にも及ぶイスラム教徒らが送り込まれた収容所について、「無料の職業訓練校だ」とコメントしました。

 この発言は。強制収容所であることを示す数多(あまた)の証拠を否定するもので、被収容者やその家族に対する侮辱である。政府が組織的にウイグル人らを拘束している事実は、隠しようもない。

 

 大勢の人びとが収容されているこれらの収容所群は、明らかに懲罰や拷問のための施設であり、職業訓練所ではありえない。『収容所で暴行や食事はく奪、独居拘束などを受けた』という報告が絶えない。その結果、被収容者は多大な苦痛を強いられている。

 当局は、速やかに収容所の実情を明らかにすべきである。

 同国際ニュースから

 

カシュガル市内で

あるオアシスのホテルの入り口にいた女性。

| シルクロードの光と影 | 09:00 | comments(0) | - |
強制収容所からの生還者の生の声を聞きました

 ※2回前のブログで、せっかく中国の民族政策をスタートさせたのに、生還者のナマの声が聞けたので、方  向を転換しました。ご了解ください。

 このブログでは、以前からもそうでしたが、実名や写真なども配慮して掲載してきましたが、実名の拘束者・死亡者名簿も公開・発表されましたので。その個所は実名としました。その旨ご賢察ください。

イメージ写真=ホータンのポプラ並木

イメージ写真=ウイグルの娘は踊りが好き(2005年頃、野口克也撮影)

 

 

2人目のゲストはヌーリ・ティップ氏。

 彼は兄が飯田橋の理科大学へ留学したので、兄を慕う彼は同じ大学に留学しましたが、その兄タシポラット・ティップさんは、帰国後は学部長を経て新疆大学の学長でした。現在、死刑判決(執行猶予2年)を受けています。

 

 おそらく中国共産党員で、中国の政府と党に忠実な学者だったであろうウイグル人の彼が、すべてのウイグル人の知識の頂点に立っていたであろう彼が、なぜ死刑判決を下されるのでしょうか。何も悪いことはしていないのに、です。執行猶予2年ですからおそらく執行はされないでしょうが、なぜでしょう。

 

 さらに、このように水谷さんからもたらされた105名の知識人拘束者名簿と32名の死亡者名簿は何を意味するのでしょうか。

 

 2人のウイグル人ゲストは言いました。「中国はものを書く人(インテリゲンティア)を怖がる。だから、そこからなくしていこうとしている」と。

 

 知識人は広く世の中へ意見を発出します。中国のこの姿やこれまでの抑圧の歴史を知られては困るから。その内容を知らせないようにする、ということです。

 まるで、カンボジアのポルポトによる数百万人の虐殺と同じです。あるいはナチスドイツにも引けを取りません。

 

 ほとんどの知識人が皆殺しになりました。ジェノサイドです。民族浄化の作業です。

 どなたかが話していましたが、あの文革よりも今のところは、規模は小さいですが、その残虐性は文革を上回っていることでしょう。

 

 水谷さんはオムルベクさんに聞きました。「拘束された人が殺されたところを見ましたか?」「わたしは房に入れられていたので、連れていかれるところは見ましたが、どこへ連れていかれたのかは分からない」とのことでした。

 

 房内の生活は、まず何よりも、中国共産党と習近平主席と中国政府をたたえる「作業」から始まります。感謝の言葉を述べるのです。徹底的にやらされます。これが足りないと食べられません。

 党のいうことをすべて受け入れるか、これが足りないと死ぬまで拷問を受けます。受け入れなければ「死」あるのみです。

 

 朝の8時ころの朝食は中身のないマントウとおかゆのみ。これが朝晩同じもの。

 午前8時ころの朝食から昼まで、さらに夜の12時半すぎまで学習会です。

 革命歌を唄い、党への賛美そして、政治学習です。

 夕方からは自己批判と他人への批判。“私がウイグル人で悪かった。ムスリムで悪かった。私は死ぬまで党のものだ”と言わせられるのです。

 さらに正体不明のクスリを飲まされます。どのような薬かわからないけれど、ひどい下痢になった。友人は薬を飲まないで、私の目の前で拷問されて死んだ。もう1人は腎臓を傷めて血尿になった。

 すさまじい抑圧と拷問、死ぬ直前には腎臓移植されて莫大な利益を生み出させられます。

 

 奇跡の生還を果たした彼オムルベク・アリ氏は最後に言いました。

 いかに強い国であっても、独裁国家として少数民族を弾圧し、統治していけば、必ず正義によって倒されます。私は一匹のアリのように小さい存在ですが、中国の独裁を世界に訴えます。世界には人道・人権・正義を尊重する人がたくさんいます。正義は必ず勝ちます。 

 

 これまで述べてきたように、いま、海外にいるウイグル人のほとんどは故郷へ帰ることができません。その多くの人が家族を拘留されています。

 いま必要なことは、中国・新疆で起こっているこの事実を世界の多くの人びとや団体に届けて国際的な世論を高めることだと思います。「正義は必ず勝つ」ことに確信をもって。

南疆のどこかの農村のおじいさん

カシュガル郊外メキトの農村のトフティさん。ドゥランムカームの演奏者。

日本シルクロード文化センターの設立総会にも来てくださった私の友人です。

外国へ何度も行ったことのある彼は、どこに拘束されているのだろうか。

トルファン郊外の高昌故城の土産物売り場の娘さんたち。10年以上も通っているので、

この子たちが小さい時から知っていました。「アッ!日本人のおじさんが来た!」ということで・・・

 

| シルクロードの光と影 | 10:31 | comments(0) | - |
ウイグル強制収容所からの生還者の生の声を聞きました

 これまで私は、何度かにわたってウイグル人に対する中国当局の暴虐の数々を記してきました。そのどれをも上まわる生還者のお話しに改めて驚きを増しました。

 

 きのうワイフに「今日は何かあるはずだったんだけどなア〜」と言ったのですが、「あなたは私にも“ウイグル問題の集まりがあるから一緒に行こう”と言ってたのに忘れたの?」と冷笑される始末。

 

 ネットでそれらしき集まりを探したのですが、どうしてもわかりません。やがて自分のノートを開いてみると、大切な集まりだからということで、ちゃんとノートの日程表に書いてあったのです。さいわい午後6時から、会場は、お茶の水の明大リバティーセンターでしたので、余裕を持っていくことができました。それが、明治大学現代中国研究所とアムネスティ・インターナショナル日本が主催する「ウイグル強制収容所から奇跡の生還〜オムベルク・アリさんが語る〜」という集会でした。

 

 おはなしはオムルベク・アリ氏。42歳です。

 生まれは新疆ですが両親はカザフ人とウイグル人で国籍はカザフスタン。

 カザフスタンのアルマトゥ市の旅行社勤務でしたが、両親のいるトルファンを訪ねた際に突然、警察に身柄を拘束され「カラマイ市技術研修センター」の看板がかかる収容所に送られました。

 さいわい彼の妻の奔走でカザフ外務省に働きかけ、北京の大使館経由で救出を依頼、メディアにも訴えて8ケ月で釈放されました。

 

収容所内の環境は豚小屋以下の劣悪なところで(いまは豚小屋も環境が整っているようですが、これは比喩です)、12平方メートルの房に35人〜50人が詰め込まれ、24時間手足を鎖でつながれたままで、食事・トイレもこの狭い房です。115kgあった体重が8ケ月後には60kgに減っていたといいます。

 

 狭い房なので“睡眠も交替制”。そのうち、ときおり4〜5人が房から連れ出され、その人びとは二度と帰ってきません。代わりに同じ人数が入ってきます。連れ出された人びとはおそらく殺されただろうという以外に想像できません。

 

 この日の“スピーカー”は旧友の水谷尚子さん。明大の専任講師です。昔からの友人です。4〜5年ぶりでした。以前は新宿付近のウイグル料理屋や池袋などで話し合ったものです。

 

 この日の集いの休憩時間、そのウイグル料理屋の店長と会場でバッタリ。いつもケンカっぱやい彼ですが、まだ店はつぶれないでいるようです。この日は、会場で数年ぶりのウイグル人たちと会いました。互いに握手を交わしましたが、彼らのほとんどは家族が行方不明になっています。

 

 会ったことのない50代くらいの男性は、眼に涙を浮かべて「娘が1年も行方不明で・・・」といったまま、あとは言葉が続きません。「兄弟が3人、行方不明・・・」「両親と妹がつかまったままです」と、ほとんどの友人たちの家族が行方不明になっています。

 

 なぜなのでしょう。それは「彼らが外国にいる」というだけの理由のようです。いま、新疆では外国に行ったことのあるウイグル人は、すべてパスポートが没収されています。当局は公費留学生であっても私費留学生であっても帰国をせよとの命令を出しています。間違って帰国すると即座に強制収容所入りです。

 

 水谷尚子さんが作成した、限定的な強制収容されている名簿が配布されました。

 私が知っている何人もいました。

 

 アリムジャン・メメットイミン氏は、私の盟友の末の妹の義父です。彼は新疆ウイグル自治区政府の秘書長でした。日本の政府で言えば官房長官です。

 

 以前、彼の家に行ったことがあります。国が違うので実情も違うため話がかみ合わなかったのですが、親しく話をしたことがあります。

 通訳をしてくれた方も通訳を断るほどの刺激的な論争もしましたが、好人物でした。彼メメットイミンも拘留されていることが判明しました。

 

 さらにイリのヌルタイ・アジも強制収容所の名簿にありました。

 かつて私がまだ日本シルクロード文化センターをつくる前に企画していた“新疆に日本語学校をつくろう”と計画した際、友人の紹介で、資産家の彼が私費で孤児が入ることのできる学校を経営しているヌルタイ・アジ氏の名前もありました。北新疆イリの人です。

北新疆イリにある「ヌルタイ・アジ学校」の正門。2004年11月のこの日、本人は留守でしたが学校まで訪ねました

堂々とした学校です。もうこのころヌルタイ・アジは「野口は危ない人物」ということで私に会わなかったのです。

 

 彼を含めた「イリの宝」といわれたほかの3人も強制収容所に拘留されています。その名前もありました。

 水谷尚子さんが作成した名簿には105名の拘束された人の名前と32名の死亡者リストがありました。これは彼女が研究者であったために、その分野の人の名簿作成になったようで、これはほんの氷山の一角だと思います。100万人が強制収容所に入れられているという話ですが、この日のもう1人のゲストは、「百万人どころかその数倍になるだろう」と話していました。

この写真は2004年12月のカシュガル。日本留学を終えた女性が(立っている女性)

私費で学校の教室を借りて「日本語教室」を開いていました。

私があいさつすると「ナマの日本語だ!」と大感謝され、何人もの女性から

「私の家へ食事にご招待します」といわれました。

 

 

| シルクロードの光と影 | 15:45 | comments(0) | - |
中国共産党の「民族政策」とはなにか

 昨日の続きです。

イスラムの「ラマダン」の日。富めるものが貧者を救うという考えで、日没後は食事がふるまわれます。

ここはカシュガルのエイティガル寺院の横道の小さな広場。

「一緒に食べて行けよ」の声がかかります。

今はこんな光景も見ることができません。

 

 政府にとって少数民族を拘留する理由はいくらでも創りあげることができます。

 その理由の第一は、「少数民族」だということです。

 政府にすれば、少数民族はそもそも今の政府に忠実ではないから、という理由です。

“少数民族は、そもそも漢民族の中国共産党と政府を信頼していない”からということが、中国側の“気持ち”です。

 

  なぜ、そのような感情が表れるのでしょうか。少し長くなりますが、中国が、なぜ今、このような残虐で激しい少数民族弾圧を加えているのでしょうか。中国共産党の民族政策の変遷と辺境諸民族に関して探ってみましょう。

 10数年前、『季刊中国』に請われて執筆した「中国共産党の民族政策の変遷と辺境諸民族」をダイジェスト風に切り取ってご紹介していきます。

 

 一言で言えば、中国共産党の民族政策は、党のそのときの状況に合わせて帰られてきたということです。

中国共産党は、その辺疆諸民族の統治のために、結党後間もなく「民族の自決権」と「連邦国家構想」という民族政策をかかげました。

 主な理由は、ソビエト連邦(当時)やコミンテルンの政策を教条的に採用したためと、野党としての理念目標。宣伝スローガンだった側面がありました。

 

 しかし、中国共産党の民族政策は、革命闘争の過程で幾度も変更・変遷を遂げました。中国共産党は1949年に、権力を獲得したのち、すなわち新中国建国と前後して「民族区域自治政策」を打ち出し、なおかつ「民族識別」工作をも実行し、その後、分離・独立の運動が激しくなった現在でもいささかの動揺もみせません。その「民族区域自治政策」のモデルは内モンゴルの自治だった。

 

 一方、1933年に続いて抗日戦争末期の混乱期に1944年の新疆で起きた「東トルキスタン共和国政府」の樹立は、新疆諸民族と統治側の国民党政府はもとより、中国共産党にとっても驚天動地の出来事でした。1年半あまりで夭折・崩壊したこの「民族革命政府」の理念は、21世紀に入った今日においても、その精神と理念が辺疆諸民族に継承され、こんにちにおける分離独立運動として受け継がれています。

 

 ここでは、中国共産党における民族政策の変遷と、その政策がなぜ、最終的に「民族区域自治」政策に移行し、「民族識別」工作を行ったのか、そして「東トルキスタン共和国政府」が、どのような過程で樹立され、崩壊に至ったのかについてふれてみたいと思います。

そのエイティガル寺院も、今は軍警の休憩所がつくられています。

自転車で通りかかったウイグル人が、軍警に呼び止められました。

私服も含めて10人くらいが取り囲んでいます。

このあとウイグル人たちが、血相を変えて集まってきて、一触即発の状況。

私たち外国人は、このようなところにいてはまずいことになります。

すぐに移動しました。

 

※今日の写真は私の撮影したものです。

| シルクロードの光と影 | 10:18 | comments(0) | - |
国際世論でウイグル民族の救援を

 中国共産党と中国政府によるウイグル民族や新疆の各少数民族に対する人権侵害や抑圧は、わたしが今まで知る限りのことを書いてきたこと以上の惨状を呈しているとともに、国際的な支援と救援の動きとなっているようです。

 

 これから記す内容は主として直近のロイター電によるものです。

 

カナダ、イギリス、フランス、ドイツやオランダなどの15か国の駐中国大使らが、中国当局に書簡を送り、新疆ウイグル自治区党委員会の陳全国・書記との会談と新疆の人権状況の説明を求めました。

 

 書簡は「新疆でのウイグル族らイスラム教徒に対する扱いを強く懸念している」とし、「状況を明確にするため、陳書記の都合がいいときに会談することを求める」と明記しています。

 

 これに対し、中国外務省の華春蛍(か・しゅんえい)副報道局長は15日の記者会見で、「なぜこのような要求を通じて、連名で中国に圧力をかけるのか。このようなやり方は非礼であり、受け付けることはできない」と批判。「各国大使は、駐在国内のことに干渉すべきではない」などと非難しました。

新疆のバザールで羊を売るウイグル人

 

 新疆で数十万人によるウイグル族らが不当に拘束されていることに関し、国連の人権理事会の場や国際NGOなどから懸念が相次いでいます。

 

 しかし、中国政府は「根拠のないうわさを信じ、夢中になるべきではない」(王毅〈おうき〉外相、13日の会見)などと国際社会の懸念を否定し、詳しい説明を拒否しています。

  (ロイター電の報道はここまで)

 

 一般に中国人は、日本人などの発言に比べて欧米に発言を必要以上に重視します。

 何かの会議があると、中国の報道は、会議の内容ではなく、まず先に、ヨーロッパの報道陣が何人来たかを報道するくらいですから・・・

今日の写真は、すべて通信社のネット写真です。

 

また、昔トルファンで開催された「国際トルファン学会」に早稲田の高名な先生(たしか坂内先生だったかもしれません)方と出席した際、たまたまバックパッカーとして偶然、会議に傍聴者として顔を出したヨーロッパの青年を、理由もなく主席団の席に座らせたことがあります。高名な早稲田の先生より先に発言させ、その内容があまりにトンチンカンで稚拙な内容なので、通訳のグリさんは怒りに燃えて席を蹴って退出したほどです。

 

 今の中国の党と政府は、そのヨーロッパの国々が出した声明さえも断固拒否するのですから、ウイグル族らを弾圧する決意は固いようです。

 

 ウイグル人の数多くが外国へ脱出して学んでいます。卒業しても帰国したがりません。家族でさえも、「せめてあなただけでも帰国しないで、その国で幸せに暮らして・・・」という気持ちが強いのです。

 

 ですから、中国政府はその家族に圧力を加えて「お前の息子か娘を帰国させろ」と迫るわけです。帰国しないと拘留します。

 それと気づかないでたまたま留学先から帰国すると、たちまち拘留です。

 昔、外国に行ったことのある者がいると、王流していわゆる学習させ、反省文が不十分だとさらに拘留です。

 

 続きは明日にしましょう。

| シルクロードの光と影 | 03:49 | comments(0) | - |
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