シルクロード日誌

日本シルクロード文化センターのブログページです。シルクロードに関する情報、コメント、旅日記などを綴ります。
大相撲を論ず―7 相撲協会は「近代的労務管理の導入を」

いま必要なことは、相撲協会と部屋の「近代的労務管理」です。

これには「部屋」や「一門」という壁を取り払うというもう一つの大仕事も喫緊の課題になっています。

この「壁」を打ち砕くには、現在の相撲協会の組織構成を改革しなければ実現は不可能です。

それには相撲協会の理事に外部からの有識者が加わらなければなりません。

横綱審議会だけでは間に合わないのです。

 

近代化のもとで大切なことは力士のケガ=傷病のことです。

9月場所や九州場所に典型的に表れたように、けがによる休場が非常に多くなっています。

 

相撲の世界に入ると、“とにかく太れ、大きくなれ”と言わんばかりに、太るために沢山食べさせます。

まるで北京ダックかアヒルに餌を与えるかのように。

しばらく前まで、相撲を引退した者で還暦を迎えた人が少ない、とよく言われました。

必要以上に食べさせられるから、心臓など内臓に疾患を起こす者が多くなるのは当然です。

ですから短命の者が多かったのです。

 

相撲の稽古や本番でのけがも多くなっています。このままでは、幕内の半数以上が休場して本場所が成立しなくなるなんてことにもなりかねません。

要は、科学的な食事のための管理栄養士を配置することや、科学的なトレーニング方法の取入れ、トレーナーや指導者が必要です。

その点で「国立科学スポーツセンター」などとの提携も必要でしょう。

 

さらには、2カ月に1回の本場所ではけがを治す余裕ができません。

さらに巡業も含めれば年間10ケ月は本場所か巡業です。

少なくとも本場所を多くても年4回くらいに減らす、

さらにはケガの休場を補償して治療に専念できる体制も必須です。

協会にとっては収入減になることなのですが、大相撲を長く維持・発展させたければ、これくらいのことは必要です。

 

そのような措置を講ずることができる病院と医師・看護師や栄養士・トレーナーなどの配置や、大手の病院と契約を結ぶことあるいは専属の病院の充実ことも必要になってくるかと思います。

 

1129日、日馬富士の引退が報じられました。

この際、積年の桎梏をここで取り出して解決するいい機会です。

そのためには、国会での問題提起や政策の提起が必要だと思います。

 

以下は「相撲協会」のホームページの写真です。

 疏案 巡業地へ出発

開場〜朝太鼓

K覯式焚爾侶慮

ぐ手会

ソ塾勝λ詁發侶慮

子どもとの稽古

Ъ茲蠢箸潦始

土俵入り

横綱土俵入り

幕内取り組み

弓取式

次の巡業地へ

 

相撲甚句

 

しょっきり(初切)

櫓太鼓打分

 

| 大相撲を論ず | 09:41 | comments(0) | - |
大相撲を論ず―6 相撲を教えるということ

まず、「相撲教習所」について

ここは、相撲界に入ってきたすべての新弟子に研修をしていますが、モンゴル人や諸外国から訪日した新弟子たちも当然、例外ではありません。そこでは日本の大相撲のことを教えます。

相撲教習所の看板。不鮮明ですが・・・

 

しかし来日したばかりの外国人少年・青年たちは、日本語が分からない場合が多いでしょう。日常の会話ができても、専門的な話は無理でしょうし、日本の高校に留学していたような青少年でも、日本語のボキャブラリーも少ないでしょう。ましてや相撲の世界の言葉や生活には全く未熟なことだと思います。

 

実技の指導員は、普通、力士経験者や現役力士が担当しています。現在は4名の親方と現役の幕下力士が指導しています。他方、教養講座は大学の講師や有識者などが担当しています。

(相撲協会のホームページから)。

肝心なことは“カリキュラム”と新弟子が理解できるかどうかの講義だと思いますが、果たして・・・・

 

 

朝食前の稽古でもありますから、空腹で勉強するどころではないでしょう。「相撲道の精華」などと言われて“なんのこっちゃ”となるでしょう。これは「研修」の形骸化につながりかねません。協会の立場からすれば、内容よりも“やった”という実績が必要なのでしょう。ですから、このことに対する解決策は、ある程度の出世を果たしてからの再度の「研修」が必要だと言えます。

 

教える基本は、日本の憲法の精神、法律とその考え方=人を殴ったり、人のものを盗んだら罰せられるなど=の基本を教えることだと思います。おそらくそのような機会はこれまでになかったことでしょう。

 

私の立場から言わせていただければ、「スポーツマンシップ」、「互いの技術を教え合う」、「科学的なトレーニング方法の交流を通してアスリート同士が技術向上を学び合う」などだと思います。あえて、現在の相撲の世界であまり使わない言葉を使いましたが・・・・

いずれも小さい時から相撲の世界に入ってきて、一般常識や法律を学ぶ機会が少なかったでしょうから、これらの修養は必要です。

両国国技館

 

さらにこの研修は親方たちにも必要です

親方にも必要だということは、親方自身も新弟子時代から長い間、相撲の世界にいました。何よりも現代に適応した組織運営や科学的な指導法を学ぶ必要があると思います。科学的な指導方法や一人ひとりに合った栄養や食事などは、当然、学んではいないでしょう。

超満員となったファン対象のトークイベント中の教室

 

ここの修養が足りないから、先輩力士からの「秘伝の教え方」のような非科学的・非合理主義的な指導方法がいまだに存在していて、それらもろもろを引き継いできていると思われます。

 

これは、昨日今日問題になっているような、国会の「相撲議連会長」が「相撲取りは体が大きいから・・・」と言う差別的な言葉とは無縁のことです。それぞれの専門家いわゆる有識者の専門性を求めて、誰でもが分かりやすい研修を受ける。合理的な考え方を身に着ける援助をしていくということの大切さを言いたいわけです。

かつて貴の花親方が相撲教習所の所長をやったことがありましたが、彼でさえもこの壁を打ち破ることができなかったから、大切な仕事です。

| 大相撲を論ず | 05:00 | comments(0) | - |
大相撲を論ず―5 大相撲は国技ではありません

なぜこのような暴力事件が起きたのか、から、その原因について考えてみましょう。現在の公益法人・日本相撲協会の中身について。

 

で、よく言われる言葉。「国技」

大相撲は公益法人・日本相撲協会が運営しており、衆目も一致しているように見える、この「国技」


当麻蹴速(たいまのけはや)と角力を取る野見の宿祢

(月岡万年 『芳年武者無類』より)

大小の刀を佩刀し武士と同じ待遇であった力士。

江戸時代まで力士は大名や旗本に召し抱えられていました。

良くない言葉ですが「男芸者」と言われた時期もありました。

 

実は法律にも文科省の条例にも、どこにも「相撲協会の大相撲は国技である」、などと定めていません。なぜ、そうなったのでしょうか。

簡単な話です。相撲専用の体育館を「国技館」と名づけたからです。そこにきて、神話か伝説にある“野見の宿祢(のみのすくね)以来の伝統”がかぶせられ、「神事」などといわれるので、「国技だろう」となってしまったのです。

當麻蹶速と野見宿禰の天覧相撲

 

野見宿禰 Wikipediaより

天穂日命14世の子孫であると伝えられる出雲国の勇士で、第12代の出雲国造である鵜濡渟(宇迦都久怒)の子。またの名を襲髄命という[1]垂仁天皇の命により当麻蹴速角力(相撲)(『日本書紀』では「捔力」に作る)をとるために出雲国より召喚され、蹴速と互いに蹴り合った末にその腰を踏み折って勝ち、蹴速が持っていた大和国当麻の地(現奈良県葛城市當麻)を与えられるとともに、以後垂仁天皇に仕えた[2]。また、垂仁天皇の皇后日葉酢媛命の葬儀の時、それまで行われていた殉死の風習に代わる埴輪の制を案出し、土師臣(はじのおみ)のを与えられ、そのために後裔氏族である土師氏は代々天皇の葬儀を司ることとなった[3]。第13代の出雲国造、襲髄命はこの野見宿禰のことである[4]播磨国の立野(たつの・現在の兵庫県たつの市)で病により死亡し、その地で埋葬された

野見宿禰

 

まだあります。きのうきょういわれている「横綱は神である」

これは「神事」からきているのでしょうが、何も根拠はありません。

そして「横綱の品格」。これは外国人には翻訳不能です。

分かるようでわからない言葉ですね

 

私はいつも言います。“横綱だから品格が必要”なのではなくて、力士なかんづくアスリートすべてに求められることでしょうし、さらには人が人であるからには、生きていく上で、この「品格」というものは、絶えず追求されるべきものでしょう。ですから横綱だけに求めることはないわけです。

| 大相撲を論ず | 09:43 | comments(0) | - |
大相撲を論ず―4  外国人力士の気分・感情、習慣など

 

もう少しモンゴルについて考えてみましょう。

 

 

モンゴルでは残念ながらいまだに「法の支配」が不十分です。これがいいことか悪いことかは別にしてです。

 “英雄がやったことは、多少暴力をふるっても許される”という土壌・認識がまだまだ根強いところです。

 

朝青龍が日本の相撲界を追われてからの出来事ですが、彼は「アジア・レスリング連盟」の理事でした。その朝青龍が同連盟の会長であるモンゴル人の長老(80歳代の年寄り)を何か気に食わないことがあって、暴力をふるったことがありました。

 

そのときはモンゴル中から非難の声が渦巻きましたが、やがてそのまま非難の声が小さくなっていき、やがて消えていきました。

なぜ、声が小さくなったのか。それは彼が日本から大金持ちになって帰ってきたということが大きな理由に挙げられます。“金持ちは英雄”なのです。

 

彼を引退させたときも、モンゴル国内では「横綱にまでなった英雄を引退させるなんて・・・」と相撲協会を恨む声がかなり大きく響いていました。

また、日本と違うところは、あちらではケンカがあっても、途中で仲裁に入らないということがあります。ほぼ決着がついたころを見計らってから、やおら止めに入る、というようです。

現在では、朝青龍も旭鷲山も政治家として互いに大統領や首相(経験者)たちのバックがついているので対立しているようで、容易ではありません。

 

現在といっても2015年7月時点の力士数と外国人数を見てみましょう。

力士総数は659人、そのうち外国人力士は5・9%。

そのうちモンゴル人力士が26人、それ以外の国11ケ国から39人、合計65人がいます。今では、外国人力士が強すぎるという理由からでしょうか、人数に制限があります。

外国人力士初の横綱曙。

 

その前に「モンゴル力士会」について一言

 

この力士会とは別に十両以上の全関取の力士会があります。

力士会は2011年の東日本大震災から、幕内以上の力士が毎月10万円、十両は5万円を集めて支援をしたと言う話です。そして力士相互の救援や補償、お祝いごとの「ご祝儀」あるいは慈善事業など、いわゆる互いに助け合う互助会のようなもののようです。基本は、被災者への救援・援助などに充てられ、それ以外の目的にも使われています。会長は白鵬です。

モンゴル出身の有志によるモンゴル力士会についても、モンゴル出身力士に限っての援助や見舞いなどで集まっているようです。

 

貴乃花親方は、相撲そのものに全力をあげれば、それでいいという考えのようです。また違う部屋の者同士が集まると“癒着”を生むのでよくないと言っているようです。そうすると、その考え方の基本は「力士は集まると八百長をする」から集まるな、と言うことになりますね。人間不信からは積極的なものは生み出されません。

貴乃花親方

 

そんなに力士を信頼できないのでしょうか。モンゴル人だけでなく外国の力士たちは文化が違います。なんといっても言葉がまだまだ不十分ですからストレスもあります。部屋を越えて外国人同士が交流して親睦をはかることはいけないことなのでしょうか。おおいにやるべし、です。

| 大相撲を論ず | 09:35 | comments(0) | - |
大相撲を論ず―3 小中華思想のモンゴル叩き

私は常日頃から「華夏思想=中華思想」に注目しています。

 

インターネットからひいてみました。

華夏(中国)は世界のうちでもっとも文化の卓越した中央の地であるとし,周辺の諸国を文化のおくれた低劣の地と蔑視し、夷狄(いてき)と称してこれを差別する立場。華と夷を分かつ基準を,根源的な血液の違い,人と禽獣の差とする考えもないではないが,多くは道義性の有無,習俗や制度の相違,いわば文化的な優劣におく。だから夷狄も文化が向上すれば,差別を解消して中国に迎え入れ,世界国家の理想が実現するという。しかし実際には,中国文化の優越性への自負があまりに強烈なためか,夷狄の進化をかたくなに拒み,容易に受け入れない」。

朝鮮半島と日本の位置

 

むかし、中原を支配していた漢族が、北の騎馬遊牧民を蔑視していました。

これが現在の中国にも濃厚に残っています。一部の日本人も調子に乗って「自分も白人だ」と勘違いする人が増えています。今日の朝日新聞の投書欄にもありました。「白人に似せることがおしゃれ?」と。

世界には、東に「中華思想」があり、西に「白人優性思考」があります。

この考え方は、人類の平和と協調を根底から破壊する危険な思想です。

 

そして「小中華思想」があります。

漢族の住む遥か東の海のかなたにいた「大和民族」。中華思想で言うところの「東夷」のそのまた東の、虫けらにも劣るといわれる民族がいるのですが、こんどはその大和民族が、「我こそは選ばれた、優れた民族だ」とばかりに尊大になり、隣の朝鮮を何度も攻めました。

 

西暦663(天智2)年には倭国と百済遺民の連合軍が唐と新羅の連合軍に戦いを挑み、ハクスキノエ(白村江)の戦いで壊滅的な敗北を喫しました。日本が外国へ侵略をして最初に敗北した戦争でした。その後も、明治維新後に西郷隆盛を中心とした“征韓論”などが出て、ついには朝鮮を武力で侵攻して、やがては日清戦争、日露戦争の戦場になって、当時の朝鮮や中国に塗炭の苦しみを与えました。このような考え方が「小中華思想」です。

ハクスキノエの戦いの配置図

 

それをモンゴルにも当てはめて考える志向が最近とみに増えています。

モンゴルに対する蔑視ですね。

最近のテレビの特徴で、“外国人が、日本のこういうところをすばらしいと言っている”という類の番組が増えています。小中華思想の裏返し、ナショナリズムの萌芽だと思います。そのくせ欧米に対しては必要以上にへりくだり、媚びた態度を取ります。とにかくアメリカ、フランス(欧米)というと“格好いい、素敵”、アジアやアフリカになると、正反対の態度をとる傾向のことです。

まさにこのような時に不当な“モンゴルたたき”が芽生えたのです。

| 大相撲を論ず | 10:20 | comments(0) | - |
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