シルクロード日誌

日本シルクロード文化センターのブログページです。シルクロードに関する情報、コメント、旅日記などを綴ります。
ウイグル人の年越し

 2011年の冬、私はウイグル人の友人の息子たちをガイドにしてタクラマカン沙漠一周の冬の旅をしました。カシュガルで別の友人の手配で26歳の青年の運転するタクシーをチャーターしてです。

 真冬のタクラマカン沙漠はマイナス10度から30度くらいです。

しばらく、冬のタクラマカン沙漠の風景をお楽しみください。

ロプノール近くの観光地ですが、このような光景です

111224 こんな人跡未踏の地にも、漢人の住宅が建てられている

111224  タクラマカン沙漠最果ての地にも道路拡幅工事の開発の手が・・

111224 チェルチェンの「楼蘭体育館」

111224 チェルチェンの博物館は「土曜日だから休館だ」って!

111224  石油スタンドの娘さんにカメラを向けると恥ずかしながらもちょっと・・・・

 

あと3日で正月です。月日が過ぎるのはまったく早いものです。

今年は特に私にとっても世界にとっても激動の1年でした。

まだ、年賀状も書いていません。いつも正月になってから書きます。

大掃除も今日からです。年末だからと言って大掃除をするのはおかしいと思っていて、あまりやりません。じゃあ、いつもやっているのかというと我が部屋も先週に半年ぶりに掃除をしたくらいですから・・・・

 

 しばらくウイグル人のことを書いてなかったので、私がウルムチで過ごしたウイグル人の正月風景を思い返してみましょう。

 

 もう7年前になるでしょうか、私は年末年始をウイグル人の親友の家にステイしていました。彼ら夫婦の大きなダブルベッドのある部屋の隣に部屋をあてがわれました。新疆生産建設兵団舞踊団の評判の踊り手であった美人の奥さんは、私が部屋にいても平気な顔でネグリジェのままで部屋を横切り、私がいても彼女はいつも彼に抱きついていってキスをねだっています。困ったものです。

 

 ウルムチの冬はマイナス10度から30度くらいにまで下がります。私が滞在していた時も、道路は固く凍り付き、粉雪が舞い、寒風が吹きすさんでいました。ですから靴も普通の靴では危なくて歩けません。

 

 特徴的なことは、年末はとくに大みそかは友人の家々をまわることです。

 私は友人の彼と2人でまわりましたが、これは女性はまわらないのでしょうか?よくわかりません。というのは、奥さんの友人の家までも私たち男2人がまわるからです。

 

 それぞれの家では、多くの友人がまわるので、ちゃんとした接待はできません。お茶とお菓子だけでした。ずいぶんとまわりました。10軒以上はまわったと思います。大体5分から10分くらいで失礼するのですが、彼は初対面の私を紹介するので、もう少し時間がかかったようでした。

 

 夜中の12時に新年を迎える時のことはよく覚えていません。

 むかし、大学に留学していたころは、時報が12時を示すと「新年好(ハオ)!」と叫んで互いに新年のお祝いをします。

 こういうことも聞いたことがあります。「そのとき、そこにいた女性にキスをしてもかまわない」と、幸か不幸かそれは実現しなかったのですが、かなりの間、本気にしていました。

 

次の写真は、ウルムチに帰り着いてからの冬のウルムチです。

111228 国際大バザール

111227  夜のウイグル人街の路上。車の上に衣料品を乗せて商売

111226 帽子売り場のおじさん

 

下の写真は、ウルムチの有名な舞踊家や女優さんたちの写真です。

私の友人の女性の歓迎会があったので、私も乱入しました。

合計19人の女性の集団は圧巻でした。

左は大阪の大学に10年間留学した女性、右は東京の大学に留学中の娘の母親。

111226  19人の平均年齢50歳の軍団はさすがに強烈でした

この仕草だけでも踊りの名手だと思えるでしょう?

 

 

 今にして思えば、懐かしいあれこれですが、現実は地獄の様相を呈しています。

 

 この写真に写っている方がたのどなたが、今でも街に住んで普通の生活をしていられるのでしょうか

 旅人から聞いた話では、ウルムチの街から成人の男の姿が見あたらないと言います。

 外国に行ったことのある者、

 家族が外国に留学しているもの、

 外国人と付き合ったことのある者、

 外国へ行ったことのある者、

 これらの人びとはみんな、「なんとか教育センター」という名の強制収容所に入れられているのです。

 

 なぜ、中国の党と政府は、このような前代未聞の、いや、ヒトラーやスターリンやポルポトはやったことがありますが、なぜこのような残虐な仕打ちをするのでしょうか。

 

答えはどうやら、「新シルクロード経済圏構想」いわゆる「一帯一路」政策にあるようです。

それについては、もう少し研究しなければなりませんが・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| シルクロード | 17:32 | comments(0) | - |
シルクロードの世代交代

 明日12月9日は第98回目のシルクロード講座です。

 記録を振りかえってみると第1回シルクロード講座は2006年の5月でした。

 もうすでに12年も前のことです。その講座のテーマは「シルクロードって何?」でした。

 第2回は「西域を切り開いた人たち」、3回は「シルクロード探検史」などと続きました。

 

 そして来年1月は第99回。当然のこととして2月は100回記念です。

 果たして100回という節目が記念すべき時なのかという思いはあるのですが、ともあれ回を重ねてきて日本シルクロード文化センターは100回を迎えます。

 首都圏のシルクロード関係者の皆さんと各種のシンポジウムや集会などでお会いすることがあります。お会いする方がたも少しずつ減ってきています。そのうち私もその一人になるでしょう、間違いなく。この世界もやはり消長の波があります。その主要な原因は高齢化です。

 その団体やクラブの中心的なボスが高齢化で動けなくなったり亡くなったりすると、そのまま消えてしまう会があります。ですから、どこの世界でも同じなのですが、新しい世代の育成が必要です。

 そこで問題が起こります。若い世代の継承、新しい世代の育成の課題となると、古いボスが自分の歩んだ道を継承させようとする問題です。これでどこもうまくいかなくなります。

 私自身も、シルクロード研究の分野で、日本シルクロード文化センターの運営で、あるいは私の専門分野であるスポーツ分野でも気を付けなければ、“悪しき継承”につながりません。

 

 ともかく明日は師走の忙しい時でしょうが、時間があれば狛江(和泉多摩川駅)までお越しください。題して、

「青海チベットと寧夏回族自治区のカラホトの旅ー2018シルクロードツアー」報告:瀬戸山 修(クラブの役員です)さん。

 

目的地は、ここカラホト(黒水城)。でも10年前とは大違いで、

監視カメラは無数にあり、スピーカーでは怒鳴り声がわめき散らしていました。

”シルクロードは遠くに・・・”悲しい思い出になりました。

上海到着して、西寧行きの飛行機に乗り遅れました。

やけ気味でかわいい女の子と遊んでいました。

青海省の村の祭りでおばあさんたちと・・・

ガイドの夫の側のおじいさんとお嫁さんと娘たち

 

ゴビ灘の夕日は、すさまじいほどの美しさでした

| シルクロード | 11:35 | comments(0) | - |
日本に伝わる前の仏教知る鍵 ウズベキスタンで壁画発見(11月18日の朝日新聞の見出しから)

※ここからは野口の文章です。

 

2016年8月のこと、キルギスからの帰国の途次、ウズベキスタンのブハラ空港に着きました。そこで、見たことのあるような、ないような高齢の方を見かけました。

 

それが加藤九祚先生でした。いまで思えば病気のために痩せておられ、風貌が変わってしまった九祚さんの前を何度か、行きつ戻りつして、ご本人であることを確認してから話しかけました。「九祚さんじゃないですか。こんなところでお会いできて・・・」と話しかけました。「おやおや野口さん。どこからお帰りですか?」のような会話を交わしました。

九祚さんは、立正大学のメンバーとご一緒でしたので、それ以上話すことは控えましたが、これが私が九祚さんとお会いした最期でした。

 

先生の遺志を引き継いで活動されている立正大学が中心となった今回の壁画発見を、天国の九祚さんは目を細めて喜んでいることと思います。

 

加藤九祚さんは創価大学を退職されてから、研究活動を続けるためにご苦労されていましたが、奈良の薬師寺さんの協力がありました。その後、私も奈良を訪れたことがありますが、先生の研究への執着が多くの者を引き寄せたのだと思います。

 

私たち日本シルクロード文化センターは、毎年1月の講座には必ず九祚さんをお呼びして、終わってからの懇親会でもしたたかに飲んだものです。そして、二次会は成城学園のなじみの店でした。

そしてもう一つの研究団体「パミール中央アジア研究会」でも、会の設立者でした。

ここでも講演をお願いしてからの懇親会では、いつも心から楽しそうに飲んでいました。

まさに、高歌放吟  2011年1月のシルクロード講座終了後の懇親会で

 

晩年になってからの九祚さんは、『アイハヌム』を読み上げるだけの状態になりましたが、私たちは九祚さんにお会いして、一緒に楽しく酒を飲むことが何よりの楽しみになっていたのでした。

もう20年近く前になりますが、1999年、九祚さんが「南方熊楠賞」を受賞した際、吉祥寺のホテルで祝う会を催した時のことを、忘れることはできません。九祚さんは心の底から嬉しそうな表情でした。

今回、カラ・テペでの壁画発見は、この九祚さんの長年の苦労が報われたものだといえます。

 

わたしや私を含めた何人かはテルメズでお手伝いをしたいといったことがあるのですが、ことごとく断られました。それはこの発掘現場はウズベクの軍の基地の中にあるからです。それで私はすっぱりと諦めることがきました。

 

しかし、加藤九祚の夢はやっとかないました。わたしや多くの友人たちはそのように思っていることと確信しています。

この内容を詳しく知り、実物に対面できる日が訪れることを心から待っていたいと思います。

 

ウズベクの空港で偶然お会いできた時のことが、今でもまざまざと思いだされます。

九祚さん、ほんとうによかったですね。おめでとうございます

狛江のなじみの店で・・・

 

| シルクロード | 05:14 | comments(0) | - |
日本に伝わる前の仏教知る鍵 ウズベキスタンで壁画発見 

きょう(18日)の朝日新聞からの引用です。

             編集委員・永井靖二

2018年11月18日05時04分

カラ・テペ遺跡で見つかった壁画の一部=立正大学ウズベキスタン学術調査隊提供

カラ・テペ遺跡で見つかった壁画の一部

=立正大学ウズベキスタン学術調査隊提供(以下の写真も同じ

 

 

 

 

 シルクロードをへて広がった仏教美術の源流をうかがわせる極彩色の人物壁画が、中央アジアウズベキスタンで発見された。立正大学と現地の研究者による共同調査団が見つけた。2〜3世紀の作とみられ、仏教が日本に伝来する前にいろいろな文化に触れながら変容してきた姿がわかる貴重なものという。

 

 壁画はウズベキスタン南部、アフガニスタンとの国境の街テルメズ郊外の仏教遺跡「カラ・テペ」(カラ・テパともいう)で2016年秋に見つかった。丘の上数百メートル四方の範囲に仏塔や僧院がある遺跡で、北端の仏塔の脇を約2メートル掘り下げて見つかった石室内に描かれていた。壁画の全体像は解明に至っていないが、このほど提携先のウズベキスタン芸術学研究所から画像の公開が認められた。

 

 縦横1メートル余の範囲に複数の人物が描かれており、赤や青の鮮やかな色彩が残る。この遺跡では、様式などから2〜3世紀のものとみられるギリシャ・ローマ風の人物やインド神話の巨鳥ガルーダの頭部の像のほか、バクトリア語が記された陶片などが出土しているが、まとまった壁画は見つかっていなかった。約300キロ南にあり、タリバーンに破壊されたアフガニスタン仏教遺跡バーミヤン(6〜7世紀)より古い。

 

 この一帯はバクトリア地方と呼ばれ、北インドのクシャーン朝で2〜3世紀に最盛期を迎えたガンダーラ美術の影響下にあった。紀元前5世紀ごろに釈迦(しゃか)が唱え、その後約1千年かけて日本へと伝来した仏教はインドから北西へ出て、アジア内陸部を時計回りに伝わったとみられ、その経路にあたる。日本側の調査団長で立正大学仏教学部の安田治樹教授は「釈迦の生涯を描いた物語図の一部ではないか。彫像や陶器に比べて壁画は残りにくいだけに、日本へ伝わった仏教の変遷をたどるうえで貴重な知見だ」と話す。

 

 私の意見や加藤九祚先生との思い出や感想などは明日、掲載します(野口)。

| シルクロード | 10:40 | comments(0) | - |
シルクロードの音楽を堪能しました

 

 会場の設営は役員みんなでやります。

 

 11月10日の土曜日、日本シルクロード文化センター恒例の「シルクロードの集い2018」を開きました。

 内容は佐藤圭一(ちゃるぱーさ)さんのお話しによる「アフガニスタンの歴史と音楽」の講演。

佐藤圭一さんのお話しは、とても分かりやすいアフガニスタンの歴史でした。前回のアフガニスタン大使館の館員による“アフガニスタンはこの世の天国だ”式のお話しよりもよほどわかりやすい内容でした。

 

続いて、「アフガニスタン:歌と音楽と踊り」。

やぎちさとさんが加わって「ちゃるぱーさ」としての歌と演奏、そして若い女性2人「シャランシャラン」によるアフガニスタンの踊りがありました。

「シャランシャラン」のお2人。左が上村菜々子さん、右が中井夏美さん

 

ちゃるぱーさの演奏ではお2人の息の合った演奏とともに、真ん中にちょこんと座っている息子のあきら君の姿が印象的でした。彼も両親と一緒に演奏しているのでしょうね。

ちゃるぱーさ一家です

若いうちから鍛えなければ・・・割りばしでお酒をお口に

 

若い2人のうちの1人、上村菜々子さんは狛江市の隣の調布市で美術の先生をしながらアフガン舞踊をしています。もう一人は中井夏美さん。

菜々子さんと話し合ったことがあります。

狛江市で毎月続けている「シルクロード講座」をとなりの調布市でも開きたい、と。“いつでも全力で応援するから・・・”と言ってはいるのですが、なかなかうまく進みません。そのうち、うれしいお知らせができるかもしれません。

 

 

 2番手は「アミン&慶九さん」のお2人。

題して「ペルシアの詩・声・弦の響き」。

アミンは東大大学院で放射線分野の研究をしている学者の卵ですが、幼いころから民族音楽を学んでいる青年です。

 歌法は、西洋音楽と違った歌い方。特に余韻のところで、さらにバイブレーションを駆使しての歌法が印象的でした。

アミンと慶九さん

懇親会であきら君と遊ぶ慶九さん

 

慶九さんは、変わった名前ですが、イラン留学中に名付けられたニックネームだそうです。

わたしは会ったことがないのですが、慶九さんはまるで「紫式部」を現代版にしたような方。“不思議な魅力を持った謎の女性”とでも言えそうな人です。

 ここでは「マーフール旋法」という何やら難しい演奏法の説明などもあり、イランの音楽を堪能することができました。

 

 

 最後がお馴染みの「モンゴル舞踊研究会」による踊りと馬頭琴の演奏です。

 主宰のマンダブインさんと佐藤淳子さん。もうお2人とも小さな子どもを持つママさん舞踊家です。そして馬頭琴で初出場のアラタンチロさん。38歳。

モンゴル舞踊研究会の佐藤淳子さん

マンダブインさん

馬頭琴演奏のアラタンチロさん

 

 今回のイベントは昨年まで、多くのグループに出演していただいたので、一つのグループの演奏時間が20分ほどの短いでした。

 

分かりやすいアフガニスタンの歴史のお話しと、今回は出演を3グループに絞ったので30分×3グループの舞台を堪能することができました。

参加者の皆さんにとっては、かなり贅沢な時間だったと思います。

 

 一方で、昨年より少なかった演奏者も含めて40人前後という参加者ですが、やはりアフガニスタンやイランとなると、国際的な紛争や内戦、テロや「制裁」などのマイナスイメージがある地域です。自然と人が集まるようなものではありませんでした。それは先刻承知だったのです。これまではウイグルやモンゴルの踊りや演奏が重点でしたので。ウイグルの歌と踊りと演奏は、当人たちが出演することに勇気のいる情勢になっているからです。日本でもどこでも中国当局(大使館や特殊なメンバー)の目が光っているからです。

そして、私たちの広報力にも限度があります。

 

 シルクロードだから人が自然に集まってきて、歌や演奏や踊りなどを見たいという状況にはなりにくい国際情勢に変化してきているのです。

 そして私たちのイベントも10数年続いています。毎年の常連さんたちも高齢化してきていますし、マンネリ化しつつあります。

 

 次回からは、それらのところをじっくりと検討していきたいと思います。

| シルクロード | 03:23 | comments(0) | - |
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