シルクロード日誌

日本シルクロード文化センターのブログページです。シルクロードに関する情報、コメント、旅日記などを綴ります。
金婚記念のチベット・アムド旅行

再び、アムドのドライブがスタートしました。きょうは旅の5日目です。ラプラン寺のあとは、同仁へ向かいます。漢語で「トンレン」で宿泊です。

ラプラン寺の駐車場近くでお茶を飲みました

どこを走ってもこのような」大草原があります

 

ところがかなりの距離を走ってから着いたのが、ドライバー君の家です。ここでチベットの民家の夕食をごちそうになるということです。

それは知らなかった。ドルチェはもちろん知っていたのでしょうが、まだ彼女は「自分がガイドである」という覚悟ができていないようです。

これがドライバー君の家の部屋の一つです

ドライバー君です

日本では仏間かリビングというところにチベット仏教の何かがあります。

いまは、ダライ・ラマの写真は禁止されているのでありません。

 

彼女は2つのスマホを操りながら仕事上の操作をするとともに、明らかに個人的なお友達との会話などです。それとドライバー君と世間話をして、私たちのことも忘れないで時々話をしてくれます。天衣無縫です。東京にいる女子大生ですね、まるで。東京の若い女性とただ一つ違うところがあります。それは私たちを蘭州の空港で迎えてくれた時から1週間後にさよならをする日まで、ずっと同じ服装だったたということだけです。

 

山道を乗り越え、あぜ道かと思えるような細い道を走って、彼の実家に着きました。後で詳しく知ったのですが、彼の両親(お父さんは70歳)と近くに住んでいる娘さん(35歳くらい)がもてなしてくれました。彼の妻と子供はどうやら実家に行っているようです。ここでは、外国人アレルギーがあって、ものすごく恥ずかしがりの女性がかなりいます。おそらくその類で逃げ出したのでしょう。

お母さんと2人のお子さんのいる娘さん

 

お父さんは、私の友人にも同じようなタイプの人がいるような方でした。足が悪くて立って私たちを迎えられないことを何度も詫びていました。お母さんは「典型的なチベット人の女性」という人です。「典型的なチベット人の女性ってどんな人?」と聞きたいでしょうが、それが書けないから、このように書いているのです!

 

 

出てきました。最初はトゥクパです。

お断りしておきますが、私は乳製品が全くダメなのです。ですからチベットやモンゴルの遊牧民の乳製品はほとんど食べられないのです。口に入れると一発直行でアウトです。ですから食べ物の名前も間違えると思います。覚悟してください。

上のチベット風のマントウと真ん中の小皿に入っている「サモサ」が」おいしかったです

 

でも、これだとせっかく心を込めて作ってくださったお母さんや妹さんに申し訳ないです。いま、ここでこのブログを書いていて思い出したのですが、ガイドからお礼は支払ったのでしょうが、私たち夫婦からのお礼の気持ちを持ってこなかったのです。そういう習慣がないからですが、今、思い出しました。1日1杯のワンカップのお酒は(1日一つ)持ってきていますが、多くのチベット人のお年寄りは宗教上の点でお酒を飲む人が少ないのです。

 

ドルチェが手の指でこねているのがトゥクパでしょう。あとたくさんのものが出されました。わたしはナンのようなパン類のものと乳製品の入っていないものを少量、口にしただけです。というとあとは生野菜や何かくらいです。

これがトゥクパですね

 

おおいにごちそうになってお宅を辞しました。同仁のホテルに戻って、改めて軽く麺類を食べ、ワンカップを飲んで寝ました。

ドルチェが撮影してくれました

 

| チベット関連 | 17:10 | comments(0) | - |
金婚記念のチベット・アムド旅行

ラプラン寺へ

この日は炳霊寺石窟から夏河という街へ。ここで「小都市の夏河」と書こうと思ったのですが、小都市といえども中心街は大きな大きなビルやホテルがあります。そのほかでも、まるで大都市並みの様相です。

その夏河の大きなホテルについて一服してからラプラン寺へ。

ドルチェに「一服っていう意味知ってる?」と聞きましたが、知りません。日本人の若者に聞いて、いったい、どれくらいの人が知っているでしょうか。それともそんな日本語を話す私のような人が希少価値なのでしょうか。

2人で笑顔で写真に写るなど稀有のことです。ラプラン寺の入り口で

とにかく広い。左の奥もその向こうもずっと境内です

 

 

この寺はチベット仏教の寺。甘粛省甘南チベット自治州夏河県にあります。

そしてこの寺はゲルク派の寺院。漢字では「拉卜楞寺」と書きます

チベット自治区のガンデン寺・セラ寺・デプン寺・タシルンポ寺、青海省のタール寺とともにゲルク派六大僧院のひとつとされているので、それはそれは大きな広いお寺です。

広い、としかいいようがありません

 

1710年に創建され、往時は108の寺があり、活仏も500人前後が在籍していたといいます。しかし、1960年代半ばから始まった文化大革命で閉鎖され、多くの堂・僧院が破壊されたのです。文革後、多くの建物が再建され、現在在籍している僧は千人規模になっているといいます。現在は、チベットのゲルク派寺院では最高レベルの学問寺とされているそうです。

 

なにか哲学的な風貌のお坊さんですね

 

話も所も変わりますが、10年ほど前にチベット自治区へ行ったことがあります。その時の話ですが、「ポタラ宮には、かつて5000人いた僧侶が、今も残っている僧侶はたったの12名」だといいます。ほかの数百人は、僧侶の服装をした人民解放軍の若い兵士たちが、頭を丸めて僧衣を着て監視と警護に当たっているといいます。

 

チベットのほとんどすべての寺院では、貴重な仏像などは文革期にすべて破壊されあるいは持ち出されて、金箔や銀箔などはすべて紅衛兵たちに略奪されました。

ですから現在の若い僧侶たちで本物の僧侶が果たして何人いるのか大変興味のあるところです。さらに仏像類はほとんどすべてがその後造られたものなのです。あるウイグル人の友人の息子が、言っていました。「俺の友達のお父さんは、金がなくなると金の仏像などを取り出して金に換えていた」と言っていました。新疆にはお寺は少ないのですが・・・

 

繰り返しますが、このお寺はとにかく広い!駐車場から入り口までは歩いて30分以上かかります。そこからまた広い内部を歩くのですから大変です。おとなしい僧侶のガイドがついてくれたのですが、おとなしいのでほとんど話しません。「君はガイドなの?」と聞きたいくらいですが、ほとんどしゃべりません。見事なほどです。ああ〜!どういうことなのだ〜!

 

 

広い場所を、よく「東京ドームの何倍」と表現しますが、そのドームの広さというものが分かりません。とにかく広いのです。

私はその広さを知っているということと、あまり紹介される内容に関心がないので、途中で2人をほっぽり出して1人で歩くようにしました。

 

2年前のことです。受付近くの僧侶たちの休憩所のようなところで休んでいた時のことをお話ししましょう。

チベット人の僧侶たちと雑談をしていると、突然、中年の男が話に割り込んできました。それで私に質問してきました。

 

「私は北京のある大学で哲学を教えているものですが、あなたは毛沢東思想が世界で最高峰の哲学であると思いますか?」と聞いてきました。この種の中国語で語学を学んだのでかなり話せます。

 

「文革の前後からその種の話は聞きましたが、当時も今も、そのように思っている人は地球規模で言えばごく少数です。毛沢東のまわりの党幹部たちは自分の出世のために、盛んにそのようなことを言ってましたが、ほかの多くの中国人は、仕方なく言っていました。世界でそのように思っていた人はほとんどいませんでしたよ。洟もひっかけないといえるでしょう。大体そのような思想は多くの場合、革命闘争の中で集団の英知で生まれてくるものですから、1人の幹部が生み出すことなど、およそナンセンスです」。

 

すると驚いたことに彼の奥さんが手をたたいています。それで夫に言いました。「分かったでしょ?この人の言うように、まだまだ世界では通用しないのよ。この方の言うことが客観的な事実よね」と。

そこにいたチベット人の僧侶たちは、手をたたいてほめることもできないので、複雑な表情でしたが、あきらかに私の意見に大賛成という表情でした。

それが私のラプラン寺の思い出でした。

若い僧侶たち。わたしの話に大満足の様子でした

 

とにかくラプラン寺は広かった。

1時間ほどたってから2人の女性が夢中になっておしゃべりをしながらかえってきました。

また、30分以上歩いて駐車場まで歩きます。

ワイフは、宗教学を学んだ事があるので、精力的に歩いていました

| チベット関連 | 10:52 | comments(0) | - |
金婚記念のチベット・アムド旅行

炳霊寺余話

炳霊寺への往復で、少しのことでは驚かない私(原因は私が鈍感だからですが・・・)が驚いたことがあります。

中国は広い全土がキャッシュレスで満ち満ちています。3600メートルの高地を走っていた時のこと「メロンが食べたい」とガイドのドルチェが言い出しました。ふつうはガイドがお客さんに「果物を買って食べましょうか」と気を利かせて買うものなのですが、彼女は自分が食べたいと思って買うことにしたのです。

 

メロンを買ってからポール(鉄のパイプ)にぶら下げてある何かにスマホをかざすと料金が支払われ、同じスマホにレシートも来るんですね。でも、これは日本でも多少やられているんでしょう。彼女は車を止めてメロンを買いました。すると、それまでもそうだったのですが、何かを買うときはほとんどすべてがスマホをかざして買うのです。

ドルチェのスマホと業務用のスマホの2つがありますが、

公私を完全に混同して使いこなしています

炳霊寺への船乗り場での、おばあちゃんと孫

 

まるでテレビの水戸黄門のお決まりのセリフ「これが見えぬか!」を思い出しました。そのようにして「かざす」のです。ドルチェは若いだけあって、日本から帰ってきてすぐにこのキャッシュレスになじんでいるようですが、私たちは日本でもカードで買うことを拒否しています。スマホに登録することが面倒だからですが・・・

でも最近は、大きめの財布に中にパスモを入れて、改札口でサッとかざして通れるようにしました。まるで「現代人」になったようなルンルン気分になります。

黄河の支流にある休憩所

 

 

ドライブの途中で黄河の支流にある休憩所で車を止めました。

うちの奥さんは無類のイケメン好き。ふだんでも私が二階の自室に寝に行くと、そのあとは好きなイケメンの出るドラマを見ます。至福の時間でしょう。

この休憩所でも、イケメンのドライバーとツーショット。わたしと一緒に写真を取るときは仏頂面なのですがまるで違います。心から嬉しそうな顔をしています。

うれしそうな顔をしていますね、

彼女は「たれ目」で有名なのですが、写真を撮るときはいつも、この顔です

旅をして、飲んで食って車に乗ると爆睡です。幸せでしょうね。

| チベット関連 | 10:14 | comments(0) | - |
金婚記念のチベット・アムド旅行

※16日のブログは、一度、掲載してからあることに気が付いて、すぐに非公開にしました。原因は麦積山石窟と炳霊寺石窟を取り違えて書いてしまったことです。いや、炳霊寺と麦積山をまじりあって紹介していたのです。

これが麦積山石窟です。

さ〜出発です。一番上のはしごまで90メートル近くあります。

体力に自信がなかったのですが。この時は足の疲れは感じませんでした。

 

 

少しだけ弁解しますと、50年来の1人の先輩と2人の親友が、相次いでがんに侵されていることが分かり、今後の治療の方向を聞きながら、役割分担している今の仕事を、だれがどう担うのかなどの論議があったからです。それぞれ前立腺がんとすい臓がん及びぼうこうがんです。先輩という方は、妻の大学の先輩です英の初心者指導法である「ドル平泳法」を編み出した一人で、私の結婚を祝う集いの司会をされた方でもあります。

 

2人の親友は、今はスポーツ・オリンピック研究者であり。もう一人は私がつとめていた新日本体育連盟の後継者でもあり今は本部の会長でもあります。

長い間、兄弟のように深くつき合ってきただけに、本人の心境やいかばかりかと考えるとそれだけで胸がつぶれそうになります。

 

私が辞退しようと思っていた、スポーツの全国的な交流組織の事務局長を辞退するなどということを話せる状況ではなくなったのです。逆に、数十年来、隔週1回開いているスポーツ研究会の責任者代理を務めることになってしまいました。それやこれやで、精神的な負担が大きくなるについてのことと彼らの仕事を誰が引き継ぐかという善後策を取ることや、重圧にめげて気持ちが乗り切れないでいるという状態もあったのです。

 

 

では、改めて麦積山石窟をご紹介します。

ここは写真でもお分かりのように急な坂道や階段が天まで上っています。2年前はなかったのですが、今回は電気自動車がありました。これに乗って崖の下まで行けます。ずいぶんと助かりました。しかし、途中の参道で物売りをしていた人たちは失業ですね。「文明の発展」は、少なからぬ失業と貧困を生み出します。

同じ角度からの写真が多いですが、いわゆる写真映えがするんですね。

 

 

2人で撮る写真は少ないのですが、この時ばかりは寄り添ってくれました

 

ここが確か最高部だと思います。

 

 

麦積山の石質は礫岩で東崖と西崖に分れています。北魏、西魏,北周,隋,唐,宋,明代に続営された194の窟龕が現在知られています。

この日は再び蘭州に戻って一泊し、翌日は炳霊寺石窟です。

| チベット関連 | 12:06 | comments(0) | - |
金婚記念のチベット・アムド旅行

炳霊寺石窟は蘭州から300劼療型綮圓砲△蠅泙后3時間。そうです。時速100勸幣紊離好圈璽匹覗ります。

甘粛省の蘭州から車で約3時間少々です。もっとわかりやすく言えば、蘭州と西安との中間にあります。

位置は秦嶺山脈の西端にあり、1952年に発見された石窟寺院です。

これから私たちの後ろの石窟にこれから上ります

一番上の部分が90メートル近いところです

 

 

黄河の入り組んだ先にあるので、その奥に石窟寺院を造営したのですね。ですから長い間、発見されなかったのです。6年前はモーターボートで2時間もかかりました。一昨年からは30分ほどの距離からのスタートに代わりましたが・・・

桟橋には、ノコちゃんの仕事友達が待っていてくれました。

高度感を感じてください

 

 

「炳霊(へいれい)」とはチベット語の訳で「十万の仏」の意味です。全長2Kmの石窟回廊は、五胡十六国時代の西秦から隋、唐、明、清までの各時代に造営されました。
特に重要なのは、魏(220〜265
年)、晋(265〜420年)の時期です。岩壁には190あまりの石窟があり、大小700体近くの仏像が残されており、中でも最も有名なものは、171龕の唐代の大仏です。

 

うちの奥さんは、高いところは大丈夫と言っていましたが、「やはり怖かった」といっていました

 

一人の時は、しっかりと欄干を握っています

 

 

石窟寺院のある「劉家峡ダム」は、1974年に完成した中国最大級の発電所の一つ。さらに春には黄河の雪解け水をため、夏の渇水期に下流に放流して、灌漑に利用します。このため、このダムの下になった広大な地域の農民は強制的に移住させられました。住民による「強制移動反対運動」などは存在しません。中国共産党がすべてを統治しているのだから、ここでは「命令」であり、抵抗するだけで「逮捕」となるのです。ましてや「社会主義建設」をしようというのに、それに抵抗する「環境保護」や「自然保護」の運動などは国家反逆罪に当たるので、生み出される基盤がそもそも成り立たないのですね。

 

石窟の上部には、素晴らしい壁画も残されており、階段と桟道から観光できるようになっています。険しい峡谷の中腹に石窟があり「偶像禁止」のイスラム教徒による破壊や欧米の探検家による持ち出しを逃れたため、貴重な仏像が多く残されています。

後ろのドルジェも、あとから「実は私も高度恐怖症なんです」と告白

 

「偶像禁止」は仏教国にある私たち日本人やキリスト教国の市民には理解しにくいことでしょう。だが、逆も真なり。イスラム教の人たちにとっては、なぜ、偶像を掲げるのか理解しにくいことなのでもあるのでしょう。だから、偶像を破壊したことが、即=悪ではなく、良いことをしているのでする。イスラム教にとっては、それこそが正義であり「真実」なのですね。ここのところの理解がないと、“まるでイスラムは悪の集団”となってしまいます。これは現在にも通じること。

 

ここは写真でもお分かりのように急な坂道や階段が天まで上っています。2年前はなかったのですが、今回は電気自動車がありました。これに乗って崖の下まで行けます。ずいぶんと助かりました。しかし、途中の参道で物売りをしていた人たちは失業ですね。「文明の発展」は、少なからぬ失業と貧困を生み出します。

石質は礫岩で東崖と西崖に分れています。北魏、西魏,北周,隋,唐,宋,明代に続営された194の窟龕が現在知られています。

 

東崖の涅槃窟,千仏廊,西崖の万仏洞,天堂洞,第127洞などは北魏の開削で、塑像,石像,壁画などにすぐれたものがみられますが,隋,唐代にも栄えたと考えられます。

| チベット関連 | 05:26 | comments(0) | - |
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