シルクロード日誌

日本シルクロード文化センターのブログページです。シルクロードに関する情報、コメント、旅日記などを綴ります。
東トルキスタンの歴史概況と中国の民族政策 ―イスラームの国際的影響と21世紀―

   21世紀に強引に進められるグロ―バル・スタンダード化の波に抗して、イスラームがどんな動きを進めるのか、私たち自身がその潮流の中に身を置いて流されながらも、見聞きしたイスラームを軸に世界を考えなければならない時代が確実にきていることを実感している。

 21世紀、日本はこのイスラームにいかに対応していくのか。日本と日本人に課せられた最も大きな課題の1つであろう。

エアーズロック

 

2000年9月、平和と民族の祭典・オリンピックゲームがオーストラリアで行なわれた。その開会式は、かつての白豪主義・差別から脱却しようとたたかっている先住民のアボリジニとオーストラリアの歴史をひもとく内容と構成になっていた。そして、アボリジニの聖地・巨大な岩エアーズロックのウルルから3か月余の長旅を終えた聖火のスタジアム内のリレーはすべて6人の女性であり、最後の点火はアボリジニの女性陸上選手のキャシー・フリーマンさんであった。そして、韓国と北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)選手団がともに手を取り合っての入場行進があった。平和と民族融合そして女性の進出を象徴するこのシーンは世界の多くの人びとの胸を打った。

キャシー・フリーマン

 

 まもなく21世紀を迎える中国はアジア全体の景気失速の影響をもろに受けており、ますます拡大する貧富の差、失業と農民の生活苦そして盲流、環境・自然破壊そして民主主義と人権問題などがよりいっそう深刻になっていくことが予測される。しかし、それ以上にチベットや新疆における問題が今まで以上に大きく浮上してくることは容易に予測できることである。中国10数億のなかでいわゆる「少数民族」の人口は1割弱の約9千万人である。

 

ただし、「少数民族」という表現は正しくない。この用語は現在の中国の支配民族である漢民族の中華思想による表現であり、多数民族である漢民族以外の諸民族を比較して少数民族と称しているのである。ほんらい、それぞれの固有の民族名称を使用すべきである。日本は大いに中華思想で固まっているので(これを小中華思想という)、無意識に少数民族という言い方を使用している。

また逆の考え方として、「我がウイグル民族は5千年の歴史を有し・・・」といったり、同じ新疆の他の民族を蔑視するような傾向がある。「オレの家ではカザフ人を小間使いで使っている・・・」などのたぐいが最近顕著になっている。反面教師である。

 

 中国における民族問題は現在、少なくともいくつかの点で軽視できない重要な問題が存在している。チベット、新疆などにおける各民族の分離・独立の動きが一向に沈静化しない。弾圧されても屈しないという運動の底深いエネルギーがどこからもたらされてくるのか。中国に存在する諸民族の多くは、ここ20年間の急激な経済・社会・文化の各分野での漢民族化に反対する動きはもとより、中国共産党が政権を獲得して以来、いや匈奴、突厥の昔から漢民族との熾烈な闘いのもとで、みずからの生存の歴史、文化と誇りが脅かされるとの危機感をつのらせている。その主要な原因は、中国共産党による「民族区域自治」政策であり、その政策にのっとって執行されている“民族の識別”工作であることは論を待たないであろう。

 

 新疆ウイグル自治区――豊富な地下資源を沿海部の改革開放のために供給する役割を担わされている状況と、漢民族による絶えまない各民族にたいする抑圧と支配の構造から脱しようとするウイグル、カザフ、回など各民族による分離・独立への希求はとどまるところを知らない。彼らのその思想・運動の拠ってきたるところは、1940年代に東トルキスタンを震撼させた三区革命=東トルキスタン共和国革命政府の樹立とソ連、中国などの国際政治に翻弄された結果としての革命政府の崩壊であった。

 

また、ウイグル民族などによる分離・独立の政治的・歴史的根拠を、国際世論によって合意を形成できる根拠をどこに求めるのかという問題も一つの重要な課題になっているのである。

| イスラーム関連 | 09:26 | comments(0) | - |
東トルキスタンの歴史概況と中国の民族政策  ―イスラームの国際的影響と21世紀―

 2000年になったいま、イスラム教を考えるとき、サラエボ、コソボの悲惨な出来事はまだ記憶に新しい。

 セルビア人とアルバニア人が同居するユーゴスラビアのコソボ自治州をNATO軍が空爆し、統一後のドイツがそれに加わった。ユーゴスラビアからすれば、コソボはもとセルビア正教の聖地であり、オスマン帝国の支配に抗してセルビア人が戦いを挑み一敗地にまみれた因縁の場所である。この地での多数派はイスラームを信じるアルバニア系住民である。

コソボ紛争

 

ベオグラードのミロシェビッチ政権はコソボ奪回を掲げ、セルビア人を支援してアルバニア人虐殺の引き金を引いた。この「人道に反する罪」の排除を目的に、NATOは国連決議を経ない軍を送った。そして多くの無辜(むこ)の人びとが殺された。コソボ爆撃は21世紀にまで持ち越される重大な問いを人類に突きつけた。NATOの行動は、アメリカが進めるグローバル・スタンダードと不即不離の関係にあることに、多くの人びとが気づき始めている。

NATO軍をナチス・ドイツのハーケンクロイツに喩えたグラフィティが描かれたノヴィ・サドの町(1999年)

NATO軍の空爆後のノヴィ・サド(1999年)

 

 このような状況を、冷戦以降の国家の構成をかえ、自分たちの国をつくろうとする動き、民族を主体とした固有の文化や宗教にもとづく価値観の表れとみていく必要があるのではないだろうか。他方でEUにみられるように、政治面・経済面で国家をこえたアイデンティティの限界を乗り越えようとする模索もある。近代化をめざし改革開放20年を超えた中国でも問題状況はそれほど変わらない。

以上の状況を俯瞰すると、日本人の視野になかなか入らない“イスラム教”という巨大な宗教人口が我々の前に存在していることに気がつく。

 

21世紀は世界人口の4分の1を占めるムスリム(イスラム教徒)、そして近年のイスラム原理主義が国際政治にますます大きな影響を与えることになるだろう。しかし、日本におけるマスコミのイスラム教にたいする度外れた偏見と誤謬を原因として、この問題認識を日本と日本人が抱くのは、まだ、かなり先のことになると思われる。しかし、国際政治はとっくに私たち日本と日本人にイスラームの影響を鋭く突きつけているのである。イスラームをめぐる紛争と争いは泥沼化し血で血を洗う凄惨なものになる。だからこそ、宗教間相互の歴史を知らねばならず、その対立の根源にまで認識を深めねばならないと感じている。

 

 私は新疆と在日ウイグル人留学生にしかイスラム教徒の知り合いはいないが、みな実に寛容で屈託なく穏やかである。ムスリム地域では、持たざるものには例外なく食物を与え、金を与え、親切である。

イスラームの人口は地球上の貧しい地域で増加の一途をたどっている。労働者は熟練していないが、みな若い。時間は大きなポテンシャル・エネルギーであり、近い将来、イスラームが巨大な潮流となることは間違いないであろう。いや、すでに巨大な潮流になっているのだろう。少なくともイスラム教徒はそのように思っているだろう。

 

 イスラームでは、アッラーに絶対的な帰依をするものはすべて、人種、民族、国家を超えて平等に結ばれる。これは、近代以前の融通無碍(むげ)の人びとのつながりを連想させるが、彼らが居住する地域の多くは、明らかに近代の西欧によって植民地支配を受け続けてきたところである。そうした過酷な支配を通過してもなお強い紐帯で結ばれるイスラムの同胞意識とはなんだろうか。それを、従来のナショナルなものとインターナショナルなものという対立概念で説明することは困難である。イスラームはトランスナショナル、国家横断的な存在と考えるほうが無理がないように思われる。

 

世界各地でもムスリム人口が急激に増えている。アメリカ最深部ニューヨークのマンハッタンの大通りで若者たちが礼拝する写真が大きく躍っていた。アメリカも皮肉にもイスラムへの改宗者が急増し、ユダヤ教徒をしのぐ勢いであるという。

マンハッタンの大通りで若者たちが礼拝する写真

 

 さて、日本と多くの日本人はこれまでイスラームに関心を持たずに過ごせると信じてきた。しかし、現実に約20万人の在日ムスリムのビジネスマンや労働者、留学生が日本に来て多彩な文化を持ち込んでいる。

 

東京・渋谷区の代々木上原にトルコの援助による日本最大の壮麗なモスク(イスラム教寺院)「東京ジャーミー」が2000年6月に完成した。私は毎朝このモスクを見ながら通勤している。

 

 

 日本人のイスラームへの改宗者も年々増え、すでに3千人のイスラム人口がいるともいわれている。そして日本人がムスリムになる典型的パターンが、中近東への留学・赴任が契機だともいう。日本の新宗教、新興宗教に入信するのと同じ感覚であることに驚きをも感じる。ここにもトランスナショナルな潮流がある。

宗教的伝統の違いによる文化摩擦は全国各地で起きている。イラン人男性が自殺して、イスラム教義で禁じられている火葬にしてしまった事件、学校給食における豚肉提供の問題など、日本人とイスラム教との共存・共生も21世紀の課題になってきている。

 

 西暦2000年4月6日は、イスラムの暦では1421年1月1日であった。579年の時空の差はキリスト教の世界、西暦を使用している世界各地の人びととのとてつもない距離をつくっている。現在の人類の英知はそのギャップを埋めることに成功していない。そのイスラム教徒は自分たちの教義とは無縁の20世紀末をどのように見ているのだろうか。若年人口が急増し、世界各地でイスラム教徒が増加し続けているこの宗教にとって、まだ時間はある。

| イスラーム関連 | 09:50 | comments(0) | - |
東トルキスタンの歴史概況と中国の民族政策 ―イスラームの国際的影響と21世紀―   いわお たかし  2000年9月19日

※今回の文章は2000年9月に日中友好協会の研究誌『中国研究』誌に掲載されたものです。

 このときは、当時使用していた「いわお たかし」の筆名で執筆しています。

 前回のブログ同様、20年前の時点で分析し、執筆したものですから、そのごの事件や出来事は当然、反映されていません。その点をご理解の上、お読みください。野口

 

                                    

はじめに

ソ連崩壊以降、民族問題とりわけイスラム教とのかかわりからくる民族問題が一気に国際化し、政治問題として浮上してきている。

本稿では、はじめに地球人口の4の1を占める約13億人のイスラム教について、昨今の世界各地の状況とその原理および「イスラム原理主義」の現実について触れ、ついでイスラム教を信奉する中国・新疆の各民族の歴史状況と東西トルキスタンの歴史、さらに中国共産党の民族政策の変遷と現在までの「民族区域自治」政策について、分離・独立の動きとのかかわりで触れてみたい。

 

 20世紀末、1990年代に生起したイスラム教及びイスラム原理主義に関わる世界各地の出来事・事件を列挙すると次のような多きにわたる。

 

ソ連崩壊後の独立した連邦構成共和国


1.アルメニア 2.アゼルバイジャン 3.ベラルーシ 4.エストニア
5.ジョージア 6.カザフスタン 7.キルギス 8.ラトビア 9.リトアニア
10.モルドバ 11.ロシア 12.タジキスタン 13.トルクメニスタン
14.ウクライナ 15.ウズベキスタン

 

湾岸戦争とソ連の崩壊、

旧社会主義政権とイスラム原理主義との錯綜した中央アジア諸国の独立と民族紛争、

ソマリア紛争、

南アのアパルトヘイト体制の終焉、

アルジェリアの内戦状態の発生、

チェチェン紛争の泥沼化、

ボスニア紛争、

イスラム原理主義に則ったアフガニスタン・タリバーンの登場と政権奪取、

エジプトのルクソール観光客襲撃事件、

愛人がイスラム教徒であったダイアナ妃事故死、

インド・パキスタンの地下核実験競争、

スーダン、アフガニスタンへの米巡航ミサイル攻撃、

マレーシア政権内部の変動、

インドネシアでのスハルト政権崩壊とワヒド大統領の出現、

コソボ問題とNATO爆撃、

キルギスでの日本人技師人質事件、

ローマ法王ヨハネ・パウロ二世の聖地エルサレム訪問、

中国の内陸開発計画、

南部フィリピンやフィジーの動向、

米国や欧州でのイスラム教徒の急増、

仏パリ近郊のクリシーの路上で祈りをささげるイスラム教徒の人々(2017年11月10日撮影)。(c)AFP/ALAIN JOCARD

 

 

そして中国・東トルキスタン(新疆)における分離・独立の運動や国際化しているチベット独立問題などが厳しく存在している。

 

さらにイスラームの動きについて、具体的に立ち入ってみよう。

 世界を震撼させた“イスラム革命”から20年。イランでは保守派と改革派が命運をかけて戦った。世界が注視した選挙の結果は改革派の圧勝だった。イランは民主化への道を歩むことになった。が、前途は多難である。

イランに帰国したホメイニー

 

※前回もそうですが、今回も私の撮影した写真以外は、ほとんどをネットから拝借しています。

 

 

 アジア最大のイスラム教徒の国インドネシアでは、98年の総選挙でイスラム政党が大躍進。指導者ワヒドが大統領になりメガワティが副大統領になった。ワヒドはインドネシアからの分離独立を求めるアチェ州の説得に、イスラムの寛容の精神を掲げているが、アンボン島でのイスラム教徒とキリスト教徒との殺し合いの根は深く、憎しみだけが残っている。

16世紀にさかのぼってオランダ植民地時代に、キリスト教徒を優遇しイスラム教徒を酷使する差別の種がまかれていたからだ。争いが起こる前までは、隣近所の仲良しだったものが、宗教の違いだけで、集団で襲撃し、殺し、犯し、焼く。根は深い。

 

 トルコでは、人口の98%がイスラム教徒でありながら、政教分離の立場からイスラムの政治活動は禁じられている。しかし、99年8月17日はトルコを襲ったM7.4の大地震は人びとのイスラムへの信仰を呼び覚ました。被災者たちは瓦礫の下からイスラムの聖典のコーランを真っ先に取り出し、大きく傾いたアダバザールのモスクの前でアッラーへの祈りを捧げた。今後、トルコにおいてイスラムを標榜する政党が非合法化されるか、EU加盟ともからんで民主化の行方が注目されている。しかし、1年過ぎた今もいっこうに復興ははかどらず、真夏の炎天下50度のテント生活を強いられていた市民も多い。

 

 ソ連の崩壊後、イスラムの復興が急激に進むロシア。

チェチェンが南のダゲスタンを占拠した。その“解放”の目的で、ロシア軍はチェチェンの首都グローズヌイを攻撃、カフカス山麓での冬の悲惨な戦闘が続いた。廃墟と化した首都を捨てたチェチェンのバサーエフ司令官は山岳ゲリラ戦を宣言した。それにたいしてロシアは“テロリストの一掃”を掲げて大量の軍隊を送った。イスラムを信じるタタルスタンのわかものたちが、祖国ロシアに背を向けてチェチェン軍に加わったという話もある。実に多くのことが、イスラムを信じイスラムに生きる人々に関わりのある地域で起きている。

| イスラーム関連 | 09:24 | comments(0) | - |
ISが人類の歴史遺産の破壊を!
メソポタミア文明の遺産を次々と破壊 黒服の男がハンマーや電気ドリルで粉々に 「イスラム国」が映像公開

世界中に配信された映像。イラクのモスルの博物館。

※おととい、昨日のニュースでIS(イスラム国)がイラク・モスルの博物館でハンマーをふるって貴重な歴史的な遺産を破壊している映像が世界に報道されました。

偶像否定がクルアーンに書かれているとはいえ、それは一面なのです。
「イスラム教徒は豚肉を食べてはいけない」という教えがありますが、例えば、砂漠の真ん中で迷ったときに、食べ物がなくなって餓死寸前になった。そこへ豚が一匹だけいたとします。その時には、その豚を食べてもいいとクルアーンに書いてあるのです。

ISのこの行為は、ただの”破壊行為”です。彼らの行動を正当化する何物もありません。
しかし、彼らのもとへ行く若者たちが欧米で増えているのも事実です。
それらのすべての原因は、アメリカのアフガンやイラクへの侵略行為でした。


今また、欧米はISへの武力攻撃をもくろんでいます。
日本の安倍政権も、ひたすら戦争への道を突き進んでいます。
ISを根絶やしにするには、彼らを支援する勢力への批判と資金源の根絶、彼らから石油を買わない・売らせない・買わせないなどの国際的な包囲網が基本だといえます。


それにしてもこれほど貴重な歴史遺産が、こんなにも無残に破壊されるのは、アフガンのバーミヤン以来です。
それだけではありません。この一連の中東の紛争で、数多くの博物館や美術館で破壊が行われ、盗掘
略奪によって、ヤミの世界に流れたり、破壊されています。
戦争で人類文明が守られることはありません。
平和でこそシルクロードの歴史遺産が守られるのだと痛感しています。

以下は、それに関する新聞報道ですーーー野口


テロの犠牲者3万人超に 「イスラム国」台頭で
過去最悪に 昨年1〜9月 米国家情報長官証言


 【ロンドン=内藤泰朗】イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」は、イラク北部モスルの博物館で、メソポタミア文明の収蔵品を次々と破壊する映像をインターネット上で公開した。事態を重くみた国連教育科学文化機関(ユネスコ)は26日、文化財の破壊を差し止めるため国連安保理の緊急招集を要請した。

 26日までに公開された映像では、黒服などを着た多数の男たちがモスルの博物館に収蔵された文化的価値の高い多数の像を、イスラム教が崇拝を禁じる偶像だとして、床にたたきつけ、ハンマーや電気ドリルで粉々に破壊した。英BBC放送は、映像が事実であることを確認したと伝えた。
 男の1人は「(偶像は)アラー(神)が破壊を命じている。何十億ドルの価値があろうと知ったことではない」と述べ、破壊を正当化した。


中国から来た絹は、ここで発見されたという、シリア・パルミラの遺跡。
(2002年・撮影。上2枚)



 さらに、博物館近くの遺跡でも、紀元前7世紀ごろのアッシリア帝国時代の翼を持つ雄牛の格好をした、守護神の石像が破壊される様子が記録された。

ユネスコのボコバ事務局長は26日、この映像について「強い衝撃を受けた」との声明を発表した。
 モスル周辺には、アッシリアの古代都市ニネベの遺跡や文化財が多数残る。「イスラム国」は昨年6月にモスルや周辺地域を制圧後、聖人らの廟を相次いで爆破。今年、モスルの図書館に所蔵されていた哲学や科学、詩などイスラム関係以外の書物を焼き払ったとされる。

今もこのまま残っているだろうか、アンマンの街。
 
| イスラーム関連 | 06:40 | comments(0) | - |
緊急集会報告ー3
豊田 正巳さん フリージャーナリスト
私たちは何をやればいいのか。首を切られた湯川さん、後藤さんののことを言う前に80年前、日本軍は南京で同じようなことをした。2人の陸軍少尉の南京事件でのそれぞれの「百人斬り」を今どう思うのか。福島に避難民が10万人もいることを忘れないことが大切だ。
安倍首相はその逆、「人道支援」という名の軍事支援をやっている。イラク戦争の時、自衛隊を派遣してしまった。イラクは宗派間の戦いではない。イラクの人たちにそのことをインタビューすると「お前はアメリカの宣伝に乗せられているのか。俺たちはイラク人なのだ」と言われた。
 
アメリカが大虐殺をしておいて、ISは邪悪だと言っている。イラクのマリキ政権がスンニ派の皆殺しをすすめ、病院を攻撃して子供たちを数多く殺している。その責任はだれからも追及されない。ISだけが邪悪なのではない。政府と政府軍も同罪なのだ。
 
日本は今、分岐点に立っている。集団的自衛権だ。8月に湯川さんが殺され、今回は後藤さん。テレビや新聞が「後藤さん」とか「IS」という前に、前の戦争の反省を真剣にしていないから、今回のような軍事支援になる。
それにしても自民党の改憲案はひどすぎる。だから安倍首相の「検証」は無理だろう。いま、大切なことは「憲法9条」の枠をきちんとはめ込むことだ。安倍首相の反省は、言い換えれば「イラク戦争の時、なんでもっと自衛隊を戦わせなかったのか。自分たちは戦争ができなかったんだから、戦争をやれるように憲法を変えよう」ということになる。
 
昨年の夏、シリアではたくさんの子供たちが脱水症状で死んだ。ODAを軍事用に使ってはいけない。そのODAを軍事用にも使えるように閣議決定しようとしている。
「イラクの復興は日本の国益」。これはイラクやシリアの実態とまったく違う。この問題を日本は簡単に受け入れてしまう。いま、安倍首相は「石油のために喜んで軍隊を出しましょう。そのために憲法を変える」という考えに凝り固まっている。そのために秘密保護法をつくった。
 
綿井
いま、“わたしたちに何ができるか”ではなく、“何を安倍首相にやらせてはいけないのか”を考える時である。
志葉
「貧困がテロを生む」と言われるが、正しくは「不平等がテロを生む」になっている。
アメリカがイラクで多くの人びとを殺したことは罪に問われないが、ISが後藤さんを殺すと大騒ぎする。アメリカや政府軍のイラク、シリア、ガザの暴力と殺戮をいつになったら問うのか。日本政府も暴走し始めている、歯止めを!
 
 
今回の緊急集会の報告は、私自身、よく検証して書いていないので、聞いたまま、メモしたままを書き連ねました。文章が支離滅裂なのはよくわかっているのですが、あえてそのまま書きました。
コトは重大で、且つ又緊急です。そして、これは遥か彼方、中東だけの問題ではなく、日本の問題でもあると実感しました。他人事ではないのだということを痛感させられました。
 
いま私たちに求められていることは、安倍首相の「戦争への道」をやめさせ、集団的自衛権の「閣議決定」を撤回させ、秘密保護法をやめさせることだといえます。それらをそのままにしておいて、中東支援ということは、戦争と虐殺に手を貸すものだということを政府に判らせることだと思います。
 
| イスラーム関連 | 07:01 | comments(0) | - |
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