シルクロード日誌

日本シルクロード文化センターのブログページです。シルクロードに関する情報、コメント、旅日記などを綴ります。
また、新しい年が始まりました

あけましておめでとうございます

 

昨年11月23日に深大寺で「七五三」のお祝いをしました。

頼まないのに、お酌をしてくれました。

至福のひと時でした。

 

 

 今年も静かに新しい年があけました。

 いつも新年になってから書く年賀状も、いま、2日午前4時書き終えました。

 頂いた方には失礼なのですが、これはもうかなり負担ですね。

 一度「今年で終わります」と宣言したのですが、送っていただいた方には返事を出さなくてはと思い、また復活しました。

 例年のように2日のきょうは、息子と娘家族が来ます。

 どういうことか、婿殿の母親と弟まで来ます。

 

 年末ジャンボも先ほど見ました。

 末尾の300円のほかに1万円が当たっていました。

 これはいつもワイフにプレゼントします。以前は、3枚だけ買って「当たらなかった!」とプンプンしていました。

 

 3日は「日本シルクロード文化センター」の仲間たちが集まって、恒例の新年会です。最近は大酒を飲む人が少なくなって不満です。ビールをチョコッと飲んで、あとはワインとか言って!!!こちらがプンプン!です。

 

 と、いいながら今年も新しい出会いを求めて、24日にはキューバへ行きます。

 5月にはアフリカ南部を予定、6月にはイランの恒例のツアー、8月には黄河源流、11月にはミャンマーとラオスを検討中です。

 

 シルクロードもウイグルの地は銃剣の「歓迎」、中東はテロの跳梁、私自身もほとんどのところは行っていますので、ソロソロ年貢の納め時かなとも思っています。

 でもそうなると老いも早く来ます。行けるうちに行かねば、先輩たちが次々とこの世から離れていくので、身体を強くしなければなりません。

 フィットネスクラブに再加入することにしました。

 当面は、9日に発行するニュースの書き手を決めなければ・・・・

 と、こんな毎日が、またはじまります。

 

 今年もよろしくお願いします。

 

 1月2日  午前4時半    野口信彦

 

11月23日に、わが家へお泊りに来た孫に、クリスマスプレゼント。

事前に娘と相談していたのですが、あまりの喜びようで、涙を流していました。

今年も、孫Love の1年ですね。

クリプレも小学一年生になると、「おもちゃ」から「可愛いお人形さん」に変わりますね。

 

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シルクロード・私の忘れ得ぬ人 \沼篠子(ちょうこ)さん

あと1週間で新しい年が来ます。早いものです。

今年とくに感じたことは1週間がとてもはやかったことです。

こんな風にして私もやがてどこか黄泉の国へ行くのでしょうね。

 

11月末頃から「喪中はがき」が来ます。

亡き加藤九祚さんの古くからの友人で「オクサス学会」の代表でもあった古曳正夫さんが亡くなったことも残念なことなのですが、私は特に西村暢子さんを忘れ得ぬ人に挙げたいと思います。

 

いまから12年前の11月に「日本シルクロード文化センター」を発足させたのですが、それまでの数年間は、わたしとグリさん(ウイグル人研究者。彼女と私の2人が中心になってクラブを立ち上げました)の2人で、特にグリさんがウイグル語講座、中国語講座を担当し、そして私がシルクロード講座を担当しました。

 

毎月2回、月曜日の午後に「シルクロード講座」を実施したのですが、私もそのころはシルクロードを人一倍勉強して、月2回の講師を担当しました。

そのときの受講者の1人が西村暢子さんでした。

 

西村さんは埼玉県の桶川市から通っていました。

ご主人とシルクロードへ何度か旅行をして関心を抱き、グリさんからウイグル語を個人教授していただいていました。

 

新宿の「トルコ中央アジア文化センター」で、またある時は喫茶店で教わっていたようですが、それは教わる目的と同時に、生活苦にあえいでいたグリさんへの資金援助も兼ねていたようです。

 

そのグリさんが、野口と一緒に「日本シルクロード文化センター」を立ち上げるということで、陰ひなたになって応援をしていただきました。

西村さんはご主人が「奥さん可愛さ」で、1人で出かけることをあまり喜ばないというので、新宿で妹さんと会うという口実で出かけてきていました。

 

今年の3月7日に81歳で亡くなられましたが、1〜2年ほど前から、はた目から見てもほほがコケて、やせ細っており、“もう長くないのかなァ〜”という思いを抱いていました。

 

昨年には、身の回りの整理なのでしょうか、私宛にシルクロード関係の書籍や辞書などを段ボール箱に詰めて大量に送って来られました。

なかにはどういうことかタイ語の辞書までありました。

 

 

私は終活は何もできていません。する気もありません。

同じウオーキングクラブの50歳代の独身女性は「終活」に一生懸命でした。

「何をそんなに死に急ぐの?」と声をかけた覚えもあります。

そういう私は、シルクロードと自分に関する自伝でも書こうかと思っていますが、毎日の多忙さで気持ちだけで終わっています。

 

西村暢子さんは、私にはご自分の体の具合の悪いことは何もおっしゃりませんでした。おわかれの言葉もありませんでした。書籍を私に送られたことが“おわかれ”だったのでしょう。見事なお別れだったと思います。

斯くありたいとも思います。

 

女性そして妻であるが故に、夫の拘束を解きほぐして自由に振る舞えなかったという状態にありながらも、ご自分でご自分の自由、「個の自由」を探し求め、切り拓いていった西村暢子さんは、私にとってはまさに忘れ得ぬ方でした。

いま、幽明境を異にする場になりましたが、あなたのことを忘れません。

長い間、ありがとうございました。

                    合掌

 

 

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「孫の運動会」

 おとといの土曜日。前日の急な娘からの電話で孫娘の運動会に行くことになりました。最近、このブログを書く時間もないほどの超多忙な毎日ですが、この日だけはどういうことか、時間は何とかなるというタイミング。親が死んでも行こうと思いました。もうとっくにいませんが・・・・・

前夜、嬉しくて眠れなかったような顔ですね

 

 以前から“ランドセル姿を見てみたい”と言っていたのですが、なかなかそのチャンスがありませんでした。親がいないときに学校近くに姿を見せれば、ストーカーか不審人物に思われてしまいますから・・・

 

 学校へ娘夫婦と行くと、校長席の近くのテントに「敬老席」がありました。電車ではあまり座りませんが、この日は躊躇なく座りました。ブルーシートにじかに座ると、この太っ腹、立ち上がるのが大変なんです。

 

 で、運動会といっても、結局、誰でも同じことでしょうが、自分の家族・親族の姿しか見ません。1年生の孫娘が、まだまだ小さく、可憐で、かわいい姿をグラウンドの向こう側に見るくらいだけです。双眼鏡がないので、国技館で撮影に使ったカメラの望遠レンズで見ていました。うちのカミさんと望遠レンズの取りっこでした。

 かけっこもニコニコ笑いながら悠々と走って3番目。

かけっこもはじめは一番だったのですが、うしろから追い抜かれても平然としていました。

でも一番がいいんじゃないですから、かまわないのです。

 

 

 前週、わが家にお泊りできたときに披露してくれたダンスは、1,2年生の玉入れ前の集団ダンスでした。あまりの可愛さに目が潤んでしまいました。

 皆さんどなたでも経験があるでしょうから、これ以上爺じバカぶりを語ると嫌われますから、これくらいにします。

運動会最初のラジオ体操。このラジオ体操は科学的にも子供の身体に有害だと明らかになっているのに、やめません。

NHKがはじめて文科省が推薦しているからでしょう。

 

玉入れの前のダンスですが、うまく撮れていません。

こんなように孫しか被写体はいませんね。

 

少し運動会の歴史を調べてみました。去年9月4日の、毎日小学生新聞からです。

 

 日本で最初の運動会があったのは、海軍兵学校。1874年、明治7年のことだそうです。イギリスから来たダグラスという教師が「アスレチックスポーツ」をしたいと提案してからだと言います。日本ではこれを「競闘遊戯」と訳したそうです。種目は短中距離走、走り高跳び、三段跳び、走り幅跳び、二人三脚、卵採り(一定間隔に置かれた卵を20個拾って走る)、背負い競走、水おけ競争など全部で18の種目があったそうです。

 これらが全国に広がっていき、数校が河川敷や神社などに集まってやっていたそうですが、それが次第に軍事的なものに様相が変化していきました。

ネットから借用の写真ですが、私は小学校5年生の頃ですね。

 

 しかし反面で、運動会は当初から「村の祭り」の性格も持っていました。周囲の村々から集まって、店や家業を休んで町全体で取り組む、にぎやかなお祭りのようなものになっていきました。なかでも仮装行列は集落ごとに一番力を入れたとあります。文部省や府県が“あまり派手すぎないように”と注意を繰り返したほどだと言います。

 

 日中戦争がはじまると運動会も軍国主義の様相を帯びてきました。全員が力を合わせて行う種目が増え、愛国行進曲などのダンス、「敵前上陸」「爆弾リレー」などの競技などが見られます。

 

 これがアジア太平洋戦争に入るとさらに軍事色一色になり、「体練大会」「錬成大会」と名前を変えるところが多くなり、教科の体操科が体練科と名前を変え、科目に体練科武道が新設されました。種目にも柔道、なぎなた、剣道が登場しました。

 

 戦後は、運動会の位置づけを、集団行動をできるようにし、運動に親しむ態度、責任感や連帯感を育て、体力の向上につながる活動をするように、となっていきます。

 

 しかしいま、学校体育に「なぎなた」や「柔剣道」が復活していることも、平和憲法の9条をなくす政治の流れと無関係ではないと思います。柔剣道とは、鉄砲の先に剣をつけて敵を刺し殺すことです。こんなものはスポーツではありません。殺人技です。

かけっこの着順を判定する先生たち。この先生たちも年1回の運動会なので、なかなかなれないで大変そうでした。

 

 

 学校や教師たちは努力をされていると思いますが、子どもの安全や健康に気をつけ、事故を起こさないで学校の特色や伝統を生かしつつ、あくまでも児童・生徒主体性を尊重したものにしていくことが学校・親・地域社会全体の責任だといえます。

5,6年生の何かの体操ですが、子どもたちはこの頃になると、女の子から少女ですね

子どもの元気な姿が一番うれしいですね

やっと立てました!

 

 ひとこと:学校の配慮でしょうが、片親がいない子供を配慮して、児童たちは親と一緒に昼食を食べない学校が多いと言います。それはよく理解できるのですが、多くの子どもたちは親や家族が来ています。この子たちへの配慮も必要なのではないでしょうか。「孫しか見えないジジバカの声」。

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いま、中田久美と安室奈美恵が格好いい “格好いい”とはなにか?

 男子バレーは全敗で残念でしたが、女子バレーは頑張っていました。

 いうまでもなく「ワールドグランプリ」=グラチャンバレーのことです。

 大会の公式ホームページには、こう書いてあります。

 「グラチャンバレーは国際バレーボール連盟主催の世界4大大会の1つで、4年に1度オリンピックの翌年に開催されます。1993年の第1回大会よりすべての大会が日本で開催されており、2017年大会が7回目の開催になります」。

 

 おそらく日本の、特に若い女性の“キャーキャー”が人気の原因だと思っているテレビ局などが仕組んだモノと思われますが、今はそのことはさておいて・・・

 

 そこで見た全日本女子バレーの中田久美監督。

おそらく全日本監督のデビュー戦だと思うのですが、少し調べました。

「中田久美は、日本の元バレーボール選手、指導者、タレント、スポーツキャスター。スポーツビズ所属。バレーボール全日本女子監督、プレミアリーグ・久光製薬スプリングス前監督。 日本リーグ、プレミアリーグ時代を通じて女子最多4度の最高殊勲選手賞受賞者である」(ネットから引用)。

 

 これだけ見れば、彼女がどんなにすごい選手だったかがお判りでしょう。

彼女は全日本時代は名セッターでした。

 木村沙織が引退した今の全日本では、攻撃力の強化とともに、セッターの養成が急務になっています。

 ずっと長い間勝てなかったブラジル戦では、相手の度肝を抜くような佐藤選手をセッターに抜擢して勝ちました。

 

 試合の合間あるいはタイムを要求しての時間は、なぜか外国人のコーチがあれこれ指示を出していました。彼女は選手の輪の外にいてじっと黙っています。

 私は初めて見るその姿に「中田久美って格好いい!」と思いました。

 

 どこかの国の監督は、“怒髪天を衝く”勢いで選手を怒鳴りまくっていました。そのような傾向の監督が多いこの世界では異質でした。

 私の選手時代は、そのような監督やコーチがいた場合は、こちらから文句を言って、ケンカをして、そのコーチの指導を拒否していました。

 中田久美のあの姿から、格好いいと心から思いました。

 

 安室奈美恵も格好いいですね。

 わたしは彼女のことはあまり知りません。踊りも恰好よく、スタイルもいい、くらいにしか思っていませんでした。

 

 私の現役時代、勤務先の山岳連盟事務所にたむろしている若者たちがたくさんいました。ヒマラヤ登山などに行くために退職してヒマラヤに行き、遠征後は仕事がないので事務所に来てたむろしていたのです。

 彼らが一番好きだったのが安室奈美恵でした。かれらに強引にカラオケに連れていかれ、彼らの歌う歌を仕方なく聞いていたのですが、そのほとんどが安室奈美恵でした。「なんとかセレブレーション」など・・・・

 

 その彼女が1年後に引退すると言いました。テレビでは「アムロス」などと言っているのですが、そんなことはどうでもいいのです。

 

 聞くところによると、この数年はテレビなどに出ることを拒み、ひたすら歌うことのみに没頭し、息子が20歳になって、自分は引退。その先がどのような人生であれ、それは彼女の生きかたですからかまわないのですが、その潔さが格好いいですね。何か勘違いがあって“テレビに出ているから人気がある”という考え。彼女は自分を貫いて生きていたのでしょう。

 

 若い人たちは、今ではほとんど考えられないその生き方に驚き共鳴しているのだと思うのです。これからまた再び彼女の人気が沸くことでしょう。

 

 そして大相撲の世界も、いま格好いい若者たちが大勢います。

 

(きょうの写真はすべてネットからの引用です)

 

 

 あすの千秋楽、私は1人で見に行きます。3横綱がいなくても、なんであっても大相撲の世界に触れてみたいのです。そして若者たちに会いに・・・

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耐暑トレーニング

 この16日の日曜日、狛江市の多摩川河川敷で開催された「第27回 狛江古代カップ 多摩川いかだレース」をワイフと覗きに行きました。冗談で「古代研究に行く」でした。

いかだレースそのものは面白いのですが、自分が参加しないと・・・・・

 

 数年前に、我われ共通の友人と3人で行こうとなったのですが、急にワイフの都合がつかなくて、その友人Mさんと2人で見に行ったことがあります。その友人とは、いつも3人で遊びの海外旅行や仏教を除外しての「おへんろコース」のウォーキングをする友人です。女優の何とかさんに似ています。名前が出ません。

 

 今回も8月5日からの私のシルクロード・河西回廊の旅や11月の楼蘭行きのトレーニングとして耐暑トレーニングをスタートさせたものです。10月には高知県を歩く予定です。この月には白神も歩きます。

水深が浅いので、もう動けません。

 

 狛江市は河川敷を除くと日本で二番目に小さな市ですが(因みに、一番小さな市は埼玉県の蕨市だそうです)、わが家から多摩川まで歩くと30分以上かかります。朝から猛暑です。河川敷に着くと、もうすでにたくさんのパラソルが立ち並び、人びとが一杯です。汗もびっしょりです。

多摩川沿線には新しいマンションが立ち並びます。

そこの新住民が多いようでした

 

 狛江が「北多摩郡狛江町」から市制施行されてから27年。その時からいかだレースが始まったそうです。当時の町役場は、地元の地主などの有力者など“小さな町の権力者”の縁故の者が職員に採用される例が多かったと聞いています。そうでない、真面目に住民への奉仕者として働いていた人たちとも知り合いがいます。今は市長が元都庁の職員で、狛江に住んだこともない男がふんぞり返っています。

 

 いかだレースは写真で想像してください。足首くらいしか水深がないところに入り込んで動けなくなるいかが、水に流されて、あさってのほうで一生懸命に漕いでいるチームなど92チームが出場しました。

 ゴール付近には近所の住民の方がた、子連れや家族連れが多く、猛暑の中を楽しんでいます。私は缶ビールやジュースなどを冷やしている水槽から、カラになったペットボトルに水を入れて、頭から背中から首から冷たい水をかけます。少しの間は熱気がなくなります。が、4〜5分もすると元通りの熱さに元通り。

 

 きのう17日は、ワイフとMさんと3人で京王線の中河原駅で待ち合わせて、関戸橋まで歩き、ここからウォーキングのスタートです。

歩き始めたのは午前10時。前方がうちの奥さんです

 

 結局、歩数で25,000歩。10数キロでしょうか、歩きました。今日のテレビでは、きのうは36度と言っていました。暑いからと言ってエアコンの効いた部屋にいる生活からの脱出でした。体重も2キロ減りました。

多摩川の向こう側は稲城市のようです。昔住んでいたのでわかります。

 

 「楼蘭」というタクラマカン砂漠を歩く旅を控えてのトレーニングが主な目的ですが、自分のおなかの出っ張り具合が少々気になっています。体重も80キロを超えて90キロの大台に入り、さらに増えていきました。人間としての進歩の最中なのですね。でも、トレーニングをしていないと体重は無限に増える予測が成り立ちました。そこで決断しました。

府中市はサッカー場や野球場がたくさんあります。しかし、狛江市は・・・・

 

 

 後輩が新日本スポーツ連盟の理事長をしています。職業はスポーツ施設でのトレーミナーです。2〜3ヶ月ほど前に、彼が「今度、野口さんにトレーニングの献立を送りますから」といったので、“逆コースへの出発”と楽しみにしていたのですがなかなか来ません。先日会った時に「早く送れよ。楽しみにして待ってるんだから!」とエラそうに文句を言いました。そこで送って来たのです。

調布市も野球場がたくさんあります。ママたちが暑いなかを子供や監督のお世話で大変です

 

 あとは実践あるのみです!

これはもう京王線の多摩センター方面への鉄橋。もうすぐです

 

きのうも行った「鮮の庄」で、私は何といってもこれです。

ビールのジョッキは一息で飲み干せました。

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