シルクロード日誌

日本シルクロード文化センターのブログページです。シルクロードに関する情報、コメント、旅日記などを綴ります。
「白鵬たたき」にみる日本型“イジメ”の構造

12/14(木) 6:00配信

東洋経済オンライン

※きょうは、バー・ボルドーさんのフエースブックに掲載された、東洋経済オンラインの太田 肇 :同志社大学教授の論を転載します。少々長い文章ですが、写真も入れずに一気にお読みください(野口)。

 

 

テレビのワイドショーやネットニュースなどで日々報じられている元横綱・日馬富士の暴力問題だが、次第に「モンゴル人力士批判」、とりわけ「白鵬たたき」の様相を呈してきた。巡業先に「殺害予告の脅迫状」が届くまでエスカレートしたこの流れに対し、『承認欲求』の著者で大の大相撲ファンでもある太田肇氏の組織論の観点から異論を提起する。

標的にされた白鵬

 元横綱・日馬富士の暴行事件がマスコミをにぎわした。ところがいつの間にかバッシングの矛先が横綱・白鵬に向いていった。白鵬自身、暴行現場に居合わせた1
人というだけで事件とは無関係なはずなのに、事件の延長でたたかれるのは気の毒な気がする。たとえていうなら「別件逮捕」のようなものだ。

 たしかに嘉風(よしかぜ)との一番で行事の判定に納得せず、土俵の上下で抗議の態度をとり続けたのはいただけない。注意され、何らかの制裁を受けてもしかたがないだろう。

 しかし明らかな非礼はそれだけで、表彰式での発言や万歳三唱はそれ自体、社会的に糾弾されるようなものではない。にもかかわらず日本相撲協会は表彰式の言動について厳重注意した。テレビのコメンテーターや大相撲関係の委員たちもこぞって白鵬の「品格」を問題にし、なかには発言や万歳などを理由に出場停止処分にすべきだという人もいた。

 私はテレビで表彰式の模様を見ていたが、白鵬の言動に驚きはしたものの、むしろ拍手を送りたかった。「日馬富士や貴ノ岩を土俵に上げてあげたい」という発言からはライバル力士への思いやりが伝わってきたし、万歳三唱を求めたのも、大相撲界をおおう空気を少しでも明るくしようとする白鵬ならではの気配りが感じられた。実際に満員の観客は白鵬の提案に呼応して高らかに万歳三唱し、館内は大いに盛り上がった。

 しかし、だからこそ大相撲のお目付役や親方衆にとっては面白くない。自分たちのほうが「偉い」はずなのに、白鵬に場を仕切られ、観客まで味方につけられてしまったからである。ただ明白な非行やルール違反がない以上、表だってそれを非難できない。そこで「品格」という便利な口実を前面に出したのだろう。

白鵬へのバッシングは今に始まったことではない。朝青龍が現役の時代には白鵬は模範力士として持ち上げられていたが、ヒール役の朝青龍が引退に追い込まれてから世間の風向きが少しずつ変わっていった。日本人力士なら許されるような取り口や些細な言動が問題にされ、だんだんと「強いが品格に欠ける横綱」というイメージが植え付けられていった。

 それには伏線もある。たとえば人権問題には敏感であるべきNHKのアナウンサーや解説者さえ、大相撲実況中継のなかで事あるごとに「日本人の横綱がほしい」と口にし、館内でモンゴル人力士への差別的なヤジが乱れ飛んだときもそれをとがめようとさえしなかった。

■バッシングの裏にある、屈折した承認欲求

 私は「白鵬たたき」に日本社会特有のイジメの構造が象徴的な形で表れており、その背後には日本人の屈折した承認欲求が潜んでいるととらえている。

 人間には他人から認められたい、ほめられたいという承認欲求がある。しかし日本の社会では魅力的な個性や優れた能力、卓越した業績をたたえる「表の承認」より、出すぎず、和を乱さないことをよしとする「裏の承認」風土がある。そのため承認欲求は他人への嫉妬や意地、メンツというような屈折した形で表れやすい。そして自分の承認欲求を満たすため、「出る杭(くい)」を打ったり、他人の足を引っぱったりする。他人の価値を下げることで、自分の存在感を示そうとするのである。

 白鵬は恰好のターゲットになったわけだ。彼の突出した実力と業績は周囲の羨望を集め、外国人ということで日本人のナショナリズムにも火をつける。しかもNHKまであからさまに日本人びいきをするし、相撲協会からは厳重注意というお墨付きをもらった。そうなると、もうバッシングにブレーキはかからない。

 さらに都合がよいのは、相手が大横綱であるという点である。とくにマスコミにとって、表面上は「強者」でありながら反撃の手段をもたない相手ほど攻撃しやすい標的はない。強者と戦う「正義の味方」を演じられるからである。

朝青龍にしても白鵬にしても、彼らがかりにアメリカ人かイギリス人だったらこれほどたたかれただろうか、とついつい考えてしまう。

■学校や職場のイジメも構図は同じ

 こうして白鵬に対する集団的なバッシングが広がった。相撲と無関係な各界の重鎮からネトウヨ、そして一般の人たちまで、日ごろのうっぷんを晴らすかのようにSNSなどを使っていっせいに白鵬をたたきはじめたのである。

 その展開は学校や職場のイジメと驚くほど似ている。

 たとえば公立の小学校や中学校では、進学塾に通う勉強がよくできる子、海外留学の経験があり教師よりも英会話が堪能な子、音楽など芸術のプロをめざし英才教育を受けている子などがしばしばイジメに遭う。

 教師も人間なので、このような子がクラスにいると内心は面白くない。それがちょっとした言動に表れることがある。それを目にした生徒たちは教師のホンネを敏感に察知し、標的となる子の些細な落ち度をとらえて嫌がらせや仲間外しなどをはじめる。

 職場もまた学校と同様、わが国ではメンバーが固定していて閉鎖的なため、独特の慣習や序列ができやすい。そのため上司や先輩のお株を奪うような仕事をする人や、空気を読まない人が入ってくると職場ぐるみで嫌がらせをするようになる。しかも「敵」をつくって自分たちの結束を高めようとするため、嫌がらせはエスカレートしていく。

 高度成長期と違って、企業も経済も拡大することができないし、会社の中では役職ポストも削減されている。「表の承認」を得るチャンスが少なくなっているのだ。そのためグローバル化という世界の潮流と裏腹に、日本人の意識はますます内向きになっている。人々の活躍や成功をたたえるより、異質なものを排除し「出る杭」を打つ日本社会の暗部「裏の承認」がますます色濃くなっているように感じる。

 このような日本社会の現状を理解し、人々の心中に巣くう歪んだ承認欲求を直視しないかぎり、口先だけでいくらきれい事をとなえてもイジメはなくならない。正義漢ぶって白鵬バッシングに溜飲を下げている場合ではないのだ。

太田 肇 :同志社大学教授

| 大相撲を論ず | 09:45 | comments(0) | - |
白鵬批判への批判その二

 2012年9月場所、千秋楽の結びの一番。日馬富士が白鵬に勝てば横綱昇進が決まるという大一番だった。わたしは某局の仕事で花道の奥で立ち見していた。予想通り熱戦が繰り広げられた。2人が土俵に上がった時から館内は喝采に包まれていた。しかもその喝采の多くは新横綱誕生への応援であった。そして日馬富士は勝った!2場所連続の全勝優勝だ。館内の割れんばかりの拍手喝采を聞き、わたしは涙がこぼれるほど感動した。この国の国民、相撲ファンはなんと素晴らしいだろうと。相撲がもっと好きになった瞬間でもあった。

2013年5月の光が丘での「モンゴル祭り」でのブフ(モンゴル相撲)大会。

行司役の大男は、いまの逸ノ城関。まだ坊主頭です。

 

  モンゴル国では国家ナーダムに外国籍の力士の参加を拒否しているし、内モンゴルでは出身地力士の優遇が問題視されている。それに比べれば、この雰囲気は想像をはるかに超える凄さと熱気が感じられた。真の相撲ファンの姿があったのだ。


 しかし、最近のメディアを通して発信される一部のコメンテーターや有名人の発言は実にくだらない。明らかに会場の熱気とはかけ離れた感覚を持っている。白鵬の言動に対して「40回優勝に値するかどうか」とも発言した「有識者」がいる。耳を疑いたくなる発言であり、非識者ではないかと思ったほどである。


 日馬富士の暴力事件はそれ自体の問題として取り上げられるべきであろう。相撲協会はその解決に向けて努力しているし、警察など司法機関が公正に解決するだろう。またそれが力士全員にとって教訓になれば相撲界も改善されていくだろう。ある暴力事件がほかの力士に飛び火し、次第にモンゴル力士排除論へ向かってきている。危惧すべきことである。


白鵬批判論はそのごくわずかな欠点を大きく取り上げて、その輝かしい業績を過小評価している気がしてならない。そのため公正を欠くばかりではなく、議論がピンぼけしてしまっている。それどころではない。「白鵬主犯、黒幕説」まで出てきて、犯人と言わんばかりの誹謗中傷が広がっている。これは十分に名誉毀損に当たる言動であり、白鵬側が法的手段に訴えてもよかろう。


 ところで、『思考停止社会ー「遵守」に蝕まれる日本ー』 (郷原信郎著、講談社現代新書、2009)という本がある。「思考停止」とは、ある物事に対して自ら考えることなく、「既成の判断を無批判に受け入れる 」ことである。同著には「思考停止マスメディア」という章があり、日本のマスメディアのあり方を批判している。

同じモンゴル祭りでの横綱鶴竜。


 「本来、真実をありのままに報道し、社会で起きていることについて、国民に正しい認識を持ってもらうことを使命しているはずのマスメディアが、かえって世の中に誤解を生じさせているのはなぜだろうか、マスメディアは、なぜ社会全体の「思考停止」状態の要因になってしまったのでしょうか」(p.161)。無論それが日本のマスメディア全体の本質とは言い切れない部分もあるが、しばしばそういう傾向は見て取れることは確かである。換言すれば、毎日繰り返し報道することが人々に思考停止をもたらしている。特に白鵬批判論が一般論化してしまう恐れがあるのだ。


 日馬富士や貴乃花の騒動で、相撲協会が9日、ついに某テレビ局に名誉毀損、信用毀損で抗議文を送ったという報道がある。問題はさらに複雑化している。メディアの立場も、報道視点もそれぞれ異なるものの、全体的に問題を誇張的に扱っている傾向が顕著である。そうしたメディアの在り方を鋭く批判しているのが森田浩之である。氏は『スポーツニュースは恐い―刷り込まれる〈日本人〉―』(生活人新書、2007)の中で次のように指摘する。

 
 「スポーツニュースは、(中略)物語は起こったことを伝えるのではなく、起こったことをどう理解すべきかをわたしたちに教える。(中略)厄介なのは、スポーツニュースの描く日本人の自画像が、ちんまりスケールが小さくて、ちょっと時代に合っていないということだ」。
  ここに大きなポイントがある。つまり、メディアは、そのニュース(出来事)を報道するというよりも視聴者をある理解へ誘導しているのである。それは前述の思考停止にもつながる問題である。となれば、日馬富士事件およびその後の白鵬へのバッシング開始も誘導的で、白鵬を悪玉として思考停止させようとしているだろうか。


 われわれはメディアリテラシをしっかり持つ必要がある。ネットによれば、毎日配信される日馬富士の問題および相撲関連のニュースにはだれもが飽きてきたという。それは視聴者の思考はもう飽和状態になったことを意味する。マスメディアは、公正性と自制心を持つべきであり、多様な考え方を取り上げ、問題の核心を視聴者、国民に正しく伝える必要があるのではないだろうか。
       文責:日本ウェルネススポーツ大学准教授       富川力道

首都圏在住のモンゴル人の交流の場所になっている、モンゴル祭り。

| 大相撲を論ず | 02:07 | comments(0) | - |
白鵬批判への批判  ―もう一つの相撲観―

下記は友人にバー・ボルドーさんからの連絡で、12月9日にTBSで話すとのことでした。折よくフエースブックに掲載して下さったので、その文章をそのまま再録します。ご検討ください。野口信彦

白鵬批判への批判  ―もう一つの相撲観―

TBS「上田晋也のサターデージャーナル」は、相撲協会、貴乃花、白鵬の三者の立場を考えた比較的冷静な番組だったと思う。最近メディア全体が白鵬について勝利至上主義と批判的に捉えているが、わたしは異論を持っている。今回の番組でも「モンゴル人力士は大相撲の神事的要素を十分理解しているが、大相撲に競争原理が働いている以上、勝利にこだわるのは仕方ない」という趣旨のコメントをした。「神事的要素」と神事は異なる概念である。


わたしは以前拙論において次のように書いたことがある。
「大相撲はその近代的制度、競技性、商業性、職業性などの面からみて、伝統性と様式美を保持しながらも近代スポーツの論理を導入した、プロスポーツだと考えている。というのは、現在われわれが目にしている大相撲にはもはや本来の芸能性、神事性が希薄化し、勝敗が力士の出世、生活レベルを左右しているからである。(中略)端的に言えば、大相撲は競技スポーツと化し、様式美はその付加価値(商品価値)を高めているのである」。(「大相撲の国際化とメディア言説-朝青龍問題を中心に-」岡井崇之編『レッスル・カルチャー:格闘技からのメディア社会論』、風塵社、2010)。


決して大相撲の伝統を否定するものではないが、既成概念としての神事相撲と近代的興行相撲、つまりプロスポーツ化した大相撲との間の本質との乖離が感じられる。相撲に関しては本格的な論評を書くつもりだが、大相撲の力士は神事を重視しているのではなく、プロとしての稽古に精進し、さらに上を目指している。競争原理が働いている以上、勝利を重視するのはむしろ当然であろう。もし神事的の部分を強調するならば、勝負はむしろ演出になってくる。神事相撲では、五穀豊穣を祈願し、勝負は予め決められて、3本勝負で神が2勝1敗で勝利する事例は多い。


文化的伝統は大事であるが、現在の相撲に対して、相撲そのものや横綱に対して過剰解釈している部分が多くみられる。逆説的に言えば、「横綱は神様だ」「横綱は神格がある」と言いながら、横綱をバッシングしていること自体、横綱を生身の人間としての認めていることではないだろうか。


そういう視点から見ると、日本は実に不思議な国なのである。大相撲では、横綱になれば神様として位置付けられ、厳しく律せられるが、平たく言えば、日本では人間が神様を作り、また容赦なく破壊することもできる、という解釈もできる。この人間と神様の関係が不思議である。相撲協会がその者が神様にふさわしいかどうかを横審に鑑定してもらい、マスメディアが神様が善玉か悪玉かを裁いていく。特に悪玉であることを喜び、正義感あふれる「品格」という基準で木っ端微塵に破壊していく。

つまり、問題の神様は完全に悪玉にされてしまい、人間以下に成り下がっていく。メディアや相撲は神様に罰を当える恐ろしい世界なのだ。前述のように、こうした行為そのものが横綱の神格を否定していることである。つまり、相撲協会やメディアは神格を有する、または神様としての横綱を批判しているのではなく、大相撲の最高位としての横綱を批判していると捉えることができる。横綱=神様という虚像に、生身の人間としての横綱を当て嵌めすぎてはいないか。なぜ大相撲の歴史上横綱のスキャンダルが多いのか、考える必要はある。


相撲は世界に誇る素晴らしい文化であり、素晴らしいスポーツである。しかし、既成の相撲観から脱出しなければ、同様の問題が繰り返されるだけで、相撲の国際化を妨げる恐れがある。


白鵬は、モンゴルのある人気テレビ番組でこう語っている。

「自分は、相撲を取るとき、体を無にして、心を八割に、技を二割にしている。100%の状態になればいい成績を上げられるんだ」。これこそ白鵬流の相撲道である。一部コメンテーターが指摘する「白鵬は心の部分が足りない」という批判は、いかに的外れかがわかるだろう。換言すれば、彼らは表面的な事柄のみ判断し、横綱白鵬の内面的世界は全く無視しているといえる。メディアも同罪である。無論横綱たる者は、礼節を重んじ、地位にふさわしい行動を取らねばならない。文責:富川力道

| 大相撲を論ず | 09:26 | comments(0) | - |
大相撲を論ず―8 相撲の世界の賃金事情

  多忙でブログを書く心の余裕がありませんでした。

 きょうは日本シルクロード文化センターのシルクロード講座。夏に実施したシルクロード・ツアーの報告と「望年会」。 その前に午前11時から役員会です。

 

 大相撲に関して、最後に一つだけどうしても書きたいことがありました。

 以下は相撲協会のホームページから。

 力士の給料

給料は月給制で、十両以上の力士に支給されます。幕下以下にはありません。
月給の内訳は、「基本給」と「手当」に分かれており、これを合わせた額は次のとおりです。

  • 横綱  260万6,000円
  • 大関  216万9,000円
  • 三役  156万4,000円
  • 幕内  120万9,000円
  • 十両   95万7,000円

 これはあくまでも月給ですよ。年収ではありません。

 

私の現役の頃から見ても、公務員の平均給料から見ても、断然高いですね。

 しかし、相撲の世界は氷山と同じ。幕内以下の相撲取りたちには給料というものがありません。

 貴の岩も休場すると十両、その下は幕下ですから無給になります。まさに天国と地獄です、

 

 現代社会において“それはないよ”と言いたいくらいの低賃金です。いや、賃金というものではないですね。なにしろ毎月5〜7万円前後しか支給されません。ブラック企業より低いですね。

 すべてが部屋丸抱えですから衣食住の心配がないとはいえ、社会的常識程度の賃金は必要ではないでしょうか。「力士会」があったとしても、「待遇を改善せよ!」という声は上がってきません。

 

 白鵬いじめが始まっており、貴乃花親方叩きもありますが、マスコミが触れない、このようなことにも目と耳を傾けてほしいと思います。

 時間がありませんので、とりあえずはこれまで。また気のついたことがあれば、書きます。

| 大相撲を論ず | 09:37 | comments(0) | - |
大相撲を論ず―7 相撲協会は「近代的労務管理の導入を」

いま必要なことは、相撲協会と部屋の「近代的労務管理」です。

これには「部屋」や「一門」という壁を取り払うというもう一つの大仕事も喫緊の課題になっています。

この「壁」を打ち砕くには、現在の相撲協会の組織構成を改革しなければ実現は不可能です。

それには相撲協会の理事に外部からの有識者が加わらなければなりません。

横綱審議会だけでは間に合わないのです。

 

近代化のもとで大切なことは力士のケガ=傷病のことです。

9月場所や九州場所に典型的に表れたように、けがによる休場が非常に多くなっています。

 

相撲の世界に入ると、“とにかく太れ、大きくなれ”と言わんばかりに、太るために沢山食べさせます。

まるで北京ダックかアヒルに餌を与えるかのように。

しばらく前まで、相撲を引退した者で還暦を迎えた人が少ない、とよく言われました。

必要以上に食べさせられるから、心臓など内臓に疾患を起こす者が多くなるのは当然です。

ですから短命の者が多かったのです。

 

相撲の稽古や本番でのけがも多くなっています。このままでは、幕内の半数以上が休場して本場所が成立しなくなるなんてことにもなりかねません。

要は、科学的な食事のための管理栄養士を配置することや、科学的なトレーニング方法の取入れ、トレーナーや指導者が必要です。

その点で「国立科学スポーツセンター」などとの提携も必要でしょう。

 

さらには、2カ月に1回の本場所ではけがを治す余裕ができません。

さらに巡業も含めれば年間10ケ月は本場所か巡業です。

少なくとも本場所を多くても年4回くらいに減らす、

さらにはケガの休場を補償して治療に専念できる体制も必須です。

協会にとっては収入減になることなのですが、大相撲を長く維持・発展させたければ、これくらいのことは必要です。

 

そのような措置を講ずることができる病院と医師・看護師や栄養士・トレーナーなどの配置や、大手の病院と契約を結ぶことあるいは専属の病院の充実ことも必要になってくるかと思います。

 

1129日、日馬富士の引退が報じられました。

この際、積年の桎梏をここで取り出して解決するいい機会です。

そのためには、国会での問題提起や政策の提起が必要だと思います。

 

以下は「相撲協会」のホームページの写真です。

 疏案 巡業地へ出発

開場〜朝太鼓

K覯式焚爾侶慮

ぐ手会

ソ塾勝λ詁發侶慮

子どもとの稽古

Ъ茲蠢箸潦始

土俵入り

横綱土俵入り

幕内取り組み

弓取式

次の巡業地へ

 

相撲甚句

 

しょっきり(初切)

櫓太鼓打分

 

| 大相撲を論ず | 09:41 | comments(0) | - |
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