シルクロード日誌

日本シルクロード文化センターのブログページです。シルクロードに関する情報、コメント、旅日記などを綴ります。
ウイグル人の生活習慣及び風俗・伝統あれこれ―36 クチャ

 母なる河・クチャ河の水源に位置するこの亀茲国の故城を、土地の人々はスバシ故城と呼んでいる。河を挟んで東西に夥しい数の仏塔、礼拝堂、千仏洞がひしめき合っていた。範囲は7000平方メートルに及び、西域最大の仏教遺跡であったろう。玄奘は、「昭怙釐(しょうこり)伽藍は街の北40余里」と記している。クチャの人々の死活を左右する、母なる河の水源にある寺院は、当時の善男善女にとって、いっそうありがたいものに映ったであろう。
 「僧徒は、持戒甚だ清く、まことによく精励している」。玄奘はこの伽藍の僧侶たちの熱心な修行ぶりを讃えている。


    月の如く、日の如く
    大いなる慈悲の仏陀よ
    クチャ河に、永遠の水の流れを 
    豊かな実りを与え給え

 

沙漠に生きる人々の祈りが、この壮大な寺院いっぱいに響いていたであろう。

クチャの街からマイクロバスでスバシ故城に向かった。遺跡の間を流れているスバシ河の河床は大きく荒々しい。かつて、この河の川幅はもっと狭かったはずで、それが遺跡を削って、今見るような幅の広い川になった。スバシ河は、この遺跡を外れたところで、クチャ河と名を改めて3本の流れに分かれる。いずれもクチャ河である。

 

きのう掲載したこの写真は、きょう掲載すべきものでした


 遺跡には仏塔、寺院、住居地区の跡が、塹壕のようにちらばっている。礼拝堂、小会議室、城壁。

小会議室には木の柱の跡が見えており、木材の一部も残っている。城址は日干し煉瓦、石の層、日干し

( かわら ) 、石の層と四層になっていて、日干し磚の底にはワラが入っている。
 龕(ガン:仏像を安置する場所)の跡がある。上部が欠けているが、龕といわれてみると龕である。

※2017年の現在、この上には入れなくなっている。当然であろう。脆い土くれが砕け落ちていたのだから・・・・

 

 最近発見されたという寺院跡のかなり急な階段を登ってゆくと、頂きに近いところに墓室があった。墓室といっても前室らしく、壁ひとつ隔てたその向こうに、死者は今もなお眠っているはずであった。誰が眠っているのであろうか。とまれ、夜毎、月光はこの高所の隅から隅まで照らすだろう。そう思った時程、歴史というものが、悠遠などといったものと無関係に、ただひたすら淋しいものに思われることもなかった。
 

 仏塔跡に上る。上部の壁の中に木材が顔を出し、壁画が少し残っている。最近の発掘で出てきたという階段もある。その階段を上って行き、上り詰めるとその下に墓室があるのが見られた。高所に立って俯瞰する。大天山を背景にした雄大な遺跡である。この仏塔跡を外から見ると、まるで象の頭部のように見える。なぜ、ここに象が登場するのだろうか。おそらくインドからの影響であろう。


 この、魏・晋時代に繁栄した大仏教寺院は、唐末あたりから衰えてゆくが、いついかなる時に廃墟になったかはわからない。スバシ故城がこれだけ残っているのは、全く風と砂のお陰だといえる。風が運んできた砂でこの遺跡は埋まり、護られてきたのである。
 

| シルクロードの光と影 | 11:06 | comments(0) | - |
ウイグル―35 クチャ

キジル千仏洞

クチャの全景を見渡すようにクマーラジーヴァがいる

 

クムトラ千仏洞からムザト河を15キロ程遡った上流に、新疆地区最大の石窟寺院キジル千仏洞がある。キジルとは「水源」のような意味になる。敦煌莫高窟に次いで、シルクロードに咲いた仏教美術の名花である。土地の人びとはキジルを「上の千仏洞」、クムトラを「下の千仏洞」と呼んでいる。かつてはムザト河に沿って道があったのだろう。現在、クチャからキジルへ行くにはムザト河の渓谷を避け、だいぶ遠回りをしなければならない。

ムザト河


 奇岩の聳える塩水渓谷を北上し、天山南麓とチョルタク山系との間のゴビを西進する。道は拝城県のオアシスを目前にして南下すると累々たる丘陵地帯に入る。突然、丘陵地帯が途切れる。眼下にはムザト河の流れがあった。

クチャの千仏洞の向こうには、まだ荒涼とした土地がある


 キジル千仏洞は、ムザト河北岸に東西2キロにわたってつくられている。その数は現在236窟が確認されている。開窟の時期は3世紀。そして9世紀〜10世紀まで石窟の造営は続けられた。放棄されたのは11世紀頃。この西域最大の千仏洞は、今世紀初頭に多くの探検隊が発掘調査したことでも知られている。

キジル千仏洞

 

 仏教美術において、飛天は主尊の如来を讃えて虚空を飛びながら合掌し、あるいは散華( さんげ ) (花を撒き散らすこと)あるいは奏楽によって供養する姿で現わされる。飛翔の方式は大別すると2種類あって、1つは鳥類のように翼をはばたいて飛ぶもの、もう1つは天衣をひるがえしながら飛ぶものである。クチャには、男性飛天、女性飛天、楽天像、飛天童子、菩薩形飛天、天女風な飛天など独自の西域風の飛天が数多く姿が描かれた。

 

 キジル石窟には、前室、後室や回廊があり、涅槃図の天井には美しい飛天が奏楽や散華している画が描かれている。特に、スバシ故城のトンネル状の廊下には琵琶、ハープ、笛、華盤などを持った飛天が飛びかい、奏楽し散華している姿が数多く見られる。

キジル千仏洞へ着く前に数々の窟があったであろう遺跡が立ちはだかっている

 

 

 ここのガイドには、以前は大学で専門的な研究をしてきたウイグル人がいた。最近ではガイドはほとんどが漢人になっている。どうしてだろう。まだ、大学を出たばかりのような若い娘が一生懸命説明する。それもマクドナルドのスタッフのように決まった言葉しか話さないように見受けられる。しかもとても下手な日本語である。それでも、しどろもどろの説明が終わって、こちらから質問をすると彼女は答えられない。質問の日本語が分からないのだろう。答えられないどころか、“なんでそんな質問をするんですか!”とばかりに怒りをぶつけてくる。なんと無知で短気でわがままなガイドかとびっくりする。帰りには、普段はそんなことをしてはいけないことになっているが、ガイドが帰宅するために私たちの車に同乗するのである。そして結局、私たちは遠回りになり、お姫様は堂々とご帰宅となる。エライ変わりようであった。

玄奘三蔵もこの谷川を歩いて行ったのだろう

 

スバシ故城

 

 亀茲国の全盛期、4世紀の王城の絢爛さを『史書』は伝えている。「外城は長安城に等しく、室屋は壮麗なり」、「王宮の壮麗さは(かん)として(光輝くの意)神居の如し」、王城は、三重の城郭で囲まれ、外城は長安城の如く、宮室は玉や金で飾られ、その壮麗さは、たとえようもないほどであったという。河を隔てて2つの寺院があり、大城の西門の外の路の左右には、おのおの立仏の像の高さ90余尺のものがある。伽藍は100余ヵ所、僧徒は5000余人・・・。人々は功徳を積むことを競っている。


 7世紀の初め、クチャを訪れた玄奘三蔵は、仏教の盛んなる様を次のように記した。

 

「街門には、30メートル程の仏像が、左右に1体ずつ立っている。西方からクチャに向かう旅人たちは、遙かなゴビの果てからも荘厳な2体の仏像を拝しえたであろう。クチャは最大の仏教都市でもあった」。玄奘三蔵『大唐西域記』から。

| シルクロードの光と影 | 09:06 | comments(0) | - |
ウイグル人の生活習慣及び風俗・伝統あれこれ ―34  十二ムカーム

十二ムカーム

ウイグル各地では、この絵がもっともポピュラーになっている。

 

200年程前のウイグルの詩人メシュレプは多くの詩を残した。豊作の歌は、それ以前から歌い踊られてきたが、メシュレプの詩が登場すると、ほとんど、彼の詩で歌い踊るようになった。以来、豊作の歌は、詩人の名をとって「メシュレプ」と呼ばれるようになった。

 

    情の秘密なら聞くがよい
   別離に悩む恋人たちに
   享楽の術なら聞くがよい
   幸運をつかんだ人たちに
   金持ちや、お偉い方などに
   孤独の味など分かりはしない
   ああ、流浪者こそが
   貧しさの苦労を知っている
   友よ、このナワイーは
   愛の砂漠に生きている
   ナワイーに会いたければ聞くがよい
   愛の砂漠からやって来た旅人たちに

 

今でも、ウイグル十二ムカームは、バザールや豊年祭り、結婚式など、ウイグル族の生活の折り目、節目で歌われている。まさに音楽の母であった。だが、この14〜15世紀から歌い継がれてきたウイグル十二ムカームの中に、もはや、かつての亀茲音楽を探すことは困難である。

 

      「婚礼の歌」

    右側に花ひとつ            
    左側に花ひとつ            
    二つの花の真中に          
    ひばりが喜び言祝ぐ          
    村中が喜びにあふれ         
    人びとは心楽しく
    今日は花嫁を迎える日だ
    さあ 大声で歌おう 婚礼の歌を

 

   人びとは歌い、また踊る

   婚礼のメシュレプは楽しみの海だ

   ダップを叩け

   ラワールの絃を爪弾け

   心をかき鳴らすように

 

古代の亀茲音楽に使われた楽器は既にこのオアシスには存在していない。しかし、クチャ人の歌と踊りに寄せる愛着は、昔も今も変わっていないだろう。

ツアーでいくシルクロードの旅は、プロカメラマンにとっては行きたくないそうだ。

プロの息子(野口克也)が、ブーブー言いながら撮影した一枚の写真です。

 

 

宇宙を舞うクチャの飛天

これは日本の法界寺の飛天(インターネットから)

                 

西暦627年、玄奘三蔵がクチャを訪れた時には伽藍が100、僧侶が5000人あまりいたと記されている。亀茲国は7世紀に唐に破れて滅亡し、9世紀末にかけてはウイグル人たちがこの地域で勢力を伸ばし始め、10世紀すぎからはイスラーム化が始まった。

 

ある文献では、クチャにある仏教石窟は総計570あまり、代表的な石窟は亀茲石窟にある第236石窟がある。クチャ石窟の創作時期は初期(3世紀末〜4世紀初)、発展期(4世紀中〜5世紀末)、繁栄期(6世紀〜7世紀)、衰落期(8世紀〜9世紀)と4つの時代に分かて研究する人もいると書かれている。

これも日本の、薬師寺東塔水煙(模型)

これもインターネットからです。

クチャは、撮影は全面禁止ですので実写はありません。

 

クチャ周辺のキジル、クム・トゥーラ、キリシュ、シムシン、スバシなどの寺院跡では、20世紀初頭に発掘調査を行なったドイツのル・コックやグリュンヴェーデルその他の探検隊によって「最も西域的な」といわれる石窟美術・壁画が数多く採取され、持ち出されている、実質上の略奪である。4世紀頃から大乗仏教とともに盛んになった西域的な仏教美術・飛天図が色鮮やかな色で描かれ、西域が生んだ文化財産として今日まで残されている。

 

 

追記

 

私は明日から、所用があって沖縄へ行ってきます。

今週末には帰ってきますが、その間はブログはお休みします。

よろしくお願いします。

野口

 

 

 

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