シルクロード日誌

日本シルクロード文化センターのブログページです。シルクロードに関する情報、コメント、旅日記などを綴ります。
いよいよ西夏王陵からエチナのカラホトへ

 車もドライバーも交替しました。

 懐かしい西夏王陵のある場所へ到着しました。まず、西夏博物館へ。詳しくは写真をご覧ください。

ここが「西夏博物館」です

西夏といえば「西夏文字」です!

この牛さんが、ここの博物館の目玉です

 

 博物館を見てから、いよいよ西夏王陵へ行くのかと思ったのですが、ガイドは「エチナまで行くのに時間がかかるので、博物館だけ見学」とのことで西夏王陵そのものは遠望したのみ。「そんな計画ではなかった。西夏王陵そのものを見ることが大切だったのだ」と抗議する。以前撮影した写真をご覧に入れます。

これが「西夏王陵」です。私が2010年に撮影したものです

 

 今回の旅の主要な目的は、第一にカラホト(黒水城)を見ること。次の目的が「西夏王陵」を見ることでした。西夏博物館はそのための補足的な学習です。

 

 博物館を出ると、200メートルくらい向こうに王陵が見えます。ガイドは、「近くまでは行かれません」などと言って、行かない、行かれない正当な理由を述べ立てます。これは明らかに約束違反。ガイドは日本語の先生なので、あれこれ指図することは慣れているけれど、人からあれこれ言われるのは嫌いのようです。露骨にイヤな顔をします。そんなことで負けていられません。すると彼女は「エチナから帰ってきて、時間があったら行きましょう」といいます。

 

 800km、11時間の行程なので、帰りに行かれるわけがないのを見越して言うのです。意図は分かったのですが、この先800kmを行くわけですから、これ以上言っていても到着が遅くなるだけです。あきらめました。

 

 エチナへ

 800kmの行程を200kmほど行ったところでバスは止まりました。情報を集めると、昨今の豪雨で道路が壊れていて走れない、ということです。「料金所の職員も知らなかった」と言いますが、最低限、職員はそれくらい知っていて情報を流すのが仕事なのではないでしょうか。要するにそれくらいの情報も集められない技術水準だし、そのような方策も考えていないということなのでしょう。

 

 車はUターン。同じ道を戻って別の高速道路で行くことになりました。

 距離を合計すると約1350km。予定より550kmも延びました。東京から熊本辺りまでの距離になるでしょうか。 

 途中にレストランもないということで、ガイドはカップ麺と冷たい水を買い込んできました。冷たい水とはいっても時間がたてば暖かくなるんですから・・・

 結局エチナに着いたのは午前1時半。合計16時間半かかりました。

まさに「地平線」です。寝てしまってまた目が覚めても変わらぬ風景

空!!!

料金所にもモンゴル文字が表れました

 

 長距離なので途中のトイレにも神経を使いました。1時間か1時間半に1度はトイレ休憩です。その代わりいつものように、ゆったりのんびりのトイレ休憩はできません。素早く行動しなければなりません。また、男はどうでもいいのですが、女性は困ります。ガイドは「傘を使って」といいますが、そうもいかない場合もあります。

| シルクロード | 05:14 | comments(0) | - |
寧夏回族自治区の銀川へ、そして賀覧山の岩画、まがい物の展示場へ

 汽車は夜行寝台で銀川へ向かう。我々みんな「魔の上海空港事件」の再来を危惧して、乗り遅れないように神経質に乗車しました。案内のスタッフの女性に、何度も「乗車時間になったら教えてちょうだい」とお願いしておいたのですが、その時間になると、やはり知らんぷりでした。出発の遅れは30分以上。

 

 H田さんだけ4人コンパートメントから外れて隣の漢人たちの部屋に移りました。漢語も多少できるのと、なぜか1人が好みのように思えましたので、私は「替わろう」とは言わなかったのです。S山氏は痛風とのことで酒は飲まないので相手はK爺だけ。しかし、早くに寝てしまったので、1人で手酌をと思ったのですが、T女史がビールをつき合ってくれました。やはり古くからの友達です。車内販売の温かいビールで・・・・

 寝台で1時ころ寝て、6時半に目覚める。

 

 6日朝、2時間遅れで銀川(ぎんせん)駅に到着。

 小太りのがっちりした体格の女性ガイドが出迎えてくれました。ガイド関係の学校で日本語を教えているとのこと。初対面早々に「ずいぶん遅かったですね〜〜」と文句。汽車が遅れたのは私のせいではありません!

 今度は以前の狭い車から14人乗りのマイクロバスに。

 

 そのまま銀川から北西60キロくらいにある「賀覧山の岩画」を見に行きました。ここはもう、寧夏回族自治区です。

 

 寧夏回族自治区は黄河中流域とゴビ灘(砂礫砂漠)と黄土高原が交わるところにあります。人口は620万人、そのうち回族は3分の1を占めており、中国では最大の回族密集地帯となっています(銀川で入手したパンフから引用)。

 

 ここの岩画は賀覧山の山麓の両側に約600メートルにわたって1000以上の画が彫られています。観光客用に木道が敷かれています

 岩画の多くは春秋戦国時代(紀元前770〜221年)に北方から来た騎馬遊牧民によって彫られ、その後も西夏の時代から、西夏が元によって滅亡させられるまで彫られ続けてきたとあります。

岩画の数々です

 

自撮りではありませんよ

 

  このような岩画は、中央アジア。キルギスのチョルポンアタ岩画博物館があります。ここは何度も行っているのですが、近年になってドイツの科学者集団が古くからの岩画を長く残すためだということで、なにやら薬品をかけたそうで、その失敗の跡が無残に残っていました。

これが中央アジア。キルギスのチョルポンアタ野外岩画博物館の岩画

スキタイがユキヒョウをつかって「マルコポーロ・シープ」を狩猟している図です

 

  また、河西回廊をハミに到達する手前にも同様の岩画を見たことがあります。残念なことに、それらに関する説明やパンフレットが存在しないことです。どこかにはあるのでしょうが・・・・

  いずれも観光客招致に忙しく、そこまで頭がまわらないのかもわかりませんが、この傾向はどこの観光地でも同様です。

 

 

 どのような岩画があるかというと、人面像のほかに動物画、当時の人と動物・家畜との生活が描かれています。中には岩画の横に西夏文字が彫られており、説明文によると「繁栄」という意味のようです。北方騎馬民の記録が岩に描かれている貴重な岩画となっています。

 岩画を見てから出発前にトイレに行きました。2〜3分で出てくると外は大雨。豪雨です。

旅の心得は、トイレがあるところでは必ず用を足しておくこと、です。

 

 岩画から車に戻ると車内は煙草の煙とにおいが充満。ドライバーにはガイドを通して車内でタバコを吸わないようにと伝えると、典型的な“ふくれっ面”。

 これはこの先が思いやられるなと思ったので、ガイドさんと相談。明日から別の車とドライバーに交替してもらうように話す。

 

 そのガイドはというと、いろいろこまごまとしたことは言うのですが、自身は助手席に座ってスマホにかじりついたままです。いえ、これは彼女がサボっているという意味ではなく、仕事の相談ごとのようです。

 

 この後のコースの時間配分、所属する会社との打ち合わせなどなど。しかし、賀覧山と岩画の紹介やこれからの日程などのアナウンスはありません。特筆して注意したことは、助手席に座っていても、あの中国人女性特有の頭から突き抜けるようなカン高い音声で会話します。そのボリュームは並外れて大きいのです。さすがにそれには「もう少し小さい声で話してくれ」と注意しました。

 

 しかし、彼女は教師です。生徒に教えたり指示することには慣れていても、人から支持されるなどという習慣がないようです。軽く私をにらみつけます。この辺の駆け引きは慣れていますから、ときには恫喝まがいの言い方をしたり、ときには“お願い”を強調してみたり・・・世話がやけます。

 

 ドライバーと車を替えること=中国では客の乗る車は多くの場合、ドライバーの持ち込みです。TOYOTAのマイクロですから、日本で1千万円とすると関税が高いですから、こちらでは2千万円するでしょう。ドライバーだけ替えるということはできません。

 

 その次には、出発前、自分のあまりの忙しさでよく注意していなかったのですが「水洞溝区」というところへ向かいました。

 パンフによると、ここは旧石器時代の「遺跡」ですが、発掘されたものもあるようですが、多くは、観光用に造られたものもあるようでした。それと「万里の長城」を併せ持ったということが特徴とか、なんだかよくわからないところでした。

 

 私自身は、出発3日前まで北九州の沖ノ島・宗像神社関連施設群の研究旅行をしていて、あまり印象に残っていなかったのです。「水洞溝区」についてガイドに聞いても夏休みのアルバイトなのか、自分でもあまりよくわからないようです。そのようなときは、話を違うところに持っていくのが彼ら彼女らの特徴だということもよくわかりました。決して、「わかりません」とは言わないのです。

 

 

 

| シルクロード | 09:23 | comments(0) | - |
甘粛省博物館へ

8月5日 前夜、蘭州へ着く。

蘭州の駅に着きました

 

 

 この日は中山橋など市内を散策してから甘粛省博物館へ。

 のこちゃんは「なかやまばし」というけれど、これはレッキとした孫中山(孫文)の名を記念して付けられた名前です。でも、のこちゃんは孫中山を知らない日本人の為に、わざわざそのように言ってるのかもしれません。

中山橋=孫中山を記念して造られた。中国各地には「中山」の名称のところがたくさんある

 

そして、念願の甘粛省博物館へ。

 

 

 

 ここは1956年に創建された博物館で、13の展示室、12の休憩室など延床面積は  1万8千平方mといいます。彩陶や漢簡、漆器、刻石など河西回廊周辺の黄河上流地域に関する豊富なコレクションを収蔵、展示していますが、シルクロードの特に武威(ぶい)の雷台漢墓で出土した銅奔馬が有名です。

 

 

これは、西安の兵馬俑と同じ構成ですね

大きさは兵馬俑と比べてかなり小さいですが、なかなかのものです

 

 

 私は以前、この武威の雷台漢墓の博物館へ行って銅奔馬を見ようとしたのですが、鉄の門が閉まっていて、門の前には人糞や犬などのふんがあふれていて入場することもできませんでした。

 

 雷台漢墓の悪ほど口はこれくらいにして、甘粛省博物館を写真でご紹介しましょう。

 銅奔馬は「馬踏飛燕」=飛燕をもしのぐほどのスピードで走る馬。燕が足で踏まれているほど、早く高く飛ぶことができるという意味を示しています。漢が匈奴撃退の切り札として待ち望んだ馬であるとしています。遊牧騎馬民の力をできるだけ小さく見せようとのキャッチコピーですが、作品はなかなかのものです。甘粛省武威で出土し、甘粛省博物館に保管展示されています。

「馬踏飛燕」 飛燕をもしのぐほどのスピードで走る馬。燕が足で踏まれています。

漢が匈奴撃退の切り札として待ち望んだ馬。

甘粛省武威で出土し、甘粛省博物館に保管展示されています。

 

歴史的にも名だたる歴史的な遺産がたくさんありました

 

 張騫(ちょうけん)については、

 

 史上初の“シルクローダー”張騫(ちょうけん)(前167?〜114年)

 「張騫鑿空の攻(さっくうのこう)」という言葉があります。

 

 漢の武帝から西域へ派遣された張騫が、初めて西の世界を中国にもたらしたことをいいます。

西方からは葡萄、柘榴(ざくろ)、ウマゴヤシ、クルミ、アラビア馬のほか、音楽、曲技、工芸品、香辛料などがもたらされ、中国からは絹織物と黄金が輸出されました。柘榴やクルミは医薬品になりました。絹は中央アジアから西アジアを経て遠くローマまで運ばれたのです。

 

 甘父(かんぽ)のちの堂邑父を忘れてはいけません。

 張騫の従者。漢は彼の功を認め、奴隷出身から解放するとともに堂邑の姓を与え、特に設けた奉使君に任じた。

張騫について以前にこのブログなどで何度も紹介していますので、割愛します。このほかにも数多くの写真があるのですが、カメラが使い慣れたCanonではなく、慣れないsonyNEX−7でしたので、あまり出来栄えが良くありません。

天馬来たりぬ
西の極(はて)より
流砂を渉り(わたり)て
四夷服しぬ 
        (『史記』楽書)

| シルクロード | 02:57 | comments(0) | - |
チベット仏教ゲルク派の六大僧院のひとつラプラン寺へ

哲学教授と論争・奥さんと娘が「お父さんの負け〜〜!」

 少々、ウィキペディアでお寺の紹介を。

 ラブラン寺甘粛省甘南チベット族自治州夏河県にあるゲルク派の寺院。ラプラン・タシーキル寺とも言う。中国語では拉卜楞寺と表記する。チベット自治区ガンデン寺セラ寺デプン寺タシルンポ寺青海省クンブム・チャンパーリン寺(タール寺)とともにゲルク派六大僧院のひとつとされる。

 1710年にジャムヤン・シェパ一世によって創建。往時は108の寺があり、活仏も500人前後が在籍していたという。しかし、文化大革命で閉鎖され、多くの堂・僧院が破壊された。その後多くの建物が再建され、現在在籍している僧は千人規模となっている。現在はチベットのゲルク派寺院では最高レベルの学問寺となっている。

甘粛省の略図です

ラプラン寺の境内です

仏像

マニ車を回しています。先頭がK爺、その後ろが、のこちゃん、S氏、H田さん

 

 ラプラン寺の境内は広い、そして暑い。私は何度もこのようなお寺を見ているので、途中で切り上げてK爺が入り口近くで休んでいるところまで行きました。するとそこへ40代の夫婦と18歳の娘さんの家族連れがやって来ました。奥さんは43歳だといっていたのですが、その夫(46歳)が、私が昔、北京に留学していて、中国語が少しできると聞くと哲学論争を吹っかけてきました。彼は北京のどこかの大学の哲学教授だといいます。

 

 以下、彼とのやりとり

彼「毛沢東思想はマルクス・レーニン主義の最高峰だと思うがどうか」

私「昔は中国では毛沢東自身も含めて勝手にそう言っていたが、当時も今も世界の誰もそんなことを信じていない。中国でも一部の幹部だけがそう思っているだけだろう。しかもそれは、自分の出世の為であって、誰も真のマルクス主義など知らないのに、だ」。

 

 さらに私「あなたは、今はそんな偉そうなことを言っているが、まだ中国に浸透していない、人権・民主主義・言論の自由などを、あなた自身が政府と党に守らせるべきではないか。それが国民としての義務だと思うけれど、今それを言うと捕まるということも知っているよ。その現実を知りなさい。これは中国の憲法に書いてあることだから正しいことなのだよ」といいました。

 

 私の追及の手は緩みません。「まだある。チベット・モンゴルやウイグルなどの少数民族に弾圧を加えないで、彼らの主張をよく聞いて、尊重すべきではないか」といいました。珍しく、中国語がポンポン飛び出てきます。政治哲学分野の用語は得意なのです。教科書は「毛沢東選集」だったからです。逆に日常使う言葉をあまり知りません。でも、このようなときは昔の記憶が思いだされるのでしょう。

 

 すると彼の奥さんと18歳になるという娘さんが驚くべきことを言いました。

 「は〜い、お父さんの負け〜〜!この日本人の先生の言うことが正しいよ」と。

 私の周りを取り囲んでいたチベット僧たちも口には出せないのですが、「そうだそうだ!」という表情が読み取れます。漢人たちも「まいったな〜ァ」という表情をしています。

 夫は悔しそうな顔もせずに引き下がりました。“オトシマエ”は一緒の記念写真でケリがつきました。

 バスまでの長い距離をK爺と2人で駐車場まで歩きました。残りの3人はショッピング。

 ここから250km走って蘭州へ向かいます。ここ甘粛省の夏河は今日は昨日の豪雨と打って変わっていい天気で暑い。

| シルクロード | 04:49 | comments(0) | - |
標高3662メートルを越えて浪加(ランジャー)村・タンカ工房

 雨の草原を走って、やがて訪れたのは浪加(ランジャー)村。

ドライバーのチベット人青年は左の人差し指に器具をはめています。聞くと“一度、お祈りをするたびに、これが1回カウンターされる”のだそうです。驚きました。そこまで信仰にこだわるということと、信仰に篤いということを、です。いや、これは“信仰の篤さ”の問題ではなく、生きること、生活そのものが信仰のもとにあるということですね。

 

ご覧ください。左手人差し指にはめられている器具がそうです。

 

 タンカの工房ですが、いずれも数十万円から百万、二百万円(日本円でです)の値段。T女史が20万円までなら買うと粘っていたのですが、あきらめさせました。ここは彼女の買い物に付き合う場ではないからです。しかし、あきらめきれない彼女は翌日になってガイドを通して17万円に値切って買い付けていました。彼女の買い物はいつもこのようにすさまじいものです。年金生活になっても、現役のころの高給取りの習癖がなかなか抜けないのでしょう。

 

このようなタンカがずらっと並んでいます。

 

 どうせなら、「日本シルクロード文化センター」の「関西支部」をつくって、自宅も改造し、それらの品々を展示してみたらどうかと提案したのですが、自分から何かを始めることはできないだろうと私は判断して、あきらめました。

 

 それに引き比べて、建物の工房内でとても美しい若い女性とすれ違いました。日本でいえば小池栄子似のようです。お化粧がきれいなのと背中で編んだ髪の毛とその飾りがなんとも美しいこと「写真を写していいですか?」と聞いてから話すと、今日の村のお祭りでシャーマン役をするとのこと。彼女の表情も誇らしげでした。チベット女性はとても美しい。

写真を縦位置に掲載する技術を身につけました

後姿の髪飾りが本当に美しいですね

 

 途中には大草原で草をはむ羊やヤク、ラクダを見たH田さん「あ〜!野生のラクダがいた!」。野生のラクダは決して人のいるところへは現れません。まして「ラクダを初めて見ました」という彼女が野生かどうかわからないのに、言います。考えてみると、ラクダを見たほとんどの人は、「野生のラクダ」といいます。なぜでしょう?あれにはちゃんと飼い主(遊牧民)がいるのです。

 

 

 

 時間があればこの草原で大の字になってゆっくりしたいところですが、前夜来の大雨でがけ崩れがあちこちで起こり、道路が通れなくなっているので急ぐことにしました。途中では標高3662メートルの標識もありました。

私の呼吸も息苦しくなってきます。深呼吸、腹式呼吸です。

トレパン以外に長いズボンをもってこなかったので、ショートパンツでは寒いくらいです。

 

 8月4日朝、チベット・アムド地域最後のラプラン寺へ。チベット仏教ゲルク派の六大寺院の一つです。

私は数年前、チベット鉄道内で重度の高山病になりました。それまで何度もチベットの標高5000m以上のところへ行っているのに、です。そのときは、私の新疆シルクロードの旅が終わってから、チベットの旅をしようと提案した2人の妙齢の女性たちと西寧で合流してから2日でお別れすることになってしまいました。

 

 その鉄道内では高度障害で何人もの漢人が亡くなっているとのことです。

 10年ほど前、日本人の私の友人も鉄道内でなくなりました。

 人民解放軍がラサを侵攻した時も、多くの若い兵士たちが高山病で亡くなっています。

 でも、侵攻されたチベット人たちは、その何倍も殺されていることをお忘れなく。

 

 原宿にある三浦雄一郎さんの高山病対策のトレーニングも受けたのですが・・・そんなことするからバチがあたったのですね。ですから私にとって標高の高いところは高度障害の危険があるのです。

 

 この日の車は3600メートル以上を走りました。腹式呼吸で大きく酸素を吸います。そして涼しい風、くしゃみ、鼻水、体力減退。メロメロです。

| シルクロード | 03:05 | comments(0) | - |
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